2012年08月23日

パレスチナ人たちがタクシー攻撃の被害者たちを夜通し看病

ILENE PRUSHER
2012年08月19日

ジャヤダ一家は、彼らの車が攻撃され炎上したとき、祝日の食事を買いにスーパーマーケットに行く途中だった。

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PHOTO: SCREENSHOT

ジャヤダ一家が、ラマダーンの終了を祝って家にいると計画した日、日曜日、彼らは代わりに、彼らの家族の生命が非常に危険で、Ein Keremのハダッサ大学メディカルセンターの玄関をゆっくり歩いた。

木曜日午後5:30ごろ、エルサレムの南、Bat Ayin入植地近くで、家族の一員が運転する彼らのタクシーが、警察がユダヤ人過激派により犯されたと考える攻撃で、火炎瓶をぶつけられ、家族の6人は重傷を負った。

車は燃え上がり、ひっくり返った。被害者のふたりは、昏睡状態のアイマン・ジャヤダ、重態のジャミーラ、そして、話し好きなのに彼の身体の殆どを覆うやけどの痛みを緩和するため使用される薬でまどろむハッサンを含め、集中治療に残る。

もうひとりの兄弟、異なる病室の家族たちの間を往復するハイサムは、電話を受けたときの衝撃を説明する、心配する近親者二十数人に跡を追われた。ナハリーンの子ども10人の家族の兄弟たちは、ハイサム・ジャヤダ、30歳によれば、ヘブライ語をよく話し、投獄されたこともなく、イスラエル当局と争ったこともなかった。

「それは、ぼくがかつて見た中で最も衝撃的だった。ぼくはアイマンの病室に入り、それが彼と了解できなくて、そして再び出てきた。彼の顔が焼き払われて、彼と認識できない。ぼくたちは、子どもたち4人を彼に会わせさえしなかった、あのような父親に子どもを会わせるべきでないので」と、彼は語った。

ナハリーン村の半分は、ここ、病院にいると、彼は語った。彼らは皆ここにいて、家族の傍らで夜通し看病しているのだから、ナハリーンで今年イード・アル-フィトル(ラマダーン明けの祝日)はない。ハイサムによれば、先立つ攻撃が、村の車を標的としてきた。

彼らの村と道路が繋がるのはエリアC - 彼らが完全なイスラエル支配下に残ったことを意味する。

「ぼくたちは、この攻撃の責任をイスラエル治安部隊に帰する、というのも、向けるべき他の誰もいないのだから。ぼくたちは、完全にイスラエル軍支配下にあり、したがって、ぼくたちを保護することは彼らの仕事で、ぼくたちは、そうしないので彼らを非難する」と、彼は語った。

彼は、道路2本だけが、村を離れるのに利用可能で、それらに対する頻繁な攻撃は、軍とメディアの両方から無視されるのが常と説明した。以前は利用した第三の道路は、どうやら、Neveh Daniel入植地の防衛のため、IDFにより閉鎖されてきた。

「これは初めてのことでない - 近くの入植者らは、前にもぼくたちに火炎瓶を投げつけたことがある、石も同様」と、彼は語った。

(略:長いので)

全文:The Jerusalem Post


 しばしば100MB(無料で使える容量)に達したなら、このboycottilへの記事掲載を終了すると予告してきたけれど、この記事で100MBとなった。100MBがこれほど大きな容量とは想像もしなかった。2008-2009年に渡ったイスラエルによるガザ攻撃に衝撃を受け、2009年2月に開設したboycottilだったが、1年ほどのつもりだったのに、2012年8月まで、3年6ヵ月続いたことになる。その時間は、わたし個人にとり、決して短いものではなかった。
 イスラエルによるパレスチナの家屋破壊・農地破壊、土地没収、水を含む資源の没収、追い立て、抗議行動に対する弾圧、理不尽な逮捕、拷問を伴う尋問、刑務所での虐待などが、日々繰り返される。エスカレートする暴虐が過去を覆い隠してくれると、イスラエルは考えているのだから、日々繰り返されるどのひとつも、わたしたちは忘れないと決意しなければならない。忘れないために、時折、このboycottilにアクセスいただけるなら、これほど喜ばしいことはない。
 2009年にスーザンがいくつかの記事の翻訳を手伝ってくれた。彼女に感謝。翻訳に10人ほどで携わることができたなら、もう少し続けることができたかもしれないと思わないわけではないが、3年6ヵ月は、ニッポンのマスメディアが、如何に米国の報道を通してしかパレスチナ問題を報じてこなかったかを示すのに充分な期間だったとも思う。今後は、長らく放り出したままの『オリーヴの庭から』で、オリーヴに特化した、別の切り口のパレスチナを伝えていきたい。アクセスしてくださったみなさまに心からの感謝を... mizya
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2012年08月22日

報告:イスラエルの大臣らが店舗を入植者らに渡すよう命じる

2012年08月16日木曜日

テルアヴィヴ、イスラエル (Ma'an) -- イスラエル政府大臣委員会が、西岸南部の都市、ヘブロンの建物の占有をイスラエル入植者らに移すよう軍に命じたと、イスラエル日刊紙、Haaretzは報じた。

ヘブロン中央の建物は、1994年の(ユダヤ人狂信者による:訳注)イブラヒミ・モスクのムスリム参拝者たちの大虐殺の後、軍令で閉じられるまで、パレスチナ人の店舗だったと、報道は述べた。

イスラエル人入植者らが建物を強奪し、イスラエル集団、ピースナウが、彼らの除去の請願を提出したと、報道は続けた。

入植地業務大臣委員会は、入植者らが立ち退かせられるべきと合意した一方、建物がその地区のイスラエル人入植地の所有に移転されるべきと決定した。

イスラエル司法長官、Yehuda Weinsteinは、建物のパレスチナ人所有権を取り消すことは、違法かもしれないと考え、ピースナウに返答するため、新たな見解を組み立てようとしていると、Haaretzは述べた。

原文:Ma'an News Agency
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2012年08月21日

入植者暴力 - 3題

父母と子どもたちが入植者の焼夷弾で負傷
2012年08月17日金曜日
Saed Bannoura - IMEMC & Agencies

ベツレヘムのパレスチナ医療筋は、木曜日、ベツレヘムに近いナッハリン町のタクシー運転手、パレスチナ人の父母とその子どもたちが、原理主義イスラエル人入植者らがパレスチナのタクシーに焼夷弾を浴びせ、中程度から重傷までを被ったと報告した。

パレスチナのタクシーが、被占領西岸都市、ベツレヘム南部、Gush Etzion入植地ブロックに近い、そのどちらも違法入植地、Bat AyinとGavot近くを走っていたとき、攻撃は起こった。

医療筋は、パレスチナ人家族を乗せたタクシーが、6人の負傷者をだした焼夷弾をもまた浴びせた過激派入植者らに攻撃されたと報告した;負傷した家族6人は、彼らの負傷の深刻さからエルサレムのハダッサ・イスラエル病院に移送される前、ベツレヘムで初期治療を受けた。

ベツレヘム赤三日月社の救急局長、アブドゥル-ハリム・ジャアフラは、負傷した住民が、バッサム・マフムード・ジャヤタ(タクシー運転手)55歳、アイマン・ハッサン・ジャヤタ35歳、彼の妻、ジャミーラ・アブドゥル-ハイ28歳、彼らの子どもたち;モハマド5歳、イマン4歳、そしてハサン・モハマド・ハサン・ジャヤタ26歳と確認されたと報告した。

住民、アイマン、ジャミーラ、ハサンが二度から三度の熱傷を被った一方、子どもたち、モハマドとイマンは一度熱傷を被った。
イスラエル警察は、攻撃がユダヤ人入植者らにより遂行され、攻撃が国家的に動機づけられたと報告した。

(略)

全文:International Middle East Media Center

入植者らがパレスチナの井戸を空にし農地を水浸し
2012年08月15日水曜日
Saed Bannoura - IMEMC & Agencies

過激派イスラエル入植者集団が、パレスチナの潅漑井戸を電動ポンプを使って空にし、西岸都市、ヘブロン南部に近いサイル町の東、アッシール地区のパレスチナの農地に氾濫させた。

住民、ヤシーン・モハマド・アッシャラルダは、土地調査センターに、Esfir入植地とMitzad入植地の入植者らが、火曜日夜、攻撃を行なったと伝えた。入植者らは、伝えられるところでは、井戸を空にするためモーター・ポンプを使用し、近くのパレスチナ農地に氾濫させた。

彼は、何百平米もの土地が攻撃でに荒廃させられ、住民たちは、潅漑と家畜の飲料水源としてどちらにもこの水を利用すると付け加えた。

アッシャラルダはさらに、住民たちがヘブロンのキリヤトアルバ入植地のイスラエル警察に告発を提出したが、入植者らにより遂行された先立つ多くの攻撃が調査されることがなかった事実から、警察によるいかなる肯定的行動も期待していないと述べた。

問題の地区は、ことさら違法入植地、MitzadとEsfir両方の入植者らが、民間所有のパレスチナの土地でまかなって植民地を拡張しようとしているので、頻繁な攻撃に曝される。2つの前哨基地もまた、民間所有のパレスチナの土地に建てられた。

(略)

全文:International Middle East Media Center

入植者らがハーン・アッルバンに侵入
2012年08月17日
アレックス・マーリー

2012年08月17日 | 国際連帯運動、西岸

午後10:30ごろ、近くのMa'ale Levona違法入植地のイスラエル入植者集団が、アッルバン村近くに位置するパレスチナ集落、ハーン・アッルバンに到着した。銃や木製の棒で武装した入植者らは、ハーリド・アルハメド・ダラガーニ所有の家に侵入した。

所有者、ハーリド・ダラガーニは、武装した入植者6人が車で到着したとき、彼の犬により知らされた。ハーリドは外に出て、侵入者らに彼の土地を離れるように求めた。入植者らは、「これは私有地でなく、イスラエル国家の土地だ」と主張して拒絶した。入植者らは、彼の家屋に強引に押し入り、すべての部屋に入り、叫び、家財を蹴った。

入植者らはその後、家の隣りにある水泉に向った。ハーリドが支援を求めた国際活動家たちもまた、入植者らを止めようとし、彼らが私有地に侵入していることを説明したが、再び、入植者らは去ることを拒絶した。この折、彼らは、「予言者アブラハムが2000年前にここにいた」のだから、そこにいるのは彼らの権利と主張した。

入植者らの到着から30分ほど後、白いジープが全速力で到着した。イスラエル兵2人が、車から走り出て、攻撃的にハーリドの方に向った。兵士らは、ハーリドをつかみ、叫び、家の部屋へと、彼を暴力的に押し込んだ。国際活動家たちが、その部屋に入ろうとしたが、兵士らにより妨げられた。

20分ばかり後、別の車が兵士4人を乗せ、同様に、警官4人を乗せたイスラエル警察車2台も到着した。兵士らはハーリドを尋問し、警察は、ハーリドに攻撃されたと主張した入植者らと話した。

兵士らは「武器を捜して」家を捜し回った。彼らは、先立つ入植者攻撃で空虚となった、ハーリドの家の部屋すべてに入った。見つかるものもなく、午前1:00ごろ、警察、兵士ら、入植者らは立ち去った。

ハーリドは、「彼らは今立ち去ったが、残念ながら、彼らは戻って来るだろう」と語る。


ISMMediaOffice

原文:International Solidarity Movement


「予言者アブラハムが2000年前にここにいた」とすると、「出エジプト」の後ということになる。モーセより何十世代も後に、彼らの「アブラハム」は生まれたらしい。
 入植者による攻撃は、日々、何十件となく起こっている。あまりに日常なので、殆ど翻訳しないで済ますが、ちょっと日常を振り返って...
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2012年08月20日

Modiin居住者:我々は入植者でない

居住者らは、免税取り引きでModiin-Maccabim-Reutの部分を含めない「新-アラブ」EUによる決定を「政治的」と語る

Itamar Fleishman
2012年08月15日

Modiin-Maccabim-Reut地方自治体の部分をイスラエル領域「外」とする欧州連合の決定は、地域居住者を慌てさせるようには見えなかった。「彼らは、我々を入植者だと言ったわけだが、それがいったい何だ?」と、Maccabimのショッピング・プラザのマネジャー、Shlomi Barelは語った。

イスラエルは、全地区がその境界内にあると語る。EUは、1967年の六日戦争でイスラエルがその地域を占領する前、ノーマンズランドだったところに部分が建設されたと断定した。

EUは、その地域からの輸出品は、西岸入植地からのものと同様に扱われ、イスラエル製品に与えられる免税に不適格と語る。

外務省は、その地区を「イスラエルの不可欠な部分」と呼び、EUが「現実を無視する」と語った。

EUは、水曜日、地域の小さな部分のみ、関税を支払わされるだろうと語った。

「驚くべきでない」と、Barelは語った。「これは、親-アラブの機関によりなされた政治的決定だった。わたしは、彼らがわたしを入植者に変えた事実に怒っていないし、決定が地元ビジネスを害するとも思わない。この地域は、発展し続けるだろうし、常に我々のものであるだろう」。

「政治は我々に関係ない」

ヨーロッパ諸国とビジネスするマーケティング会社を所有するErez Galは、「我々は、この決定の結果が何をもたらすか知らないが、地元ビジネスがそれに苦しむようには見えない。わたしは既に、ヨーロッパの供給会社の多くと話し、彼らもどんな著しい変化もないだろうとの印象だ。我々は商人だ;我々は政治でなく取引に関係する」と語る。

しかし他の居住者は、地域の、西岸入植地と同じとの指定が、商売を害し得ると恐れる。「それは雪玉に似ている。これ(EU決定)で始まり、はるか悪いもので終る。わたしは、我々が撤退させられる構想は描かないが、彼らは我々を非合法化するだろう」と、Modiin居住者、Adva Simchiは語った。

(略)

全文:Ynet news.com

関連記事:「EUがイスラエルの都市Modi'inをイスラエルの一部でないと言明;動きが取引関係に影響するかもしれない」International Business Times

MAYA SHWAYDER
2012年08月14日

欧州連合は、火曜日、人口80,000人ほどの、テルアヴィヴとエルサレムの間、イスラエル中央に位置するイスラエル都市、Modi'inの部分が、なんとイスラエルに属さないと言明した。

都市は、イスラエルと、1967年の六日戦争で、イスラエルが地域を征服して解消された、ヨルダン占領西岸の間の、緩衝「ノーマンズランド」の一部だった。認識の変化は、Times of Israelによれば、むしろ主要部から離れた3郵便区にしか影響しないと予測されるが、地域からの輸出品の価格にも影響するだろう。

(略)


「ノーマンズランド」の地図を掲載したかったが、boycottilの総容量100MBを越えるので掲載を諦めた。関連記事の「テルアヴィヴとエルサレムの間、イスラエル中央に位置する」との説明は、被占領西岸にさえ接していないといわんばかりだが、西岸の二重の停戦ラインに囲まれた地域が「ノーマンズランド」である(地図はここで)。イスラエルは常に「現実を無視する」というが、国際法に反して被占領地に入植地を建設するイスラエルが「現実をねじ曲げている」のであって、イスラエルの語る「現実」は虚構に過ぎない。
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2012年08月19日

シリア:パレスチナ人が戦いに引き込まれる

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Photo: Gabriela Keller/IRIN
シリアのヤルムーク・パレスチナ難民キャンプ


ベルリン、2012年08月14日 (IRIN) - 8月早く、シリア最大のパレスチナ・キャンプ、ヤルムークに迫撃砲が撃ち込まれ、少なくても20人を殺したとき、シリアのパレスチナ人の多くがそれを目覚ましコールと看做した。

「それはヤルムークが攻撃される3回目だったが、死傷者数はそれほど多くなかった」と、Moh Abu Eyadと名のったパレスチナ人活動家は語った。「問題は、ヤルムークがとても込み合っていること。弾丸一発を発砲するなら、3人に命中する」。

シリアの戦いが激しくなるとき、闘争の外に留まろうとするものはますます板挟みに立たされてくる。国の50万パレスチナ人の多くが、キャンプを暴力に巻き込まれないよう保つことはできないかもしれないと語る。

集団懲罰と看做される

シリアの首都、ダマスカスの、貧しく込み合うヤルムークは、パレスチナ人150,000人の家だ。それは、1ヵ月ほど前、反逆の自由シリア軍 (FSA) が首都に進軍して以来、そのすべてで激しい衝突を見た、タダモン、ヤルダ、ハジャル・アルアスワド、カダム地区の間に埋め込まれる。闘争がより接近し、追い立てられた何千家族もが、ヤルムークに避難して、戦いはキャンプにこぼれ始めた。

FSAの反逆者たちが、検問所で待ち伏せするためヤルムークに繰り返し潜入し、政権部隊が、先立つ迫撃砲攻撃の週に2回、パレスチナ病院を砲撃したと、ヤルムークの住民や活動家たちは語った。

殺されるパレスチナ人の数は劇的に上昇していると、ヤルムークでパレスチナ人権組織を運営するAmmar Hassan*は語った。「その半分は過去4週間で、250人のパレスチナ人が暴動の中で死んだ」と、彼は語った。「わたしは、迫撃砲攻撃が、『我々はいつだって君たちを攻撃できるのだから、君たちは静かにしなければならない』との政権からのメッセージだったと考える」。

政権と反逆者たちは、迫撃砲攻撃で互いを非難するが、パレスチナ人の多くが、それを、反逆同調者たちへの人道支援提供に対する政権による集団懲罰と看做している。地元活動家たちによれば、キャンプの学校や家庭に収容される難民の数は、20,000人に達し、近くの反逆拠点からの負傷したシリア人たちが、治療のためパレスチナ病院に運ばれてきた。

「わたしたちは、暴力を回避しようとするそれらにキャンプを解放した」と、1ヵ月前、アラブ湾岸国にヤルムークから逃れた活動家、Jafraは語った。「これは、当局を酷く怒らせた」。

中立に留まる努力

昨年のバッシャール・アルアサド政府に対する暴動の始まり以来、パレスチナ人は、満場一致から遠いスタンス - 中立に留まろうと努力してきた。「最も若い人びとは革命を支持する」と、活動家、Abu Eyadは語った、「しかし、政党を支配するより老いた世代は、殺されるか再び難民になるだろうから、わたしたちはどちらの側にもつくべきでないと語る」。

シリアのパレスチナ人たちは、1948年のイスラエル建国で、あるいは後の中東戦争で追放されたものの子孫だ。迫撃砲攻撃は、他のアラブ諸国よりシリアでより多くの市民権を持つそれらコミュニティの不確かな状況を際立たせた。例えば彼らは、政府の仕事に就き、財産を所有し、無料で国立大学に通うことができる。

暴力的衝突に連携する政府に対する抗議として、不偏は、維持するのがさらに困難になった。7月13日、政権部隊により抗議者10人が殺されて以来増加するヤルムークのデモンストレーションで、軍の暴力が、パレスチナ人の忠誠を反逆者たちの方にさらに押しやる兆しがあると、パレスチナ人活動家たちは語る。「その日以来、わたしたちは、脇に留まることがもはや選択肢でないと、とてもよく理解した」と、Hassanは語った。

「中立姿勢をとることで、パレスチナ人は安全を見いだしてこなかった」と、ベイルート・アメリカン大学の政治学教授、Hilal Khashanは語った。「代わりに彼らは、政権と、その反対派の激怒を引き出してきた」。

アサド政権が、パレスチナの権利の擁護者として自らを描いてきたので、問題はことさら微妙だ。

「アサドが、パレスチナ人の心と精神を失ったとする疑いは殆どない」と、米国に本拠地を置く民主主義防衛財団の政治評論家で、『ハマース対ファタハ:パレスチナの苦闘』の著者、Jonathan Schanzerは語った。パレスチナ人いくらかが、FSAに加わったとの報告があるが、彼らの数と動機は不明と、Schanzerは語った。

一方パレスチナ人は、政権と同様に反逆者からの増大する敵意に直面する。2月、イスラーム集団、ハマースは、暴動を支持してシリア政権との同盟を破棄した。6月後半、拷問の痕跡を帯びたハマースのスパイ、Kamal Ghanajaの遺体が、彼のダマスカスの家で見つかった。7月半ば、国軍のパレスチナ部隊、パレスチナ解放軍の徴集兵16人が、伝えられるところでは、アレッポ市近くで誘拐され殺された。どちらの事件の詳細も、闇に覆われたままだ。

政権の支援

パレスチナの党派すべてが、同盟を転じたわけでなかった。パレスチナ民衆の公式代表、パレスチナ解放機構は、ヤルムークに対する攻撃を非難したが、パレスチナの立場は、シリアに干渉しないことであると主張する。他の党派、ことさら、米国でテロリスト集団としてリストされるシリアで最大のパレスチナ組織、パレスチナ解放人民戦線-総司令部 (PFLP-GC) は、政権を支持する。

「PFLP-GCは、今通りをパトロールしているものたちに機関銃を配った」と、Hassanは語った。「彼らは、シリア治安部隊がデモンストレーションを抑圧するのを助ける。彼らは、襲撃を行ない人びとを逮捕して、後で彼らを諜報部門に渡す」。

政権の側につくことにより、PFLP-GCは、キャンプ内に緊張を増大させている。「ヤルムークの若者たちは、シリア人と並んで政権と戦いたいが、わたしたちの政治指導層は、立場をとることを拒絶する」と、ヤルムークの活動家、Jafraは語った。「彼らは、キャンプを護るためにそこにあると語るが、現実は、彼らが政権の命令を遂行していると、誰でも知っている。彼らは、わたしたちに対し、自身の党派を使用する」。

高められるパレスチナ関与のインパクトは、シリアのキャンプを越えて充分に達し得た。「多分、あるものは戦いに加わり、これに反してあるものは加わらず、パレスチナ人は分割されたままで、わたしたちは、彼らの多くが、国境に走るのを見るだろう」と、Schanzerは語った。

難民流出が、近隣のヨルダンとレバノンに、溢れ出る不安定を引き起こすかもしれないと、彼は主張した。レバノンのパレスチナ・キャンプは、知れわたるほどに不安定と看做され、ヨルダン人は、人口の80パーセントを占めるパレスチナ人に既に憤慨している。「ヨルダン人とレバノン人はいらいらしている」と、彼は語った。「当初、彼らの前途を心配するように見え、今、状況はますます複雑になっている」。

* 本名でない

原文:IRIN
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2012年08月17日

アムネスティ緊急アクション:刑務所看守らに虐待されるハンガーストライカーたち

ドキュメント - イスラエル・被占領パレスチナ領域:詳細情報:刑務所看守らに虐待されるハンガーストライカーたち

UA(緊急アクション)に関する詳細情報:119/12 Index: MDE 15/047/2012 Israel 日付:2012年08月10日

緊急アクション

刑務所看守らに虐待されるハンガーストライカーたち

行政拘留者、ハッサン・サファディとサメル・アルバルクは、それぞれ、2012年6月21日と5月22日以来、ハンガーストライキしてきた。彼らは、伝えられるところでは、7月30日以来、イスラエル刑務所業務 (IPS) 看守らにより、繰り返し虐待されてきた。彼らの健康は、8月2日、独立の医師により査定され、彼らは、ラムレ刑務所クリニックに提供できない長期的特別医療を必要とする。

行政拘留者、ハッサン・サファディサメル・アルバルクは、その弁護士たちと彼らを診察した医師に、彼らが、ラムレのIPSメディカル・センターでの彼らの房捜索で、繰り返し殴られ言葉により虐待されると語った。サメル・アルバルクは、7月31日のオフェル刑務所往復の移送でもまた、彼が攻撃されたと語った。ふたりは、トイレや他の日常的必要への到達のため使用を欠かせない、彼らの車椅子のスペースもない、通風の悪い小さな部屋に一緒に収容された。彼らの扱いは、彼らのハンガーストライキに対する懲罰としての、IPS看守らによる恣意的ハラスメントと屈辱であるように見える。

IPSは、裁判所命令によりそうするよう指示されなかったなら、独立の医師たちによる定期的訪問を許可しなかった。人権医師団-イスラエル (PHR-I) は、この悪習を告発し、Petah Tikva地方裁判所は、7月23日、ハッサン・サファディが裁決から2日以内に独立の医師の訪問を受けるべきで、サメル・アルバルクが8月1日までに独立の医師に診てもらうべきと裁決した。IPSは、遂に8月2日になされた、医師のアクセス1回を認めた。PHR-Iの医師は、IPS管理のいない診察遂行も、あるいは、拘留者ふたりのIPSの医療記録を見ることも許されなかった。医師は、ふたりが弱っており、ハンガーストライキが継続されるなら、あるいは、適切な医療管理なく食糧再摂取が開始されるなら、彼らの生命は危険に曝されると報告した。医師は、拘留者たちが週単位の診察を受けることを勧めた。ハッサン・サファディの健康が悪化してきたので、彼は、8月6日、彼がベッドに拘束(手枷か足枷、あるいは両方)されたままの、Assaf Harofeh病院に移送された。

ヘブライ語かあなた自身の言語で至急書いてください:

ハッサン・サファディとサメル・アルバルクが虐待されていることに懸念を表明し、イスラエル政府当局に、男たちを人道的に;拘束(手枷足枷)なく;ハンガーストライキのための懲罰をしないで;扱うことを保証するよう促し;

ふたりの虐待の報告への、迅速、徹底的、公平な調査を求め;

サメル・アルバルクが、彼の選ぶ医師による、あるいは必須の治療を提供するための専門設備を備えた民間病院への即刻の移送を含め、必須の適切な医療が提供されるよう求め;

犯したと認識し得る犯罪で即座に告発され、国際的公正裁判基準に従って裁かれないのであれば、ふたりと他の行政拘留者すべての解放を求める。

2012年9月21日前に、訴えを送るようお願いする送り先:(略:原文で)

全文:Amnesty International

アーカイヴ:弁護士:ハンガーストライカーが刑務所当局に攻撃される(08月10日)

追記:このboycottilの容量が100MBに達し、満杯となったので、Samidounによる「緊急警報:サメル・アルバルク、ハッサン・サファディ、アイマン・シャラウナの命を救うため今行動を!」を『オリーヴの庭から』に掲載、署名サイトにアクセスしています。
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2012年08月16日

親-パレスチナ活動家たちがヨルダン経由で西岸への「フライティラ」を試みる

2012年08月14日火曜日

PNN

Welcome to Palestine/Bienvenue en Palestine(パレスチナにようこそ)集団の親-パレスチナ活動家たちは、集団の先立つ「フライティラ(flotilla/小艦隊からの造語、海路でなく空路を使用するので:訳注)」が、2011年7月と2012年4月、その航空会社によりフライトを妨げられたか、テルアヴィヴのベン・グリオン空港でイスラエルに入国を阻まれた後、彼らが来週、ヨルダンから西岸に入る試みを計画していると語った。

現在、ヨーロッパ諸国いくつかと米国の男性、女性、子ども104人を数える活動家たちは、8月24日、アンマンに飛ぶだろう。彼らはその後、8月26日、国境検問所、キングフセイン橋(アラブ名:訳注)/アレンビー橋経由で、西岸に渡る計画と、集団は、8月14日火曜日の声明で述べた。

集団の報道担当は、彼らが、ベツレヘム知事、アベド・アルファタ・ハマイエルの招待で西岸に旅し、新学年の始まりで、再び学校が始まるパレスチナの子どもたちに文房具を持っていくだろうと語った。

先立つ「フライティラ」で、活動家何百人ものイスラエルからの追い払いに続き、イスラエル、ヘリツィリアのグローリア・センター副所長で、元クネセト(イスラエル国会)政治顧問、Greg Romanは、アル・ジャジーラの「Inside Story」に、「わたしがいつの日にかパレスチナなるだろうことを望む領域に、彼らが行きたいなら...彼らは、ラファ検問所経由でガザに入るか...あるいはアレンビー橋で入り得る...選択肢があった」と語った。

PNNへの声明で、報道担当は、イスラエル政府関係者により「推奨される」検問所、ヨルダン国土を彼らは使用するだろうと述べた。

(略)

報道担当は、前にパレスチナに到達しようとした活動家たちは犯罪者でないと指摘した。彼らは、「これらふたつの機会に、テルアヴィヴ空港に到達できたこれらイニシアティヴの参加者すべてが、穏やかに列に並び、パスポートを示し、彼らの目的地と動機について真実を伝えた」と語った。

(略)

前の「フライティラ」で、ベン・グリオン空港にたどりついたそれら活動家たちが、パレスチナを訪れる意志を発表し、そして、「パレスチナにようこそ」報道担当は、彼らもまた、今回ベツレヘム訪問の意志を述べるだろうとPNNに認めた。

彼女は、「求められるなら、わたしたちの短期の滞在中、わたしたちがイスラエルに行くつもりはないとの声明に署名する準備さえ整っている」と語った。

全文:Palestine News Network

アーカイヴ:イスラエルが「flytilla」活動家追放で特殊部隊動員(04月16日)
     :イスラエルが親-パレスチナ「フライティラ」活動家たちの国外追放開始(2011年07月14日)


 どのような展開になるか愉しみ。もう100MBに限りなく近いと思うので、この展開が掲載できるかどうか確かではないけれど... それにしても、Greg Romanのラファ検問所の認識は、わたしのとだいぶ違う。ラファ検問所を取り仕切るのはエジプトで、開閉はエジプトの気分次第...
posted by mizya at 18:16| Comment(1) | TrackBack(0) | report | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする