2009年04月30日

ギネス記録更新

2009年4月29日、ベツレヘム
 5月1日、パレスチナ政治犯、ナエル・バルグーティは、政治犯としての投獄最長記録保持者となる。それまでの記録保持者は、2008年8月25日に釈放された仲間の政治犯、サアイド・アルアタバ、イスラエル監獄で31年と26日を過ごした。
 バルグーティは、1957年ラマッラに生まれ、1978年4月4日、21歳で逮捕、イスラエル軍事法廷は終身刑を科した。彼が自由だった時より既に10年も長く刑務所にいる。
 全文:Ma'an News Agency


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ビリンの壁の新ルート

2009年4月28日、Mondoweiss
 先週の、西岸ビリンでのデモ参加者殺戮がもたらした効果:イスラエルは今、700ドナム(約180エーカー)の返還を計画しているが、1000ドナムはマティチャフ・イーストという入植地を拡張するために依然確保するつもりでいる。
 その入植地は、開発業者にしてダイアモンド商、ニューヨークのマディソン通りに店を構える、しかし世界中からボイコット圧力がかかるレヴ・レヴィーヴにより建設されることになっている。
 イスラエルの新たな計画も国際的是認は受けないだろう。アベ・ハイームによるガーディアンの記事は、EU政府にレヴ・レヴィーヴとの商いをしないよう求めている。
 全文:Mondoweiss
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ノルウェー政府と銀行が入植地建設会社に出資

2009年4月28日、The Electronic Intifada
 西岸とガザのイスラエル占領に加担するビジネスから引き上げるよう求める企業への圧力が強まる中、ノルウェーの3銀行と年金基金が、そうした企業のひとつに出資していたことが明らかになった。

 ノルウェー経済監視団(ウォッチドッグ)、ノルウォッチは、3月末、ノルウェー政府年金基金が、アフリカ-イスラエル投資会社に85万ドルを出資していたと発表した。アフリカ-イスラエル投資は、国際的持株投資会社で、不動産・建設業や基盤整備・エネルギーあるいは産業部門に関連する領域を扱ってきた。イスラエル企業王、レヴ・レヴィーヴが、社長会議の議長である。アフリカ-イスラエルは、国際法を犯す西岸へのコミットメントにより、パレスチナ連帯活動家によるボイコット・キャンペーンの対象となっている。建設会社、ダニア・セブスへの出資を通じ、西岸のいくつもの入植地建設に関わってきたのである。また、最大のイスラエル入植地、マアレ・アドミンに支社をおく不動産会社アングロ-サクソンのイスラエル特権を通じ、多くの入植地でアパートや家屋を提供している。

 被占領西岸のビリン村は、イスラエルの壁と入植地建設に反対する非暴力デモを毎週4年以上も続けてきた。このビリン村のリーダーは、4月21日、ノルウェー政府年金基金に宛てた手紙で「レヴ・レヴィーヴのアフリカ-イスラエルは、わたしたちの村の土地にイスラエル入植地を建設しており、オリーヴ畑とパレスチナに正義と和平を求める希望を打ち砕いています」と書く。ビリン村は、ノルウェーの政府と人びとに、レヴ・レヴィーヴと関係する事業を終結する決然たる歩みに踏み出すよう求めている。

 まだまだ続くので続きは:The Electronic Intifada

 関連記事:guardian.co.uk
 この記事は、テルアヴィヴのイギリス大使館がしてしまった(?)レヴ・レヴィーヴの持ちビルに入る契約を撤回するよう求めている。
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2009年04月29日

マスメディア風に「ゴム石」

 バシム・アブラフメを撃ち殺した「弾丸型」催涙弾は「ゴム皮膜」が施されていたと伝えられている。「ゴム皮膜」はイスラエルの「人道的配慮」として喧伝されるが、ゴム皮膜弾でも死者を出しているし、ゴム皮膜弾故、体内に留まって死に至るケースも多い。ニッポン・マスメディアは「ゴム皮膜金属弾」を「ゴム弾」と矮小化するから、倣うなら「ゴム石」、「人道的配慮」を施したパレスチナ少年たちの武器。
 ニューヨーク在住のパレスチナ美術家、ニダ・シノクロトのインスタレーション、『ゴム皮膜石』、2003年、ヒューストン、The Station で開催された「Made in Palestine」出品作

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2009年04月28日

遺跡保存をめぐるパレスチナの苦闘



 関連アーカイヴ:カナダで開催される「死海文書」展(4月14日)
ラベル:遺跡保存 考古学
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彼の名はバシム

2009年4月20日
 彼の名はバシム、「笑み」の意、どれほど彼はそれを投げかけたことだろう、みんなに。でも彼は象、「フィール」と呼ばれた。象のように大きかったから、でも子どものこころを持つ。

「壁と入植地に反対するビリン市民委員会」モハマド・ハティブによる弔辞、下手な翻訳で「だいなし」にしたくないから原文で:

His name was Basem

His name was Basem, which means smile, and that is how he greeted everyone. But we all called him ‘Pheel’, which means elephant because he had the body the size of an elephant. But Basem had the heart of a child.

He loved everyone, and because of his sweetness and ability to make us laugh, everyone loved him. Basem was everyone’s friend: the children talk about how he would play with them, scare them and then make them laugh. He would tend the garden in the playground and bring toys and books to the kindergarten. The old ladies in the village talk about how he used to visit, to ask after them and see if they needed anything. In the village, he seemed to be everywhere at once. He would pop in to say hello, take one puff of the nargila, and be off to his next spot. The morning he was killed he went to the house of Hamis, whose skull had been broken at a previous demonstration three months ago by a tear gas canister projectile - the same weapon that would kill Basem.

Basem woke Hamis and gave him his medicine, then off he went to visit another friend in the village who is ill with cancer. Then a little girl from the village wanted a pineapple but couldn’t find any in the local stores. So Basem went to Ramallah to get a pineapple and was back before noon for the Friday prayers and the weekly demonstration against the theft of our land by the apartheid wall. Pheel never missed a demonstration; he participated in all the activities and creative actions in Bilin. He would always talk to the soldiers as human beings. Before he was hit he was calling for the soldiers to stop shooting because there were goats near the fence and he was worried for them. Then a woman in front of him was hit. He yelled to the commander to stop shooting because someone was wounded. He expected the soldiers to understand and stop shooting. Instead, they shot him too.

People came to his funeral from all the surrounding villages to show Basem that they loved him as much as he had loved them. But those of us from Bil’in kept looking around for him, expecting him to be walking with us.

Pheel, you were everyone’s friend. We always knew we loved you, but didn’t realize how much we would miss you until we lost you. As Bil’in has become the symbol of Palestine’s popular resistance, you are the symbol of Bil’in. Sweet Pheel, Rest in Peace, we will continue in your footsteps.

― Mohammad Khatib, member of the Bil’in Popular Committee Against the Wall and Settlements

 原文所在:Bil'in, a village of Palestine

 追記:全文日本語訳
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バシムとアシュラフ

アル・ジャジーラ
注意! 顔面が血液で覆われたトリスタン・アンダーソン負傷の映像を含む

アル・ジャジーラ
 バシムを撃ち殺したキャニスターを手にしているのでその大きさが判る映像を含む

ロイター
 パレスチナ人権活動家が、バシムの兄弟、アシュラフと会い、「目隠しされ後ろ手に縛られた状態で撃たれた男」こそ彼(アシュラフ)だった、と知ったと、これはメールで届いた情報。

 アーカイヴ:EU議会副議長がビリンのデモに加わる(4月27日)
       催涙弾画像(4月27日)
       ビリン村でのデモ(4月18日)



posted by mizya at 13:17| Comment(0) | TrackBack(0) | video | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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