2009年05月17日

ヘリコプターが往く空の下でテニスする-テルアヴィヴのビーチで

マッツ・スベンソン
テルアビブ

 留まるべきかか、知らない。テルアビブの南、バット・ジャムのビーチの遅い午後、 涼しい風が吹き、わずか数人の中年男たちが泳いでいる。一組はビーチでテニス、犬が歩いている。シーフードは素晴らしく美味しく、それに白ワイン、 ここに、すてきな日曜の午後。
 そしてヘリコプターの音を聞く。 3機のヘリコプターが北からゆっくり近づき、ビーチテニスをしていたふたりがちょっと止めて、大きな鳥たちを見上げる。何か言って、鳥たちが過ぎ去る前に、テニスを続ける。 まもなく、もう2機やって来たが、もはや誰も反応しない。5機のヘリコプターが重いロケットを運ぶ。既に南に向かった5個のロケット(爆弾)、テルアビブの南、小さな回廊、ガザへ。
 続きは:counterpunch
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国連が「秘密拘留センター」でイスラエルに圧力

2009年5月15日
反拷問委員会は、「施設1391号」における拷問の「すべての拘留者」申し立てが調査されることを求めている
 国連反拷問委員会は、金曜日、イスラエルが秘密の拘留施設と情報を開示するよう、そしてそのような尋問センターを閉鎖するよう求めた。イスラエルは、今までのところ、そのようなセンターの存在の主張に反駁してきた。
 イスラエルの調査にあたり、イスラエルが「赤十字国際委員会、あるいは拘留者の弁護士や近親者の接近も不可能な確定できない場所」にある「施設1391号」を維持しているとの申し立てに、10人の専門家が立ち会った。
 金曜日に発表された結論で、委員会は、イスラエルが「設立された他のそうした施設と機関の存在を調査して開示」すべき、と語った。
 回答書で、イスラエルは、施設の維持も容疑者尋問での使用も否定した。
 全文:Ynetnews.con
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「希望」コンヴォイにわずかな遅れ

2009年5月15日、ガザ
「希望」コンヴォイのオーガナイザーは、エジプトに到着、エジプト政府が問題なくラファゲートを通過させるよう望んでいる。
 コンヴォイの旅程が修正されたと、ガザ封鎖解除ヨーロッパ・キャンペーンの代表、アラファト・マディは語った。「人道的コンヴォイの目的にエジプトの理解はある」と「しかし、コンヴォイがガザに到達する前に、完了しておくべき確実な手順がある」
 ガザへのこのコンヴォイは小さくない:ヨーロッパの国会議員と活動家、12台の救急車と何十もの医療品積載の車を含む。 3年前のガザ封鎖の始まりから、コンヴォイ・コーディネータ、ラミ・アブドは、人道支援を得るため、諸国を行脚した。
「既にカイロに到着したヨーロッパの国会議員がいて、ガザに向かおうとしている。コンヴォイは、医療機器と、ことさら視覚・聴覚障害者のための現代器機が積まれた何十も軽トラック、同様に医療設備が整った12台の最新の救急車が含まれる。コンヴォイは、ヨーロッパの個人とNGOからの寄付の賜物」
 ガザ封鎖解除ヨーロッパ・キャンペーンは声明を発表し、エジプト政府に望むことは、コンヴォイがラファ・ゲートを通過できること「現在までのところ、コンヴォイはエジプトで障害に直面していない」と強調した。
 声明はさらに「これは医学的コンヴォイであり人的交流である。ラファ・ゲートを通るコンヴォイの入域を容易にする適当なエジプト官僚との接触もあり、現在までのわたしたちに利用しうる指標は楽観的だ。」とした。
 封鎖を解くのは、正しい方向への一歩、ヨーロッパ・キャンペーンは「ガザの再建のために、物資に通り道が開かれること、そして封鎖下にあるパレスチナ人への人道支援導入は緊急となった」と強調した。
 全文:Palestine News Network

 アーカイヴ:「希望」コンヴォイが金曜日、アレクサンドリアに到着(5月16日)
        Free Gaza Movement 『希望船艦』2009年6月(4月29日)
       フリー・ガザ『希望船艦』への支援と、イスラエルによる封鎖打破に支援を!(4月06日)
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ナクバをヘブライ語で言うと?

2009年5月14日、Palestine Monitor
 ナクバ、アラビア語、災厄を意味する。 しかし、パレスチナ人にとっては「大災厄」。 それは1948年5月14日、何十万ものパレスチナ人が、自らの国にいながら、あるいは建国されたばかりのイスラエル境界の外で、難民になった日を表す。

 昨年、パレスチナは、永久に失われた国土の67%を悼んで、大災厄60周年を記念した。平和の具体的見通しなく、残された土地に-しかし後に占領された-国家の創設なく、難民帰還権の解決なく、そしてガザと西岸のイスラエルの占領をもう1年目撃することによって。
 ナクバの祝賀はここで寂しく信じがたく繰り返される。今日、2009年、わたしたちは、公正で持続可能な和平に向けた確実な進展なく、大追放の61周年を記念する。
 そして、追放のもう1年を記念するもうひとつの蝋燭が加わるのは、パレスチナ人にとって堪え難い。毎年のパレスチナのナクバにジャーナリストが参加することも、同一の見解から、変わることもなく、すべきことばかり多いのもやはり堪え難い。
 今年、わたしたちは「反対側」へもっと掘り下げ、イスラエル人が彼らの歴史の一部であるナクバの認知/不認知を理解すると決めた。
 エイタン・ブロンスタインはイスラエルユダヤ人で、長年、イスラエルでの市民教育とパレスチナとイスラエル平和活動組織の共同に携わり、2つの共同体の認識と相互理解を提起している。
 最近、彼はイスラエルユダヤ人の集団記憶にナクバを含め責任を取ることは平和な共棲の達成に必要な一歩と信じる故、Zochrot、イスラエルユダヤ人にパレスチナのナクバへの関心を高めることを目指すイスラエル組織で仕事する。
 インタヴューはここ:Palestine Monitor
ラベル:ナクバ
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