2009年08月16日

米国領事館:イスラエルが「PA専用」ヴィザを発行

2009年08月15日、 ベツレヘム、Ma'an

 エルサレム米国領事館によると、イスラエル国境当局は、パレスチナ自治政府支配地域のみの旅行を許可する入国ヴィザの発行を始めた。

 今週、領事館のウェブサイトに、イスラエルの政策変更と、アレンビーとベングリオン国際空港の両方の係官により取られる所見に基礎を置くと、日付なしで掲載された。
 領事館の「国境越え」区分に詰め込まれ、『新たなパレスチナ自治政府地域オンリー・スタンプ』と題された記入は、先月全般を通じ、非パレスチナのアメリカ、フランス、イタリア、ヨルダンの旅行者からMa'anへの、イスラエル係官が新しい入国査証を発行し始めたとの先立つ報告で確認された。

「西岸に繋がりがあると示すか、あるいは西岸への旅を計画する者は誰も、グリーン・ライン内イスラエルへの入域が(ベングリオンの場合、戻ることも)許可されないこのスタンプを得るかもしれない」と、ウェブサイトの記入に読める。このヴィザはまた、イスラエルが「併合」を発表した1967年以来継続的に占領されたままの、パレスチナ東エルサレムへの旅をも排除する。

 驚くことに、領事館の記入は、その政策に対し無力で、外交官が、西岸外の旅から、例え西岸内のパレスチナ自治政府が支配するカントン(州、といえるほど大きくない、西岸では、まあ、支配飛び地)間でさえ排除され、弱められたスタンプでレッテルを貼られた米国市民を支援すると期待できないと付け加えた。
「領事館は、一度得たこのヴィザ変更の手助けはできない;西岸のイスラエル連絡事務所のみ手助けできるが、それをするとは思えない」と記入は述べる。「旅行者は油断なく、入国に際しては、受けるスタンプに注意を払うべきである」

原文:Ma'an News Agency

アーカイヴ:アレンビー検問所でパレスチナ当局ヴィザ発行(08月11日)

 米国領事館に何もできないとしたら、この国の大使館にも何もできない。入国に際し目的地を尋ねられたなら、間違っても「ベツレヘム」などと言ってはいけない、テルアヴィヴ、ハイファ、せいぜいがナザレか。ベツレヘムに行けなくなる?
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2009年08月15日

イスラエル軍、アル-ワラジャを奇襲、建設資材を奪う

2009年08月12日水曜日、ベツレヘム、Ma’an

 目撃者によると、イスラエル軍は、水曜日、西岸南部の村、ベツレヘムに近いアル-ワラジャを奇襲、建設資材と設備を押収した。

 イスラエル国境警察、正規軍兵士ら、エルサレム自治体チームが村に侵入し、ハーリド・ハララ所有の建築中の建物を取り囲んだ。
 イスラエル兵員らは、3階建て600平米に設計された建物の屋根建設に使われるレンガと補強鉄筋を押収した。

 ハララの甥、スレイマンは、近くのハル・ギロ入植地に住んでいる入植者らが、(建築中だった)建物に対し「家からの景観を台無しにする」と主張、陳情したので、イスラエル当局が工事を止めたと非難した。彼は、彼のおじが、イスラエル裁判所に工事続行を許可するよう請願を提出したと説明した。 公聴会が木曜日に予定されていたが、9月まで延期されたと、彼は語った。

全文:Ma'an News Agency

 丘の樹木を根こそぎにして、必ず丘のてっぺんに建設される幾何学的で要塞のようなユダヤ人入植地の方が、どれほど景観を破壊しているかしれない。盗んだ土地に心の痛みもなく住まう、精神の腐敗と相まって、醜悪きわまりない。
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イスラエルの入植者・兵士らは団結して、ジャーナリストを標的に、報道の自由を抑圧

2009年08月13日、ナブルス/PNN

 今週前半に、パレスチナ人は南ナブルスで土地のためのデモをした。

 イラク・ブリン市民は、彼らの土地、何百エーカーをも強奪しようとする西岸ユダヤ人過激入植者の目論みに抗議して、村を行進した。

 アルジャジーラ・クルーを含むメディアがデモの取材で居合わせた。3人の入植者が、カメラマンのハッサン・ティーティを攻撃した。彼らはカメラをつかもうとして、ティーティの手に怪我を負わせた。別の入植者は、写真家のアブダル・ラヒム・クシニを攻撃した。 同時にイスラエル兵は、クシニの助手、アシュラフ・アブ・シャウィシュを攻撃した。 何人かの兵士らが、ジャーナリストを取り囲み、パレスチナのデモが行われていた場所から立ち去るよう強要した。

 兵士と入植者らは、パレスチナ人メディアに対する攻撃で、しばしば共同するが、10月、西岸南部ヘブロンで、5人のジャーナリストを病院とメディカル・センターに送った事件は、入植者らのみの行為だった。

 Palestinian Center for Development and Media Freedoms(パレスチナ開発と報道の自由センター)は、どちらの事件も非難する声明を発表した。

原文:Palestine News Network
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南アメリカでのJNFの存在がパレスチナでの不正を永続させる

2009年08月13日、The Electronic Intifada
Rahela Mizrahi

 皮肉でなしに、破壊されたパレスチナ村の土地は、Jewish National Fund (JNF/ユダヤ国民基金)によって収用され、南米解放革命の英雄たちに捧げられた。

 1901年の始まり以来、JNFは、パレスチナ人追い立てとその土地の植民地化で重要な役割を演じた。ユリ・デイヴィスがその著書『アパルトヘイト・イスラエル』に記したように、1953年のユダヤ国民基金法と、1961年のイスラエル政府・JNF間の契約は、個人所有のパレスチナ財産を「国有化」する、イスラエルの合法アパルトヘイト・システムの中心である。

 このような歴史にもかかわらず、JNFは、さらに人種差別主義のシステムを確立し、イスラエルの二重犯罪:パレスチナの民族浄化、アラブ世界全体にわたる詐欺とテロによるアラブ系ユダヤ社会の破壊とアラブ起源ユダヤ人のパレスチナへの移送、の印を消すため、彼らが資金調達するボリビアとベネズエラの首都に事務所を置く。

全文:The Electronic Intifada

アーカイヴ:イスラエル、不在者財産法のもと土地没収を激化(05月16日)
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2009年08月14日

ガザへのサイクリスト、検問所で拒絶

2009年08月11日火曜日、BBC NEWS

学生は、やけどの犠牲者のための治療費を工面し、イギリスからガザまで何千マイルも自転車をこいだ - ただ検問所でガザ入りの拒絶にあうためだけに。

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Gearoid O'Cuinnはガザへの旅で他のライダーに加わった

 ノッティンガムの学生、Gearoid O'Cuinnは、イギリスから中東まで、集団と共に自転車をこいだが、イスラエル当局に、ガザへの境界で追い返された。
 しかしながらO'Cuinnは、ヨーロッパ横断の道のり、チームは寄付を受け取ったのだから、旅は無駄ではなかったと語った。

全文:BBC NEWS
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イスラエル:人権団体の動機に疑問

2009年08月13日、AlJazeeraEnglish

Human Rights Watch(HRW)は、1月のガザ攻撃で、無法に11人のパレスチナ市民を殺したことで、イスラエル兵士を避難した。『ガザで白旗を掲げ殺された市民』は、パレスチナ人に対するイスラエルの行動を避難するHRWの5カ月で3番目の出版となる。

批判に対する反撃で、イスラエル政府はどうやら人権擁護団体を疑うキャンペーンを開始した。
アルジャジーラのダン・ノーランがエルサレムから報告する。

http://www.youtube.com/watch?v=V-h-MGF7vFo

関連:Human Rights Watch報告書(PDF)『白旗の死』はここ

アーカイヴ:イスラエル、ガザでの「イスラエル防衛軍犯罪」を暴くグループへのイギリス基金を標的にする(08月03日)
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ナハレルバレド再建開始

第1段階、150の再建に1年かかるだろう
Michael Bluhm
2009年08月12日水曜日、Daily Star

ベイルート: 土建業者は間もなく、2007年中頃の闘いの最中、ナハレルバレド難民キャンプで破壊されたパレスチナ人家屋再建の基礎を据えると、国連救済事業機関(UNRWA)の職員は、火曜日、Daily Starに語った。再建努力の最初の部分;およそ500家族の家屋を含む150の構造物部門;は完成に1年が見込まれ、2007年5月、衝突勃発以来ほぼ3年となる来年夏、難民家族が家に戻れることを意味すると、ナハレルバレドのUNRWA計画責任者、チャールズ・ヒギンズは語った。レバノン軍とファタハ・イスラム民兵との3カ月以上の戦いは、表向きには、3万1000人以上のパレスチナ難民の住まいだったキャンプを真っ平らにした。

全文:The Daily Star
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