2009年11月24日

ガザに盲目が

パレスチナで、若いジャーナリストが、地域の物語を漫画で語る意向を示すと、同僚たちは笑った。20年後、ジョー・サッコは、劇画形式で世界をリードする代表のひとりだ…

レイチェル・クック
2009年11月22日日曜日

sacco-001.jpg写真: Richard Saker
ジョー・サッコ:先月ロンドンのピムリコで

 彼の本で、ジョー・サッコは、彼自身を常に同じ方法で描く:こぎれいで引き締まった、小さなバッグを斜めに掛け、手にはいつも手帳。一見して読者は、困難な質問をするばかりでなく、しかし、他の者すべてがあきらめて家に帰った後でさえ彼らに尋ね続ける、彼を駆り立てるありそうもない組み合わせ、彼がリポーターであり、潔白な外国人と理解する。この黒と白の描線に、あなたはまた、確かな張りつめた肉体的敏捷性を感じる。問題があれば、彼は走り出す準備ができているようにみえる。
(後略:あまりに長過ぎて)

Footnotes-in-Gaza.jpg432p、 Jonathan Cape Ltd、18.00ポンド
『ガザの脚注』ジョー・サッコ

全文:guardian.co.uk
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パレスチナ自治政府:国連がイスラエルに秘密刑務所を認めるよう望む

2009年11月23日

ラマッラ - Ma'an - パレスチナ自治政府の政治犯部局大臣によると、国連は、報道機関に「イスラエルのグァンタナモ」と呼称される、秘密捕虜収容所1391の存在を認めるよう、イスラエルに公式要請を送った。

 イッサ・カラケ大臣は土曜日、ラマッラでの記者会見で、国連が、イスラエル政府に、施設の存在を公式に認めるよう、書簡で要請したと語った。

 国(イスラエル)に、条約義務の下の定期的再審理がやってきた時、国連拷問反対委員会で人権専門家は、イスラエル閣僚に施設について問いただしたと、ロイターは報じた。

 またイスラエルは、今年の早い時期、1391について議論するという国連の要求を断り、イスラエル閣僚は、間接的に施設の存在を認めた。元イスラエル法務大臣(現在ガザで捕らえられた兵士解放の交渉担当官)、Dan Merridorは、その場所を知ってはいるが、訪ねたことはないと、Haaretz紙に語った。
(後略)

全文:Ma'an News Agency
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パレスチナ:独自の郵便制度管理を設ける

2009年11月19日木曜日

ラマッラ - Ma'an - スイスのベルンで開催された国際事務局との会談が成功裏に終わり、万国郵便連合(UPU)により、パレスチナは(国際)郵便番号が割り当てられた、と情報技術省は水曜日、発表した。

 連合への使節団を率いたマフムード・ディワンは、再開される時手段が独立したパレスチナ郵便制度の保証を促進するし、イスラエルの制度とは異なると語った。現在、外国から西岸やガザに宛てた郵便には、イスラエル「気付」とか「経由」と掲示しなければならない。西岸域内か、西岸からガザに小包が送られる場合のみ、「パレスチナ」の表示が受け入れ可能だった。
「万国郵便連合は、パレスチナと他国間での直接の郵便のやりとり促進を目指す、一連の決定と方法を採った」と、ディワンは、会議から戻る時語った。
 ディワンによれば、1948年以来、国連団体のUPUは、パレスチナ郵便番号の採択が、パレスチナに、開発資金や専門的技術組織へのアクセスを与えると語った。
(後略)

全文:Ma'an News Agency

 パレスチナ美術家との交流展に長らく関わってきたから、国際郵便の制度を使って、パレスチナに作品を送ることも多かった。いつも「イスラエル経由」と記さなければならなかった。「経由」と記すこと自体、イスラエル宛ではないことの証明だから、ぞんざいな扱いを覚悟しなければならない。
 纏めて、パレスチナ美術家のひとりがアンマンに出かけ、そこから東京に送られた、パレスチナ作家の作品を展示する展覧会を終え、パレスチナに送り返す場合、「おそらくイスラエル郵便局が中身を開いてまで確認しないと思われる」300g以内に小分けして、5つか6つの「小型包装物」に作り、「イスラエル郵便局が開く意欲を失うように」幾重にも交点に結び目をつくりながら麻ひもで結わえ、別の郵便局から日を違えてひとつづつ、「イスラエル郵便局に確実に届けなければならないと圧力をかけるため」包装物が確実に届いたと確認する(受信者の署名を求める)国際郵便はがきを添付するために書留で送ったものだった。もちろん、作品が届けばパレスチナ作家から連絡が入る。この「受信確認はがき」は、殆どの場合、ぼろぼろになって、2、3ヵ月かそれ以上経って郵便受けに入っていた。えっ、イスラエル郵便局は、はがき1枚、船便で送ってきたの? これって航空便の代金が含まれているのじゃない? このはがきを添付するために何百円か支払っているのだから...
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ニューヨーク・メッツとテロ・ビジネス

アーロン・レビット
The Electronic Intifada
2009年11月20日

 ニューヨーク・メッツが、Citi Fieldで、非営利ヘブロン基金のために、占領下西岸、ヘブロンのイスラエル入植者を支援する資金集めパーティを主催すると、初めて知った時、わたしは正直、冗談と思った、それもお粗末な。これが現実の計画されたイヴェントとわかったとき、わたしはまだ、殆ど信じがたかった。というのも、この地域の和平の展望において、入植地拡大の破壊的影響は脇に置くとしても、わたしは不幸にも、繰り返し直接、ヘブロン基金の努力の成果を見てきたからだ。

 2005年と2006年の夏の間、2008年には一時的に、わたしは、何週間か、ヘブロン基金により支援されている、ベイト・ハダッサの家とテル・ルメイダ入植地、ヘブロンのテル・ルメイダ区域で、人権監視員として仕事をして過ごした。その期間、わたしは「アラブ人にガスを」とか「ファーティマ、我々はすべてのアラブ女をレイプする」といったようなことを述べる、人種差別的落書きに出くわした。わたしは、入植者らが、小学校に登校する幼いパレスチナの少女たちに石や土の塊を投げつけるのを;通りを歩くパレスチナ人たちに人種的侮蔑のことばを叫ぶのを; 静かにそれぞれの本分を心にかける、パレスチナの子どもたちと(時折)大人たちを、押したり、蹴ったり、唾を吐きつけるのを;そして、入植地のバルコニーから、パレスチナの家々や住人に大きな石を投げ落とすのを、繰り返し観察した。
(後略:長いので)

全文:The Electronic Intifada

アーカイヴ:メッツにヘブロン入植者を支援しないよう言って!(11月14日)
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