2010年01月06日

Viva Palestina:緊急署名

ガザ大虐殺から1年後
エジプトと米国にViva Palestinaへの攻撃をやめるよう言ってください!
コンヴォイをガザに入れよ! 封鎖を今、終わらせよ!


ニューヨーク市:緊急デモ
水曜日 - 午後4時30分
エジプト領事館から国連へ
(44th St. & 2nd Ave)


請願に今すぐ署名をhttp://www.iacenter.org/palestine/vivapalestinapetition2010

 エジプト公安警察は、ガザに向かう、3番目のViva Palestina人道救援コンヴォイの500人のメンバーへの、残忍で積極的な強襲に着手した。何十人ものコンヴォイ・メンバーが負傷し、何人かは見当たらないと報告されている。500人のコンヴォイ・メンバーと150台の車輌は現在、アル・アリーシ港にあり、そこで、彼らは、2000人のエジプト暴動鎮圧部隊に囲まれている。 エジプトの行動は、イスラエルの米国資金での1,400人以上のガザのパレスチナ人大虐殺の1年後にやってきた。
(後略)

メール(で届いたのでリンクなし):International Action Center
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反壁政治犯

aicvideo
2009年12月30日

Stop the Wallキャンペーンの調整者、ジャマル・ジュムアは、12月15日の真夜中、イスラエル治安部隊により逮捕された。彼の家を捜索した後、彼の妻に向けられた兵士の別れのことばは、あなたが再び夫とまみえるのは、捕虜交換によってのみ、というものだった。

それ以来、ジュムアは拘留されたまま、なぜ逮捕されたのか説明もない。

aicvideo

アーカイヴ:ジャマル・ジュムアのもう12日間(2009年12月25日)
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「ガザ封鎖を終わらせよ!」-テルアヴィヴのデモンストレーション

yisraelpnm
2010年01月02日

ガザでの戦争から1年
責任が問われないまま封鎖は続き
1,400人が殺され、その殆どは市民
恐ろしい破壊が無差別になされ
ゴールドストーン報告はイスラエルにより戦争犯罪が犯されたと断罪した

戦闘は止んだが、封鎖は続き、ガザが大きな刑務所に変えられた
ガザは世界から切り離され、ガザの人びとは家族から同国人から切り離される

デモンストレーターの要求:
ガザ封鎖を終わらせよ!
責任者は法廷に立て!

(映像画面クリックでYouTubeにつながり、原文にアクセス可能)

yisraelpnm

 イスラエルを護っているのは、政府でもなければ軍隊でもなく、少数派とも呼べないほどささやかな、あまりにもささやかな、彼ら、デモンストレーションの参加者たち。西エルサレムでのデモは、リンゴかなんかぶつけられたんだ、確か、圧倒的多数のシオニストの何人かに(英語の記事の数秒の拾い読み、おまけに、はやのみこみ、違っていたならご容赦)。
 思い出すなあ、新宿での「麻生政権打倒」デモ、やはりドラムを打ったっけ、わたしが打ったのはダルブッカだったけど。
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穏健派ヨルダンがイスラエル・ボイコットを拾い上げる

2010年01月03日

 イスラエルとの和平協定を結ぶ、関連してイスラエルとの国境解放を(限られたものとはいえ)維持するヨルダンが、その正体を現し、反イスラエルのボイコットの余地を増大させ、ハシミテ王国からイスラエル生産品を止めようとしている。

 厳しい国策に沿って、ヨルダン農業大臣は、国で見いだされるいくつかのイスラエル生産品の出自をたどるべく仕事をしており、法律は輸入品の原産国表示ラベルを義務づける。

 大臣の行動は、アンマン・エルサレム間に存在する貿易協定に反するが、非公式の政策がイスラエルからの輸入品を可能な限り制限することにあるように見える今、アブドラ国王二世からの憤慨や反論のいかなる叫びもありそうにない。

原文:Yeshiva World News

 イェシヴァ(ユダヤ教宗教学校のこと、多分)のことばが示すように、これはシオニスト側からの記事:「その正体を現し」とか、「限られたものとはいえ」(制限しているのはイスラエルの方ではないのか)といったことば使いに、また、首都名を政体の代名詞とするのに、国際社会が認めていない「エルサレム」を使うことで、このサイトの立ち位置が判る。
 1967年まで、ヨルダンは西岸を、エジプトはガザを支配してきた。合衆国の支援を受けていることも共通していて、だから、イスラエルとの協定に署名したたったふたつのアラブ国家である。パレスチナ問題は、いずれにしろ、アラブ諸国に利用されてきたが、現在、エジプトとヨルダンのイスラエルとの対応には距離がある。ヨルダンはエジプトより小さい国だが、ガザ支援コンヴォイを通過させ(それも往復)、エジプトは、殆ど砂漠のシナイ半島の通過さえ「安全保障上の問題」として通過を拒絶した。エジプトは小国、ヨルダンほどの「独立」さえ確保されていない。
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