エルサレム (AFP) - 米国の一流建築家、Frank O. Gehriは、中傷者(このことばが適当とは思わないけれど、原文がこうなので)が古来のイスラーム教墓地の上に建設されていると語る、エルサレムの寛容博物館計画から撤退するつもりと発表したと、金曜日、Haaretz紙は述べた。
新聞は、彼が、ナチ・ハンター、サイモン・ウィーゼンタール・センターにより建設される博物館の、計画と財政的不一致で辞任したと述べた。
イスラエル最高裁判所は、当初工事を差し止めたが、2008年10月に、博物館が古来のイスラーム教墓地の一部に建設されると訴えた、ふたつのイスラーム教徒組織による告訴を拒絶した後、許可を与えた。
判決で裁判官は、1960年に、自治体が墓地の一部を駐車場にした時、異議は提出されなかったと指摘した。
しかしHaaretzは、最高裁判事長官、Dorit Beinischが、木曜日、その領域に裁判所を設立する(? するため?)計画を中止する決定をしたと報じた。
新聞は、Gehriの決定とBeinischによるそれが、古来の墓地に関する論争に関連するのかどうか言及しなかった。
原文:Yahoo! news
アーカイヴ:イスラエル自治体:「寛容博物館」のためエルサレムで300のイスラム教徒の墓を掘り返す(2009年07月19日)
サイモン・ウィーゼンタール・センター(SWC)には「借り」がある。『シャヒード、100の命』展を日本に招聘した時、SWCは、助成基金に、展覧会助成から撤退するよう脅しをかけてきた。曰く「シャヒードというのは『自爆テロリスト』だ、知っているのか?」。シャヒードは、アラビア語の「見る」を語源にする「見たもの」、見たが故に見たことを証言できるもの、「証し人」の訳語を付けた。第二次インティファーダが始まって、イスラエル軍により殺された最初の100人の遺物のインスタレーションが『シャヒード、100の命』展だった。
国際的に化粧品を販売する企業のふたつの基金は、SWCの「ボイコット運動を展開する」との脅しに屈し、基金の名称は引き上げたが、助成金は既に入金されていたし、正当な審査委員会で助成が決定されていたので、助成金を引き上げたりはしなかった。もうひとつの、仏教の基金は、ボイコットの対象になる商品もなかったので、屈することなく、SWCに『自爆テロリスト』は含まれていない、日常生活の中でイスラエル軍に殺されたパレスチナ市民ばかりなのだと、繰り返し説明したらしい。
ナチ・ハンター、SWCも、当初の役割は最早終えたのだから解体すればいいようなものなのに、最近は、イスラエル批判をインターネット上で探しては文句を言っているらしい。
追記:『シャヒード、100の命 - パレスチナで生きて死ぬこと』amazonで販売中