2010年01月17日

EU議員代表団がガザに入る

2010年01月15日金曜日

ガザ - Ma'an - ヨーロッパ議会メンバーは、包囲された回廊の、昨冬のガザへのイスラエルによる攻撃、カスト・リード作戦の余波の状況を査定するため、金曜日、ラファ検問所経由で、ガザに到着した。

「55人のEU議会人の代表団は、イスラエルの戦争で破壊された領域をツアーする2日間の訪問中である」と、事実上の封鎖終結委員会は語った。

(後略)

全文:Ma'an News Agency

関連記事:「イギリス議員はガザ封鎖を『邪悪』と語る」Ynet news.com

ガザ訪問を導いた、ジェラード・コーフマンは、イスラエル当局が戦争犯罪で裁かれるべきと語る
AP通信
2010年01月15日

 イギリス労働党議員は、ガザ回廊を訪問していて、イスラエルとエジプトにより、ハマース統治領域(に課された)封鎖が「邪悪」と語る。

 ジェラード・コーフマンはまた、イギリスの親-パレスチナグループによる、昨冬のガザへのイスラエル戦争に関わったイスラエル政治家に対する、逮捕状発行の試みを支持すると話した。
(後略)

アーカイヴ:50人のヨーロッパ議員団がガザ訪問(01月14日)


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東エルサレムのラリーで左派13人が拘束

ユダヤ人の接収に反対する週1回の抗議行動の拘留者の中にイスラエル市民権協会代表

Ronen Medzini
2010年01月15日

 イスラエル市民権協会代表、Hagai Eladを含む、13人の左派活動家が、金曜日、東エルサレムのシェイフ・ジャッラ地区のラリーで拘束された。

 およそ70人のアラブ人とユダヤ人左派が、この地区の家屋のユダヤ人による接収に反対するデモンストレーションで、毎週の抗議に参加した。抗議者たちにより掲げられたボードは、「追い立てに反対するユダヤ人とアラブ人」を含んでいた。

 警察官は、彼らが、許可のないラリーの散会命令を無視したので、何人かのデモ参加者が拘束されたと語った。
 しかし、抗議者のひとりは、Eladが、現場で警察官に近づき、彼らと話そうとした後、拘束されたとYnetに語った。

(中略)

 別のデモンストレーターはまた、抗議行動は平和的で、道路封鎖を含んでいなかったと主張した。
「わたしたちは、静かに集まり、静かに抗議行動した」と彼女は語った。「わたしたちは、それら家屋に近よりさえしなかったし、そのようなラリーは警察の許可を必要としない。警察は、わたしたちが左派とアラブ人だから、抗議を沈黙させたがっている。彼らは、右翼活動家らをこのようには扱わない」。

 似ている、どっかの国の警察と。

全文:Ynet news.com

アーカイヴ:東エルサレムのイスラエル入植地は平和への真の脅威(2009年12月21日)
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道路網遮断がShufa村で喉輪を絞める

2010年01月15日

roadblock-400x300.jpg
Shufa村への入り口の土盛り

 Shufa村は、村への入り口に、新たな道路遮断が築かれ、厳しい道路アクセスと配電網接続がないことで、もがき続けている。

 イスラエル占領軍は、1週間前、軍が、遮断を閉じることにより、その時々で、村へのアクセスを制限したり禁じたりできるよう、Shufa村の入り口に、新たな道路遮断を築いた。
(中略)

 Shufa村は、半分に分けられ、道路遮断とアパルトヘイト道路によって隔離された。 村の低い半分は、ツルカレム市からほぼ8kmだが、村人は、1kmもない隣人まで、丘をのぼって運転することはできない。土盛りとコンクリート・ブロックが、嘗ては村の2つの半分を繋いでいた「入植者専用道路」に延びる短い区間へのアクセスを止める。

 丘の上に位置する村の部分は、6年間、すべての道路へのアクセスが拒絶された。現在、たったひとつ開かれている道路は、ツルカレムの反対側で、村人は、8km離れた市(ツルカレム)に到達するため、検問所を通って、22km旅しなければならない。遮断された道路は、過去8年間で、たった3日半、開かれただけだ。深刻な移動制限と遅延は、赤三日月社の救急車へのShufaへの出入りアクセス拒否のため、村に、少なくても3つの死をもたらした。

(後略)

全文:International Solidarity Movement

 2003年12月だから、ほぼ6年前、エルサレムからベツレヘムに向かうと、ベツレヘムの入り口に画像と同じ、道路遮断の土盛りが築かれていた。土盛りの前でタクシーから荷物を降ろし、この土盛りを荷物と共に越えなければならなかった。この時は、ベツレヘムに作られる美術単科大学の図書室のために、アラビア語の美術書をアンマンとダマスカスで求めて(多くの美術館・画廊が寄付してくれた)それを運ぶ旅だったから、本を抱えて、何度もこの土盛り越えを繰り返した。この土盛りは、土だけでなく、コンクリートやアスファルトの固まりで凸凹していて、レジ袋のようなものが半分埋まり風にはためいて、有刺鉄線ならぬレザー・ワイヤーが不安定に設置され、危険きわまりない。幹線に輸送トラックが止められ、水のペットボトルが入っているらしい段ボール箱が、ひとつづつ、人の手で土盛りを越え、ベツレヘム側に止められた車輌に運び込まれていた。
 少し離れた高台に数人のイスラエル兵、こちらを伺っていた。
posted by mizya at 14:40| Comment(0) | TrackBack(0) | report | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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