2010年01月15日
Shufa村への入り口の土盛り Shufa村は、村への入り口に、新たな道路遮断が築かれ、厳しい道路アクセスと配電網接続がないことで、もがき続けている。
イスラエル占領軍は、1週間前、軍が、遮断を閉じることにより、その時々で、村へのアクセスを制限したり禁じたりできるよう、Shufa村の入り口に、新たな道路遮断を築いた。
(中略)
Shufa村は、半分に分けられ、道路遮断とアパルトヘイト道路によって隔離された。 村の低い半分は、ツルカレム市からほぼ8kmだが、村人は、1kmもない隣人まで、丘をのぼって運転することはできない。土盛りとコンクリート・ブロックが、嘗ては村の2つの半分を繋いでいた「入植者専用道路」に延びる短い区間へのアクセスを止める。
丘の上に位置する村の部分は、6年間、すべての道路へのアクセスが拒絶された。現在、たったひとつ開かれている道路は、ツルカレムの反対側で、村人は、8km離れた市(ツルカレム)に到達するため、検問所を通って、22km旅しなければならない。遮断された道路は、過去8年間で、たった3日半、開かれただけだ。深刻な移動制限と遅延は、赤三日月社の救急車へのShufaへの出入りアクセス拒否のため、村に、少なくても3つの死をもたらした。
(後略)
全文:
International Solidarity Movement
2003年12月だから、ほぼ6年前、エルサレムからベツレヘムに向かうと、ベツレヘムの入り口に画像と同じ、道路遮断の土盛りが築かれていた。土盛りの前でタクシーから荷物を降ろし、この土盛りを荷物と共に越えなければならなかった。この時は、ベツレヘムに作られる美術単科大学の図書室のために、アラビア語の美術書をアンマンとダマスカスで求めて(多くの美術館・画廊が寄付してくれた)それを運ぶ旅だったから、本を抱えて、何度もこの土盛り越えを繰り返した。この土盛りは、土だけでなく、コンクリートやアスファルトの固まりで凸凹していて、レジ袋のようなものが半分埋まり風にはためいて、有刺鉄線ならぬレザー・ワイヤーが不安定に設置され、危険きわまりない。幹線に輸送トラックが止められ、水のペットボトルが入っているらしい段ボール箱が、ひとつづつ、人の手で土盛りを越え、ベツレヘム側に止められた車輌に運び込まれていた。
少し離れた高台に数人のイスラエル兵、こちらを伺っていた。
posted by mizya at 14:40|
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