アミラ・ハス
(長いので概略のみ)
12歳のバッサムの何かが、2人のイスラエル人の微笑みをさそった。
パレスチナ人は、微笑を、2人のイスラエル人の、単にイスラエル人の誰かでなく、軍事裁判所判事が、いかにおかしな状況かと気づいたまれな瞬間と見なした。
脚の周りの鎖がぶつかってガラガラ鳴り、身につけた囚人服があまりに大き過ぎたその少年がよろめきながら入廷するのを見たとき、叫びを抑えた3人のイスラエル人が出席していた。 オフェル軍事裁判所を収容するキャラバンをいつも訪ねる彼女たちがいなければ、バッサムに起こった出来事も、隠された詳細となった。
2009年12月21日月曜日の午後、バッサムは14キロ離れた別の村に住むおばを訪問しようと(乗り合い)タクシーを2回乗り継いで、残りを歩くことにした。近道してパレスチナ人には禁止されているが、彼らの土地に建設された道路の下の小さなトンネルに向かった。イスラエル国防軍兵士がオリーヴ林から飛び出してきて「来い、来い」と彼を呼ぶので「怖くなって逃げた」が兵士らに捕まってしまった。「彼らはぼくに耳栓して目隠ししてプラスチックの手錠(結束ベルト)をするとジープに放り込んだ。アラビア語を話すひとりが「訊かれたら石を投げたと言うんだぞ」と言ったけど「ぼくは怖くて何も考えられなかった」とバッサムは2週間後、家で語った。
最初の場所で2時間留め置かれ、次の場所で警察捜査官が「443号線で石を投げたか」と訊くので「ぼくはハイと言った、だってジープの中でイスラエル兵がぼくにそう言ったから、でも443号線が何か知らなかった。投石器を使ったことがあるかどうか訊かれたので、投石器って何か訊ねたら説明してくれたから、ないと言った」
12月22日午後3時頃、法廷を収容するキャラバンで、バッサムにつけられたDCI (Defence for Children International)の弁護士、Iyad Miskは、彼を知らなかった。裁判官、Major Shimon Leiboが入廷したとき、Miskは、バッサムが、立たなければならないと知らないと思い「立って、立って」と、弁護士席から言った。バッサムは驚きで彼を見つめ「でもぼく、立ってるの」と言った。Leibo裁判官は、それを聞き、見て、微笑んだ。
全文:Haaretz.com
ラベル:軍事裁判所