2010年02月18日

イスラエル兵士らが東エルサレムの衝突でニュース写真家に発砲

2010年02月11日

 東エルサレムのシュアファト難民キャンプでの、主要なイスラエルの軍事作戦を取材に行ったおよそ10人のジャーナリストは、2月8日と9日、催涙弾、スタン弾、ゴム弾を発砲するイスラエル兵士らの標的となった。

「すべてが、イスラエル兵士らが、故意にジャーナリストに発砲したと示す」と、国境なき記者団は語った。「そしてこれは、1回目のありようからかけ離れている。イスラエル当局は、兵士らに許された刑罰免除を止めるだろうか? わたしたちは、イスラエル軍が調査しその責任を罰するよう主張する。さもなければ、この種の恥ずべき事件は繰り返され続けるだろう」。

 多くのジャーナリストが、2月8日、難民キャンプでのイスラエルの捜査・逮捕作戦の取材中に負傷させられた。主要な軍事配備が始まったとき、衝突は、キャンプへの主要入り口検問所近くの若いパレスチナ人とイスラエル兵士らの間に起こった。

(負傷者リストの翻訳省略:原文で)

全文:UNHCR Refworld

アーカイヴ:シュアファト:抑圧の3日間(02月13日)
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イスラエルの軍と警察が税金を強いるためエルサレムのパレスチナ領域を襲撃

2010年02月15日月曜日
Ghassan Bannoura - IMEMC

イスラエル警察軍は、月曜日、イスラエル兵士らと共に、住民に税金支払いを強要するため多くのパレスチナ地区を攻撃した。

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先週月曜日のシュアファト難民キャンプの軍勢

 エルサレム旧市街に近いパレスチナ難民のためのシュアファト・キャンプで、店舗所有者は、襲撃の抗議でその店を閉じた。店舗所有者は、例え彼らがイスラエル国家発行の必要な書類を持っていたとしても、警察が架空の税金と罰金を人びとに強要すると語る。

 住民たちは、イスラエル国家はエルサレムのパレスチナ住民に、彼らが支払わなければならない税金に見合うだけの公共事業を提供していないと付け加えた。

 地元メディアは、ことさらエルサレム旧市街に近い、他のパレスチナ地区も、今日、標的にされたと報じた。

 あるケースで、税務警察は、パン屋所有者に、西岸都市から来た原料を所持するとして、4万540米ドルの罰金を課したと、地元筋は報告した。

(後略)

全文:International Middle East Media Center

アーカイヴ:シュアファト:抑圧の3日間(02月13日)

 10年ほど前(1999年)、エルサレム、シェイフ・ジャッラの美術センターで日本作家のグループ展を開催したことがある。作品を国際運送会社を使って送った。送り先がイスラエル(を経由するパレスチナ)だったから、運送会社のくせに「できるだけ持っていって欲しい」と泣き言を言った。ニッポンの画廊で展示するなら何万円かの金額を記す作品を1点10ドルということで送ったと思う。ニッポンを発つ前に、作品が少なくてもベングリオンに到着したと、運送会社が知らせてきていた。展示に数日を確保していたが、作品は、オープニング・セレモニーがまさに始まろうとする7時になってやっと届いた。作品はなかなか届かなかったが、税金の請求書は速やかに届いた。「いくら?」と訊くと「膨大だ」と、パレスチナを代表する美術家であるセンター長は応えた。ヘブライ語の請求書だから、3項目の税金の内訳は知る由もなかった。そんな時、イスラエル人がセンターを、というより、センター長を訪ねてきた(彼には「追っかけ」グループがあると、ひとから聞いていた)。彼は「この項目を翻訳してくれないか」と、税金の請求書を彼女の前に取り出した。彼女は税金の項目を説明しながら、当惑を隠しきれないようだった。ことさら第3の項目は、第1、第2の税金の合計の14%(だったかな、何しろ10年以上も前のことだから)とかいうもので、彼女も「イスラエル」の商売上手をあらためて知った瞬間だったかもしれない。わたしは作品を10ドル(実のところ材料費にも遠く及ばない金額だったけれど)にしておいてよかったなあとしみじみ思った。
ラベル:イスラエル軍
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ヘブロンの丘の3つの村

Palestine Monitor
2010年02月15日

入植者暴力。 干ばつ。 イスラエル軍との緊張。 貧困。 ヘブロンの丘のパレスチナ人は、問題の公平な負担に遭遇してきた。Palestine Monitorは、ヘブロンの丘に位置する3つの村の現在の状況に光を当てる。写真はすべてBrady Ngによる。

 At'tuwaniは、西岸のヘブロン南東の小さな村だ。およそ200人が住むAt'tuwaniは、ことばの真の意味で、農業の村だ:水は井戸からくみ出され、電力は発電機で夕暮れから午後9時頃まで供給される。 At'tuwaniは、ユダヤ人入植地Ma'onとイスラエルの前哨基地Havat Ma'onに挟まれ、入植者らは、住民に嫌がらせするため日常的に村に入り - 村人のロバを殺したり、学校への途中で子どもたちを怖がらせたりする。

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丘の中腹の村、At'tuwani
Photo: Brady Ng

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入植者の暴力の拡大で、At'tuwaniでは学校に通う子どもたちさえ免れることはできなかった。結局、イスラエル軍は、TabaからAt'tuwaniまで子どもたちにエスコートを提供することに同意した。皮肉にも、同じ兵士らが夜、村に侵攻する。子どもたちは兵士らを、保護者と、あるいは弾圧の行為者と考えるだろうかと思いまどうばかり。
Photo: Brady Ng

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石を投げる... 群れを集めるために、傷つけようというのじゃなく。
Photo: Brady Ng

全文と画像16枚:Palestine Monitor
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