2010年03月02日

「イスラエルアパルトヘイト週間2010」

NoApartheid
2010年02月12日

「イスラエルアパルトヘイト週間2010」の公式予告

デザイン・カメラ・音響:カナダ・ヨルダンの同士
音楽:チェックポイント 303 (http://checkpoint303.free.fr/)
スピーチ:エドワード・サイード/エルネスト・ゲバラ
国際的スケジュールの完全版:http://www.apartheidweek.org

NoApartheid



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エジプト人とインタナショナルズが地中壁反対集会

2010年02月28日日曜日

カイロ、2010年2月28日、(Pal Telegraph; by Max Ajl) - (中略)

 イヴェントはエネルギーで満たされた。ひとりの参加者は、仲間のデモンストレータ2人に支えられて、暴動障壁の上によじのぼり、障壁の上で危なげにバランスをとりながら、殆ど飛び降りそうで、呼びかけ応答抗議を主導して叫んだ:「ホスニ・ムバラク? 誤っている!」そしてとっても違法。 「ガマル・ムバラク? 誤っている!」「投獄? 誤っている!」

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 デモンストレーターの多くは、パレスチナ旗を掲げ、首にクフィーヤを巻きつけた。主催者のひとり、モハメド・アブ・シャルフは「デモンストレーションは」いかなる政党とも直接提携していない、むしろ、壁への狼狽 - あるいは憤激 - のより大衆的表現として「市民社会によって組織化された」と説明した。

 参加者たちは「ムバラクを倒せ、壁を倒せ!」や「ムバラクの恥辱の壁を止めろ」と読める、アラビア語と英語のプラカードを掲げた。ひとつは、世界的にアナキスト運動の伝統的色、赤と黒で書かれた「アナキズムの時、ために」と辛みを効かせた。2年にも満たない民主化運動、4月6日行動のメンバーのように、エジプトの小さな社会運動闘志もまたそこに居て、書類を販売した。

(後略)

全文:The Palestine Telegraph

アーカイヴ:レバノン活動家がエジプトの「恥辱の壁」を標的にキャンペーンを開始(01月24日)
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報告:イスラエルが審議なしに旧市街の改修を計画

2010年02月28日

エルサレム - Ma'an - エルサレムのイスラエル自治当局が、ひとりのパレスチナ人職員ともエルサレム資産所有者とも最初の審議のないまま、旧市街の、街灯から広場まで、通りと路地の一連の変更に影響する計画をしていると、カイス・ナセル弁護士は説明した。

 イスラエル占領下領域での承認されていない変更は、西岸の宗教施設を「国家遺産遺跡」と主張する、日曜日のイスラエル政府発表に続くもので、過去と現在のパレスチナ住民に関する聖地で、ユダヤ人の歴史を最優先させようとするシルワンと旧市街での継続的発掘で、既に燃え盛る火に油を注ぐ。

(後略)

全文:Ma'an News Agency

アーカイヴ:ネタニアフ:西岸の遺跡を国家遺産に追加(02月22日)

 建国以来イスラエルは、パレスチナを掘り続けてきたけれど、未だ古代イスラエルの遺跡を見つけていない。四国より大きく九州より小さい面積なのだ。60年掘り続けて何も見つけ得なかったのだから、これからもみつかることはないだろう。
 このような記事を読んで、わたしが思い出すのは『聖書アラビア起源説』、レバノンの地名学者がサウジアラビアの地名の本を取り寄せ、その地名を調べていると、その地名がことごとく旧約聖書に出てきていることに気づく。「エデンの園」さえ地名として残っている。その地域を掘ったなら古代イスラエルの遺跡がみつかるだろうと筆者は記す。バビロン幽閉から解放された後、古代ユダヤ人たちは祖国が荒れ果てているのを見いだし、新天地を求めてパレスチナに移ったのだろう。何百年か過ぎ、モーセ5書のギリシア語訳が始まる、もうユダヤ人もヘブライ語を読めなくなっていたから。ヘブライ語からの翻訳者たちは当時ユダヤ人が住んでいたパレスチナに当てはめて翻訳をしたから、特定されない地名も多いが、そうした地名がサウジアラビアには残っている、というのだ。
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パレスチナ人カフェオーナーが「ユニフォーム禁止」で脅迫に直面

2010年2月27日
Tim King、Salem-News.com

それはイスラエルの平和へのいかなる関心もほぼ完全に信じ難いという観念を示す。

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ハイファ、ヒレル通りのAzadレストラン

(ハイファ/SALEM) - すべての苦難にも関わらず、イスラエルと被占領地に暮らすパレスチナ人は、生きていく方法を見つける。政治的人種的緊張と恐怖の中で時々、彼らは良く暮らす方法を見つけさえする。これは「Azad」というハイファのレストラン・カフェの公正な記述に違いない。

 ハイファは、アラブ人とユダヤ人が平和に共存していることで知られるイスラエル北部唯一の都市だ。(中略)

 アラビア語で「Azad」は「自由人」あるいはシンプルに「自由」を意味する。 「ここはすべての人種・宗教の人びとが入ることができる非常に平和な場所だ。いかなる問題もなかった」とその 情報筋は、Salem-Newsに語る。

(長いのでかいつまんで)

実際、Azadは平和的雰囲気を持っており、軍ユニフォームを来た人びとの入店を禁止するポリシーを持っている。地元の警察官さえ戻らされ、私服でやって来るならすべて歓迎される。
「ハイファは、あまりに多くのイスラエル国防軍や警察を見ることのない、いたって穏やかな港湾都市だ」。

米国海兵隊員の時、わたしは戦闘服を身につけて一般の店に入ることなど許されていなかったから、わたしにとって、これは目新しい発想ではない。

(もう翻訳に飽きてきたのでもっとかいつまんで)

この平和の雰囲気を持つクールなレストラン・カフェが、今や、閉店、暴力、殺人予告にさえ直面している。
というのも、甘やかされて育ったとおぼしき若い兵士が「ユニフォームを着ていると言って入れてもらえないんだ、おとうちゃ〜ん」と父親に電話、父親が警察に電話してパトカー派遣を要請、ハイファ警察が到着して店から説明を聞き、違法性は何もない、物理的暴力を受けた訳でもないから告訴はできないと兵士に説明した。

腹の虫がおさまらなかったこの兵士は、イスラエル・メディアに電話、イスラエル・メディアが、この店の閉鎖を求めるキャンペーンに至った。(最大にかいつまんで)

全文:Salem-News.com
posted by mizya at 11:21| Comment(0) | TrackBack(0) | article | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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