Chaim Levinson
活動家バシム・アブ・ラフメが、ビリン村近くの抗議行動で催涙弾により殺された1年後、軍検察当局は、彼の死を調査しないと決めた。
ビリン住人、アブ・ラフメは、2009年4月17日、村近くに建築された分離フェンスに反対する抗議に参加した。イヴェントを撮ったフィルムが、何人かのデモンストレーターが近づいた地点と、兵士らが彼らの方向に催涙弾を撃ち始めたことを示す。
アブ・ラフメは、撮影していたアーティスト、デヴィッド・リーヴの隣、かなり後に立っていた。兵士らにより、およそ30メートル離れたところから発射された催涙弾のひとつが、アブ・ラフメの胸を撃ち、大規模な体内損傷引き起こし、彼はその場で死んだ。
事件はみっつの異なるヴィデオカメラによって撮影されていた。アブ・ラフメの家族は映像を、それら画像に(弾道)断面を記し、兵器の交戦規則に反して手榴弾が直接アブ・ラフメに発射されたと結論づけた、弾道学専門家たちに送った。
事件直後、人権組織、B'Tselemと家族は、イスラエル国防軍に、軍警察の調査を申請した。
イスラエル国防軍は、日曜日、最終的に声明を発表するまで、1年もの間、決定を遅らせた。「我々は、申し立ての事件について、説明のため軍高官に接見してきた。我々が受け取った資料を調べ、我々は、催涙弾が直接アブ・ラフメに向け発射されたとの主張に、見いだされる根拠は全くないと信ずるに至った」と声明に読めた。
(中略:イスラエル軍の嘘にまみれた可能性を翻訳する時間がもったいないので、省略部分は原文参照)
家族の弁護士、マイケル・スファードは、この決定は、イスラエル内部の調査が信頼されることができないと示すと語った。
「軍検察当局の決定は、わたしたちがイスラエルの法執行に依存できず、国際的に監視された調査が必要とするゴールドストーン委員会が正しかったという、より残念な証明を提供する」と彼は語った。「調査しないと決めるだれかは、すねに傷持つだれかなのだ」。(後略)
全文:
Haaretz.comアーカイヴ:
彼の名はバシム(2009年04月28日)
posted by mizya at 17:02|
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