2010年11月30日

拷問を可能にし占領を促進するヴォルヴォ設備

David Cronin
Electronic Intifada
2010年11月24日

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Merkavimウェブサイトのプロモーションヴィデオは、武装バスに乗り込むイスラエル兵士らを示す。

 ヴォルヴォは、頑丈、安全、信頼性の典型と誇っている。イスラエルへの車輌メーカー出資の慎重な調査後、おそらく、それはまた、拷問を可能にすると同義となるべきだ。

 このスウェーデン企業は、イスラエル企業、Mars囚人バスのメーカー、Merkavimに26.5パーセントを直接投資している。このバスは、被占領西岸とガザ回廊で捕らえられたパレスチナ人を、イスラエルの国際的に認められた境界内に輸送する、イスラエル囚人当局による使用のため特別に設計された。 Merkavimの残りは、イスラエルでのヴォルヴォの独占的代理として笑いが止まらないMayer's Cars and Trucksにより所有されている。

(略)

 ヴォルヴォ報道担当、Per-Martin Johanssonは、スウェーデン社団法人は提携企業がすることを「制御できない」と語った。「囚人輸送車輌は、世界中のあらゆる国に見られる」と、彼は付け加えた。「これらバスが、イスラエルで特別なのではない。囚人が逃亡しないことを確実にするため、あらゆる国でそれらを必要とする」。(しかしすぐわき上がる疑問、それら占領地専用に設計されたバスが、イスラエル国内の囚人輸送に、果たして使われているのだろうか - mizya)

 Johanssonの声明は、ヴォルヴォが名目上委ねる高い倫理基準と際立つ対照をなす。2003年に、ヴォルヴォ理事会は、企業の「行動規範」に賛成した。それは、企業が「国際的に宣言された人権と、人権抑圧に共謀していないと確実にすること」を支持すると述べる。

 そのコードにも拘らず、ヴォルヴォは、製品がイスラエルの弾圧ツールとして使用されているという頻繁な告発に直面してきた。今年4月、イスラエル軍は、パレスチナ村、アル-ワラジャでの、ヴォルヴォブルドーザで軍事行動するのを撮影された。軍は、2004年、計画を違法と宣言した国際司法法廷により発表された見解にも拘らず、イスラエルが西岸の占領の土地に建設を続ける大規模壁に関連する作業を実施していた。東エルサレムと、より広域な西岸での、パレスチナ人家屋破壊におけるヴォルヴォブルドーザ使用も、ヴォルヴォがいかに占領から利益を得るかに光をあてることで貴重と証明する、Electronic Intifadaの投稿者、Adri Nieuwhofの仕事で同様に記録された。

(略:長い)

全文:Electronic Intifada

アーカイヴ:ヴォルヴォ:イスラエル入植者に武装バス供給(2009年10月10日)
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『わたしたちの来歴』DVDリリース

Palestine Monitor
2010年11月25日

イスラエル-パレスチナ闘争の一方的分析生成の後、ムスタファ・バルグーティ博士の『わたしたちの来歴』は、占領と民族浄化の歴史に関するパレスチナ人の見解を最終的に提供する。

 熱心な国際的歓迎と映画封切りに続き、『わたしたちの来歴』は、1948年から今日までの占領と立ち退きを図表する、パレスチナの歴史の完全正確な報告を提供する。ガザ戦争の衝撃的報告を特集し、映画は、パレスチナ-イスラエル闘争の陰の語られざる真実を知りたいと願う誰にとっても是非見るべきものである。

クリップをご覧ください:


映画のDVD版注文:palestineourstory@gmail.com
電話:+972 599 9 400 73

原文:Palestine Monitor
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2010年11月29日

ラビンの息子がイスラエルの和平イニシアティヴ提出

2010年11月26日

ユヴァル・ラビンと実業家、Koby Hubermanは、2002年のアラブ和平イニシアティヴへの応答を提案する:「故国の2つの首都」エルサレムと共に、1967年境界に基づくパレスチナ国家。
Akiva Eldar

 故イツハク・ラビン首相の息子、ユヴァル・ラビンは、イスラエル和平イニシアティヴ (IPI/Israeli Peace Initiative) 、2002年のアラブ和平イニシアティヴへの応答を提唱するため、実業家で社会活動家、Koby Hubermanと提携した。

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彼の父親、故イツハク・ラビン首相の公式追悼式典のユヴァル・ラビン。
Photo by: Israel Government Press Office

 ウェブサイト、bitterlemons.orgに公表された記事で、ラビンとHubermanは、APA (アラブ和平イニシアティヴ - APIのミスタイプ - mizya) への応答に代えて、イスラエル政府が、闘争を終わらせる平行的提案 - IPIを提示することにより「イエス」と言うべきと提案した。

(略)

 詳細なIPI提案はすぐ、英語、ヘブライ語、アラビア語で発表されるだろうし、概説された原則は以下の通り:

1. 1967年境界に基づく実行可能なパレスチナ国家と1対1土地交換
2. 故国のふたつの首都としてのエルサレムと聖なる窪地での特別協定
3. パレスチナ国家内の難民の同意される解決策 (象徴的例外で)
4. 前提条件ではなく交渉の結果としての2国家の正真正銘の国家帰属意識の相互承認
5. アラブ市民のための市民的平等に関する1948年のイスラエル独立宣言の基礎となる原則の繰り返し
6. 国際的構成要素との長期の安全保障措置。

(略)

全文:Haareta.com

 パレスチナ国家外のパレスチナ難民を忘れろと?
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「希望への道」人道コンヴォイがガザ到着

2010年11月26日金曜日
Saed Bannoura - IMEMC & Agencies

「希望への道」人道コンヴォイは、支援物資で満たされた車輌30台と、今年5月、活動家9人を殺戮した自由小艦隊に対するイスラエルによる攻撃を乗り切った8人を含む、人道支援活動家101人を運び、木曜日、ガザ回廊に到着した。

road_hope.jpg
Image presstv.ir

 エジプト当局は、コンヴォイを妨害しようとしたが、残りの通過を許す前、コンヴォイメンバー3人にガザ入域が許された。

 支援コンヴォイは、最終目的地、ガザに向かう前、エジプトに向けて、フランス、スペイン、モロッコ、チュニジア、アルジェリア、リビアを横断した。

 コンヴォイは、エジプト当局が、エジプトを陸路横断させる許可を与えなかったので、リビア-エジプト国境で、9日間、立ち往生させられた。この問題は、コンヴォイ組織者に、エジプトに向け航行するギリシア船を雇わざるを得なくした。

(略)

 Press TV特派員、Hassan Ghaniとの、土曜日の別のインタヴュで、希望への道コンヴォイのケン・オキーフは、それら事情について説明した。

 コンヴォイが、船長に、支払いがなされた証拠を提供した事実にも拘らず、彼の口座の金を確認するまで待たなければならないと船長は語った。

 口論の後、船長は、船を海に動かし、そして、コンヴォイ所有物のいくつかを取り戻し、船長が立ち去ってしまわないよう確実にするため、船に乗り込むことができた集団メンバーの何人かが、連れて行かれた。

「わたしたちは誘拐された」と、オキーフは語った。船長は「いろいろな法律に違反した。リビアに戻ったなら、彼は刑務所行きになっただろう。ギリシア船籍だったので、彼はギリシアに行き、そこはより好意的と彼は知っていた」。

 支援スタッフ10人 - イギリス人7人、アイルランド市民2人、アルジェリア人1人 - が、リビア人警察官や港湾上級係官数人同様、乗船していた。
 船がギリシア海域に入った時、ギリシア特攻隊が乗り込んできた。

「イスラエルのと対照的に、これら特攻隊は、全くプロフェッショナルだった。彼らは、非常に正確に、非常に道徳的に、わたしたちに対応し、わたしたちを非常に正当に扱った」と、オキーフは語った。

「この時点で、ギリシア当局は、わたしたちがこのように扱われるべきでないと気づいた。わたしたちは誘拐され、大切にされるべきだった」と、彼は付け加えた。

(略)

全文:International Middle East Media Center

関連記事:「エジプトが『希望』活動家9人の入国拒否」The Palestinian Information Center
2010年11月24日

カイロ、(PIC)-- エジプト当局は、ヨーロッパ支援コンヴォイ「希望」組織者に、ガザ回廊への支援貨物を輸送する途上で、同道の活動家9人のエジプト入国を許可しないだろうと伝えた。
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トム・ハンダルの本の資金集めキャンペーン開始

Trolley Booksは、2003年、ガザで殺された若いイギリス人フォトジャーナリストで平和活動家、トム・ハンダルの写真と文章に基づく本の資金集めキャンペーンに乗り出した。

オリビエ・ローラン
2010年11月26日

 トム・ハンダルは、2003年4月に、パレスチナの子どもたちを安全に移動させる間、頭を撃たれたとTrolley Booksは語る。彼は9カ月後、ロンドン病院で死んだ。

 ハンダルは、若いフォトジャーナリストで平和活動家で、書籍『残っている唯一の家 - トム・ハンダル中東日誌』は、彼の日記と詩からの個人的文章同様、彼への発砲に向け走り抜けた数週間の写真のすべてを含むだろう。書籍は、ロバート・フィスクにより序文が書かれることになっている。

 書籍の出版財源に、Trolley Booksは、Indiegogoオンラインプラットホームを使い、8週間の資金公募キャンペーンを開始している。Indiegogoは、ハンダル・プロジェクト支援者が5ポンド以上いくらでも担保しうるだろう、報酬のための担保社会プラットホームだ。「例えば25ポンドの担保は、事実上、書籍1部の事前発注で、支援者は印刷されたなら最初に受け取るだろう」と、Trolley Booksは語る。

(略)

全文:British Journal of PHOTPGRAPHY

アーカイヴ:「戦争犯罪人」リークがイスラエル社会の核心に一撃(11月25日)
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イスラエルがベドゥイン村破壊で非難

2010年11月25日

 アムネスティ・インタナショナルは、7月以来7回目となるイスラエル南部でのベドゥイン村破壊に続き、イスラエル当局を非難した。

 先月の先立つ破壊の後、ネゲヴのアル-アラキブ村住人が建設した当座しのぎの家屋は、11月22日、イスラエル土地行政により、押し潰された。すべてイスラエル市民である住人は、再び暴動警察により追い立てられた。

「わたしたちは、彼らが何世代にもわたって住んできた土地から、アル-アラキブ住人を強制的に追い立てる目論見のこれら繰り返される破壊を非難する」と、アムネスティ・インタナショナル中東・北部アフリカ局次長、フィリップ・ルターは語った。

(略)

全文:Amnesty International

アーカイヴ:アル-アラキブ破壊の陰に何があるのか:ネタニアフとアハラノヴィチの戦い(10月04日)
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2010年11月28日

パレスチナ解放機構がナフレル-バレド再建に200万ドル寄付

2010年11月23日
ベイルート

 パレスチナ解放機構は、レバノン北部のナフレル-バレド(難民)キャンプの再建設に200万ドルの新たな寄付を発表した。

 この機会に、レバノンのPLO代表、アブダッラ・アブダッラ博士は語った:「この寄付は、ナフレル-バレド同胞への、そして彼らの必要性へのわたしたちの献身を反映する。それはまた、自由かつ主権国家、パレスチナへの彼らの帰還に向けた第一段階として、ナフレル-バレド難民たちが再建された家に帰ることへの、PLOとマフムード・アッバス大統領の支援を証明する」。

 UNRWAとパレスチナ難民への、惜しみない支援をPLOとアッバス大統領に感謝して、UNRWAレバノン業務代表、Salvatore Lombardoは語った:「わたしは、ナフレル-バレド再建への貢献で、PLOに非常に感謝している。これは、パレスチナ人とレバノン人の安定と、追加資金援助が重要な再建自体への更なる貢献である」。

 この寄付で、パレスチナ自治政府は、2008年、ウィーンで、ナフレル-バレドのために誓約した1000万ドルの最初の貢献を果たしてしまうだろう。現在、キャンプ再建設完成に、パッケージ3のためだけで1000万ドルがまだ必要な、2億800万ドルが、まだ要請されている。

(略)

全文:UNRWA

アーカイヴ:UNRWAがナフレル-バレド再建の詳細な計画を要請(09月10日)

 ギリシアに次いで経済破綻が懸念されるアイルランド政府が、国際支援金の削減を打ち出した。アイルランドで即刻起こったのが、削減に反対する署名活動だった。各政党代表に「削減反対」の書簡が届くように設定されたその嘆願書に、わたしも署名した。そして、主要にはやはり「削減」に反対する政党からのものだったが、「これからも削減に反対して活動を続ける」内容の返信が届いた。
 ニッポンでは、この国が大変なのに何故外国に支援するのか、といった議論になりやすい。世界の超大国、米国に使われる膨大な「思いやり予算」が議論となるならともかく、貧国に向かう僅かの支援が問題となる。アイルランドでは「最貧国がかこつ困難は、わたしたちの困難と比べることはできない」といった議論だった。この国の国際化はまだまだ遠い。と、いうわけで、ニッポンのささやかすぎる国際支援の一例を:

アーカイヴ:日本が村に送電網を繋ぐ(11月15日)
posted by mizya at 17:47| Comment(0) | TrackBack(0) | report | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする