[2010年12月27日] - 今日は、ガザ回廊へのイスラエル軍事攻撃の開始から2周年を記す。2008年12月27日から2009年1月18日まで、352人の子どもたちを含む、パレスチナ人、1,400人以上が殺戮された。
(略)
2周年を標し、DCI-パレスチナは、戦争で殺された子どもたち352人すべての物語を発表している。 これら簡単な、しかし無視できない物語は、それら事件の証言となる。
写真: リーナ・ハサン - 1999年9月1日生まれ、2009年1月6日殺戮される。
全文:Defence for Children International
「殺された子どもたち352人」をクリックすると、「殺された子どもたち352人」のリストにリンクする。そのリストで氏名をクリックすると、それぞれの子どもたちの物語にリンクする、上記、「リーナ・ハサン」をクリックすると彼女の物語、ジャバリア難民キャンプの国連が運営する学校に避難していて、砲撃を受け殺戮された、と記されたページに移行するように。
思い出すのは「シャヒード、100の命」展、ラマッラ、ハリール・サカーキーニ文化センターでつくられた、第二次インティファーダの開始以来、イスラエルにより殺戮された100人のシャヒードのポートレートと遺品で構成された展覧会で、日本にも招聘された。「シャヒード」は、英語にしろ日本語にしろ「犠牲者」、「殉教者」と翻訳されるが、「見た者」、「見たが故に証言できる者」、つまり「自ら体験した死を証言する者」の意で、犠牲者も殉教者も、実は舌足らず、正しい翻訳とは言い難い。もっとも、イスラーム墓地を破壊した上に「寛容博物館」建設を計画して物議をかもすサイモン・ウィゼンタール・センターなどは、日本に招聘した時の助成基金に、「シャヒードとは『テロリスト』のこと、それを知って助成しているのか」と脅しをかけてきたが、シャヒードに「テロリスト」の意味はない。ただ、パレスチナ闘士が死んだ場合、「シャヒード」と呼ばれることはあるにしても...