アブ・フィラスが、どのように樹木の世話をし彼の物語を説明するため待っていた畑に、訪問者たちが到着した5分後、イスラエル軍部隊は畑にやって来て、カメラマンの撮影を止め、パレスチナ人たちを4時間に渡って拘束、彼らを取り調べ畑に留めた。罪状は、訪問者たちが軍事閉鎖区域におり、イスラエルのフェンスを撮影していたということだった。訪問の目的が、土地の所有者に会い、樹木を調べ、イスラエルにより引き起こされた畑の破壊を目撃することと説明した試みのすべては、訪問者たちの解放を得るに至らなかった。
解放の時、イスラエル軍は、オリーヴ植樹キャンペーン調整者とカメラマンに、更なる取り調べのため、軍調査官の前に出頭するよう軍命令を手渡した。西岸身分証明のバハ・ヒロは、ベツレヘム (イスラエル民事行政) 管区のイスラエル軍本部に出頭し、イスラエル発行のエルサレム身分証明所有のカメラマンは、エルサレムで出頭した。ふたりの出頭は、続く月曜日と火曜日、11月8日と9日の午前9時に予定されていた。
バハは、11月9日火曜日、尋問のため赴き、9時から13時30分まで待たされて、11月14日日曜日に、再びそこへ出頭する別の軍命令を渡されたのみだった。
日曜日に、バハは再び尋問に赴き、屈辱的身体取り調べに直面し、90分近く、彼の仕事、家族、友人、政治的見解、社会的生活についての尋問を受け、その後に解放された。イスラエルのアパルトヘイト壁近くにいるだけで、イスラエル軍法を犯し、従って違法と考えられることが、尋問を通し明確となった。イスラエルは、アパルトヘイト壁 (長さおよそ700km) から150メートル〜200メートル(被占領地)内部の領域を、軍事閉鎖区域として公式に考える。
拘束、尋問、ハラスメント、時間の浪費を含む、このイスラエル軍事手順全体が、彼らの抑圧的措置で、アブ・フィラスのような、パレスチナ農夫や地主たちを従わせることを確実にするため、イスラエルによりなされる。
(略)
わたしたちは、ノルウェー、スウェーデン、デンマーク、日本、米国、イギリス、ドイツ、スイス、オランダ、アイルランドの人びとに、これら国々でのオリーヴ植樹スポンサーで、いかにして最良の支援ができるのか、わたしたちに知らせるよう促したい。また、あなたがそれら以外の国なら、そしてあなたの国でオリーヴ植樹キャンペーン設置を支援くださるなら、わたしたちに知らせて欲しい。
全文:Joint Advocacy Initiative
わたしはバハにあったことがある。この「オリーヴ植樹キャンペーン」を支援する「占領に反対する芸術家たち」は「オリーヴ・プロジェクト」展をパレスチナでも開催したが、その時のこと、2007年だった。毛糸で編んだベレを被って、彼はベツレヘムを構成する町のひとつ、ベイトサフールのYMCA(エルサレムYMCA支所)にいた。ベイトサフールのYMCAの庭園は広い。イスラエル軍に引き抜かれたオリーヴの古木を生き返らせようと養生のため仮植していたが、葉が芽吹き根付いて、養生の場所は古木の終の住処となるようだ。この時の旅の記録を別のブログ『オリーヴの庭から』に書いている、とはいえ、パレスチナのオリーヴの苗木100株を日本に持ち込む苦労話(『パレスチナのオリーヴの苗木を100株 -1、-2、-3』)に特化したものだから、バハは登場しない、一緒に「土地の日」のデモンストレーションに出かけたにも拘らず。例えばベツレヘムのアイーダ難民キャンプでヒッピホップコンサートが開催され、DAMのヒップホップをライヴで聴いているけれど、DAMも登場しない。いえ、違う、「オリーヴ植樹キャンペーン」から逸れてはいけない。ともかく日本が「最良の支援」ができている国に残っていることを喜び、ここから転げ落ちないように:日本YWCAの「オリーヴ植樹キャンペーン」募金サイト
アーカイヴ:JAI-ATGオリーヴ植樹プログラム - 2011年2月(11月19日)