(略)
それは、ひっくり返った水ギセル (パレスチナアラビア語でナルギレ) にわたしたちをまっすぐ運ぶ。
最初の瞬間から、わたしは、火災が人種主義の炎の巨大な業火に燃え上がるのを懸念した。結局、火災はアラブ地区 (そう、ドゥルーズもまたアラブ人だ) 近くで発生した。 わたしは自身に尋ねた:人種主義者が、この機会を利用する戦いに熱中するまでに、どれくらいかかるだろうか?
初め、わたしは愉快に驚いた。様々な意味で、災害は、通常隠されているイスラエル社会の最もポジティヴな側面を見せた。この領域はまた、今回、珍しい自制が勝っていた。常識は、最も無謀なテロリストでさえ自宅の隣に火を放ったりしないと語った。
しかし - 反-アラブ差別に深く染まった - 警察は、全部で2日間、自制できなかった。従って、大惨事の真っ最中、大衆がテレビ画面に釘付けになっており、感情が森林の炎と同じほど高まっていた時、警察は、扇情的ニュースを発表した:彼らは、全体の事の始まりで罪を犯したアラブ人少年ふたり、14歳と16歳を捕らえた。
このニュースに何か根拠があったとしても、2日か3日、火災が鎮火するまで、静かに待つことができた。しかし、警察は皆、燃えていた。
彼らは、兄弟ふたりがピクニックして、水ギセルがひっくり返ったと、頂なす声で発表した。それは初めから疑わしい話だ。しかし、少年たちが、彼らの過失で不注意にも火災を引き起こしたとしても、彼らを札付きの犯罪者のように扱い、家族との昼食の最中、家から粗暴に引きずり出し、厳しく尋問し、互いに罪を負わせるようにする必要があっただろうか? 結局、彼らは解放され、そして、警察は16歳の他の少年を捕らえた。このすべてが、先頃の、Yeshiva学生グループが、ゴラン高原で不注意で大火災を引き起こした時の、警察の振舞いとあまりにも異なっていた。
この出来事は、全く異なった見地から、実際、人種主義の顔を持っていた。人種主義が大きな役割を果たした。
火災は、Ussafiyeh近くで始まった。住民1万人のこのドゥルーズ地区には、消防署が全くなかった。隣接するドゥルーズ地区、1万5000人住民のDaliyat al-Carmelのいずれにもなかった。殆どの分野で差別されるアラブ地方自治体は、この分野でもまた、不利だった。
今週、人種差別は、復讐した。 ドゥルーズ地区に消防署があったなら、例え東風で乾いた樹々でも、大災害となる前に、火災は即座に鎮火されただろう。(略)
全文:Gush Shalom
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