見捨てられた村に高級住宅を建設することの代わりに、イスラエルは、山腹の遺跡をアラブの記憶を保存し、断絶を癒すのに使用したいらしい。息をのむな。
Esther Zandberg
最初のアラブ住民たちが、エルサレムへの西のアプローチ、リフタ村の新たな住居に入り始めた。彼らの多くは、1948年のイスラエル独立戦争前夜までそこに住んでいたパレスチナ人家族の子孫だ。 彼らが村を出て、それは何十年も見捨てられたままで残り、そして遺跡は、イスラエルでのパレスチナコミュニティ破壊の象徴となった。
村は、住民家族と提携してイスラエル土地行政により進められた建設計画により、再建されてきた。通りは生活に満ち、そして、観光と商業は栄えている;ビジネスホテル、B & B(ベッドと朝食)、土産物店、カラフルな市場が開いた。
エルサレム外れのリフタ。 パレスチナの遺跡は、もうひとつのイスラエル高級住宅計画となるだろう。
Photo by: Emil Salman
古いモスクは再建された。歴史的建物55棟が修復されて、新たな用途に改造された。それらの1つは歴史博物館として機能する。
(略)
このいずれも、かつて起こったことはなく、起こりそうもない;それは、現在のイスラエルの現実と一致しない。
イスラエル土地行政は事実上、10年間、新建設計画を進めてきており、リフタの土地区画獲得のため、ちょうど入札を発表したところだ。しかしこの計画は、上のヴィジョンから何光年も離れたところにあり、そしてリフタからの難民の子孫が、そこに足を踏み入れる可能性はゼロだ。
計画は、アパート212戸、商業・観光センターを求める;それは、Mamillaのデビッド村、あるいはYemin Moshe芸術家村のスタイルの高級複合施設に変わるだろう。
保存努力と呼ばれるものの、それは要するに逆説で、元来の村の記憶すべての抹消だ。そしてまた、パレスチナ博物館がそこに建設される可能性は全くない。
(略:長い)
全文:Haaretz.com
アーカイヴ:イスラエルが見捨てられたパレスチナ村を高級住宅プロジェクトに変える動き(01月23日)