2011年02月06日

リフタであり得ないだろう

2011年02月03日

見捨てられた村に高級住宅を建設することの代わりに、イスラエルは、山腹の遺跡をアラブの記憶を保存し、断絶を癒すのに使用したいらしい。息をのむな。

Esther Zandberg

 最初のアラブ住民たちが、エルサレムへの西のアプローチ、リフタ村の新たな住居に入り始めた。彼らの多くは、1948年のイスラエル独立戦争前夜までそこに住んでいたパレスチナ人家族の子孫だ。 彼らが村を出て、それは何十年も見捨てられたままで残り、そして遺跡は、イスラエルでのパレスチナコミュニティ破壊の象徴となった。

 村は、住民家族と提携してイスラエル土地行政により進められた建設計画により、再建されてきた。通りは生活に満ち、そして、観光と商業は栄えている;ビジネスホテル、B & B(ベッドと朝食)、土産物店、カラフルな市場が開いた。

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エルサレム外れのリフタ。 パレスチナの遺跡は、もうひとつのイスラエル高級住宅計画となるだろう。
Photo by: Emil Salman

 古いモスクは再建された。歴史的建物55棟が修復されて、新たな用途に改造された。それらの1つは歴史博物館として機能する。

(略)

 このいずれも、かつて起こったことはなく、起こりそうもない;それは、現在のイスラエルの現実と一致しない。

 イスラエル土地行政は事実上、10年間、新建設計画を進めてきており、リフタの土地区画獲得のため、ちょうど入札を発表したところだ。しかしこの計画は、上のヴィジョンから何光年も離れたところにあり、そしてリフタからの難民の子孫が、そこに足を踏み入れる可能性はゼロだ。

 計画は、アパート212戸、商業・観光センターを求める;それは、Mamillaのデビッド村、あるいはYemin Moshe芸術家村のスタイルの高級複合施設に変わるだろう。

 保存努力と呼ばれるものの、それは要するに逆説で、元来の村の記憶すべての抹消だ。そしてまた、パレスチナ博物館がそこに建設される可能性は全くない。

(略:長い)

全文:Haaretz.com

アーカイヴ:イスラエルが見捨てられたパレスチナ村を高級住宅プロジェクトに変える動き(01月23日)
posted by mizya at 23:55| Comment(0) | TrackBack(0) | article | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

「入域審査委員会」法案が承認準備

アラブ系イスラエル人たちが「人種差別」と呼んだ提案が、クネセト議長、Rivlinの条件を受け入れた後、第2、第3の解釈のため総会で言及された。El-Sana:人々はアラブ人と住みたくない。彼らはアラブ人を殺したい。
Ronen Medzini
2011年02月02日

 国民の抗議と政治的圧力にも拘らず、共同社会入植地での、入域委員会の活動を許可する法案は、水曜日、第2と第3の解釈でクネセトで承認された。

 クネセトの制定・法・司法委員会は、法案に関する、クネセト議長、Reuven Rivlinの条件を受け入れた。修正草稿によると、元来の草稿で500家族に対し、最大400家族までの共同体のみが、受理委員会任命を許されるだろう。加えて法は、国全体でなく、ネゲヴとガリラヤの共同体入植地に適用されるのみだろう。

 アラブ人議員は、法案が、高等裁判所判決に反する一方、ユダヤ人コミュニティに住居を購入することをアラブ人に妨げる目的と主張した。

(略)

全文:Ynet news.com

 ネゲヴとガリラヤを除けば、他のパレスチナコミュニティのユダヤ人入植地による浸食は、1948年以来、かなり進んでいる。
posted by mizya at 17:58| Comment(0) | TrackBack(0) | report | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする