2011年02月10日

2011年2月9日、イスラエルが故意にガザの医療品供給建物を爆撃 - ケン・オキーフ

2011年02月09日


1worldcitizen

イスラエルは故意に、ガザ、ジャバリヤのアル-ケレム医薬品供給工場に大きい爆弾2基を落とした。建物は、医薬品・医療品すべて同様、完全に破壊される。ガザは既に、医療品不足で危機事態にあり、この爆撃は、最も基本的な医療必需品さえ、満たすことを不可能なまま継続するに等しいだろう。http://1tjp.net

原文:CastTV

アーカイヴ:イスラエル兵士らが「希望への道」コンヴォイメンバーに発砲(2010年12月03日)
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「分娩に入った時、軍はわたしを安心させた」

シリーン・ムハマド・サラミン、27歳は、軍救急車での、イスラエル国防軍兵士たちに助けられた男の子出産の楽観的経験を物語る

Omri Efraim
2011年02月08日

 エリコ南部に住む27歳のパレスチナ女性、シリーン・ムハマド・サラミンは、エルサレムのHadassah Ein Kerem病院、産科病棟で、消耗し尽くしているものの、大喜びで横たわる。彼女は、確かに病棟の他の婦人たちとは異なる出産体験を持った。

「すべては夜に始まった。わたしは、午後11時頃にますます強くなる痛みと共に寝入りました」と、彼女は話す。「家族が救急車を呼びましたが、山の頂上に位置するわたしたちの家に、雨のため到達できなかった。彼らはイスラエルの救急車を呼びましたが、それもなし得なかった。結局家族は、わたしたちが軍救急車の中の兵士たちと会った道路まで、わたしを連れて行きました」。

 赤子は、兵士と軍衛生兵により分娩された。「わたしは、軍救急車の中でひとり、母と家族たちはわたしと一緒に来なかったのでわたしは怖かった。でも兵士たちは、乗っている間を通してわたしを安心させた。ある時点でわたしは、赤ちゃんが出て来ると文字通り感じ、兵士たちは毛布を置いて、わたしの出産を助けました。 彼が出て来たとき、彼らは、わたしと彼に微笑んで、彼を落ち着かせるために彼と話すよう求めました。彼らは、赤ん坊をよこし、乳を与えさせた」。

 イスラエル国防軍情報筋は、赤子が後で、呼吸の問題を抱えたと語った。彼を蘇生させた後、赤子と母親は、空軍ヘリコプターで、病院に運ばれた。どちらも順調。

 言葉の壁にも拘らず、シリーンは、兵士たちとの意思疎通に問題はなかったと語る。「兵士たちは、わたしと赤ちゃんにずうっと話しかけていて、わたしたちが穏やかでいるのを確実にしてくれた」。

(略)

全文:Ynet news.com

 土地没収が日常的でニュースたり得ないとするなら、分娩のため病院に駆けつける妊婦を、検問所に留め置いて通過を許さず、手助けもないまま分娩させる、兵士らの目にさらされながら、そして失われる命も少なくない、というのが通常だから、この記事は「大ニュース」なのだ。この記事に感動を覚えるのは、イスラエル占領軍の現状との乖離故、なのだけれど、占領軍としては、この記事こそあるべき姿で、イスラエル軍の通常こそ異常なのだと覚えておかなければならない。
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オランダがガザからの輸出をもっとと求める

2011年02月08日火曜日

 外務大臣、Uri Rosenthalは、月曜日、エルサレムへの訪問で、ガザ回廊からの輸出の可能性を広げるようイスラエルに求めた。

 現在、領域から、トマト、いちご、カーネーションを輸出できるが、Rosenthalは、このリストの拡大を望むと、ANP通信社は報じる。彼はまた、建築資材の輸入禁止撤廃を望む。

 Rosenthalはまた、彼の訪問で和平プロセスについて議論し、彼の対応者、アヴィグドル・リーバーマンと国防大臣、エフード・バラクに、オランダが二国家解決を望み、ユダヤ人入植地は「平和の障害」と語った。

(略)

全文:Dutch News.nl
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祈りへの呼びかけで悩まされると、東エルサレム入植者らが警察に訴える

2011年02月08日

エルサレム – PNN - イスラエル警察は、違法な東エルサレム入植地からの苦情への応答で、シュアファト難民キャンプと東エルサレムのラス・アル-ハミース地区のモスクから出される祈りへの呼びかけの音量制限を計画する。

 イスラエル新聞、Ma'arivは、火曜日「祈りへの呼びかけの音が、フレンチ・ヒルとギヴァト・ゼエヴの入植者たちをいらいらさせる」と報じた。レバノン族長、ムスタファ・アッディラーニへの尋問で悪名高い、警察署のアラブ業務連絡「キャプテン・ジョージ」によると、警察は問題で、モスクに呼びかけの音量を下げるよう要求している。

(略)

 過去にエルサレム警察は、ラス・アル-ハミースとシュアファト・キャンプでの祈りへの呼びかけ音量が下がらないなら「残酷な措置」をとると脅迫した。

 グリーン・ラインとして一般に知られる、1949年休戦ラインのパレスチナ側にあることから、フレンチ・ヒルとギヴァト・ゼエヴの入植地は、国際法下、違法である。イスラエルも加盟国の、第四次ジュネーヴ条約は、戦時で取られた領域に、一般市民の輸送を(追放も入植も - 訳注)禁止する。

 祈りへの呼びかけ制限は、パレスチナ人30万人の中に500人ほどのユダヤ人入植者が住む、西岸南部のパレスチナの大都市、ヘブロンで一般に報告される。家長の洞窟としても知られるイブラヒミ・モスクからの祈りへ呼びかけは、1月だけで、50回以上制限された。

全文:Palestine News Network

 入植者たちが入植する前から続いてきた環境なのだから、いかに違法な入植とはいえ、自らの身を置こうとする環境を前もって調べるべきだった。アッザーンを聴くと、ああ、わたしは旅にある、と思うけれど、耳が遠くなった所為か、パレスチナを旅していてもそう頻繁に聴くことができるわけでない。滞在するホテルや友人宅の近くに、たまたまモスクがなかっただけかもしれないけれど、都会の喧噪に呼びかけを聞き分けるのは至難と思う。だから入植者たちは、時計を見ながら呼びかけを「今か、今か」と待ち構えているに違いない。
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イスラエル占領当局がパレスチナ農地、もう800ドナムを没収

2011年02月08日

ハリール(ヘブロン)、(PIC)-- イスラエル占領当局 (IOA) は、ハリールの西、ヌバ村の彼らの耕作地、800ドナムが没収されると、パレスチナ農夫たちに告知した。

 村の情報筋は、イスラエル占領軍が、農夫たちに通知を持ってきて、決定は、農夫たちが45日以内に民事行政に異議申し立てするのを許す、と付け加えたとPICに語った。

 情報筋は、農地が3家族により所有され、差別的分離壁に近接するため強奪されると語った。

原文:The Palestinian Information Center

 土地没収が日常なら、この記事はニュースたり得るかと、時々考える。イスラエルにしてみれば「日常」にしてニュース性を奪うことも戦略に入れてのことだろう。強奪したものは返却しなければならない。だから時々は、この「強奪の日常」を伝えるべきなのだ。
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トム・ハンダルの射殺

2011年02月03日

Film review by Tim King Salem-News.com

「...ぼくは自身を尊敬したい、そしてぼくが死ぬ時、出来なかったことを嘆くのでなく、ぼくがしてきたことのために微笑みたい」--トム・ハンダル

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ガザ、ラファで撃たれた後のトーマス・ハンダル

(SALEM、オレゴン州) - 「感動」;昨夜、Huluの「トム・ハンダルの射殺」を見た後、わたしに残された最初の考え。

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トム・ハンダル -IfAmericansKnew

 レイチェル・コリー家と共にいるわたしに、彼の物語はなじみ深い;どちらも、パレスチナの人びとの支援に結集している間、イスラエル軍部隊により殺戮された人道活動家だった。

 トム・ハンダルの場合、わたしは、映画を書いたSimon Blockと、また、トムの物語の語りを確実にした優しい家族のおかげで、この悲劇を今やはるかに明確に理解する。

(略:長い、でも、ぜひ原文にアクセスを。画像やヴィデオが多く埋め込まれている。どなたか全文翻訳したならリンクをお願いしたい。何よりこの映画を観たい)

全文:Salem-News.com
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パレスチナ人アーティストがジョアン・ミロ賞受賞

2011年02月07日月曜日

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モナ・ハトゥーム

パレスチナ-イギリス人アーティスト、モナ・ハトゥームは、個人的経験を普遍的価値に繋げる素晴らしい技術で、2011年ジョアン・ミロ賞を受賞した。

 今年のジョアン・ミロ賞審査員は、パリ国立近代美術館館長、Alfred Pacquement、テイト・ギャラリー元館長、Vicente Todoli、ルイジアナ美術館館長、Poul Erik Tojner、ミロ美術館館長、Rosa Maria Maletで構成された。

 審査員は、彼女が「西洋の高い文化と国家を越えた政治的・文化的出来事との関係を示しながら、非西洋の現実への芸術実践を開く先駆けとなった」ので、賞をハトゥームに与えた。

「ハトゥーム以後、美術世界は、はるかに開かれ、美術界の自己中心性を弱め、まだ拡大と強化の過程にある」と、彼らは語った。

(略)

全文:Press TV

 イスラエルが建国されていなかったなら、モナ・ハトゥームは、レバノンでなくパレスチナに生まれただろう。1975年、イギリスに旅した後、レバノン内戦がベイルート空港を封鎖しなかったなら、ロンドンに留まり美術学校に通うこともなかったかもしれない。しかし辿る経過は違っても、やはり彼女は美術家になっただろう。
posted by mizya at 00:44| Comment(0) | TrackBack(0) | report | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする