2011年03月08日

Facebook抗議:イスラエル紙幣に「Free Palestine」と

Facebookの集団は、イスラエル通貨のすべてに(紙幣に、ということだと思う - mizya)「パレスチナを解放せよ」と書くことによる、平和的抗議の促進をメンバーに求めた。設立者たちは、ネタニアフが「メッセージを得る」ことを望む

Elior Levy
2011年03月07日

(本文翻訳省略)

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紙幣 - インドとフィンランドから支持を得る

 インドの集団メンバーは、彼らが何かシェケルを見つけたら、それにメッセージを書くと述べた。フィンランドの集団メンバーは、アイディアは素晴らしいのに、国でどんなシェケルもみつからなかったので残念とコメントした。

全文:Ynet news.com

 わたしもシェケル紙幣を持っていた筈と、パレスチナで使う札入れを開いてみたら、20シェケル1枚と100シェケル1枚、殆どは米国通貨、ドルだった(パレスチナではドルも広く流通しているので)。掲載の画像にはコインと読めるけど...
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エジプト人がガザ国境に行進

2011年03月06日日曜日

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ガザ回廊とエジプト間の国境

エジプト人何百人もが、その解放を求め、ガザ回廊との国境に行進する。

彼らは現在、ラファから50キロメートルほどのアル-アリーシュにいる。

Press TV特派員、Roshan Muhammed Salihもまた、封鎖領域に入る目的で日曜日、境界でデモンストレーションをする計画と彼に告げたエジプト人活動家何人かと彼が話したアル-アリーシュにいる。

(略)

ガザ境界解放のイニシアティヴは、エジプトが革命以来本当に変化したのか程度を計りたいと、その組織者たちが語る、Tahrir4Gazaキャンペーンの新構想だ。

主要キャンペーン組織者、アフマド・エル-アッシは、「ムバラク政権は、パレスチナ人を弱めておくためイスラエルと協力したが、今や彼は打倒されたのだから現状を維持する必要はない」とPress TVに語った。

エル-アッシは、数日前、キャンペーン開始のためエジプト当局に拘束されたと付け加えた。彼は、当局がタイミングが悪いと主張し、境界への行進を彼に思いとどまらせようとしたと語った。

「多くの恐れと威嚇はあるが、わたしたちはパレスチナ問題がエジプト人にとり重要と知っており、わたしたちは成功の革命に続く勢いを維持する必要がある」と彼は述べた。

エジプト人と外国人の集団は、土曜日午前、ラファ国境に向け、カイロを出発した。彼らは少なくとも、12の軍検問所を通り抜けなければならず、彼らのひとりが2時間拘束された。結局彼らは、ラファから50キロメートルのアル-アリーシュまで進むことが許された。アル・アリーシュに到着すると、地元住民は両手を広げて歓迎し、日曜日にラファに伴うと約束した。

Tahrir4Gazaキャンペーンの別のメンバーはPress TVに語った、「ガザ入域を拒絶されるなら、わたしたちは境界に恒久的キャンプを設立すると考えている。これは、本当に新しいエジプトなのかどうか、あるいは古いエジプトが残っているのかどうかの、試金石だ」。

全文:Press TV

 このような記事を読むと、やはりエジプトに起こったこれは革命だったと思う。欧米政府・マスメディアが「暴動」としてやり過ごしたいとしても。中東が抱える地域的状況ということにしたいらしいが、欧米諸国にしても抱える状況は同じ、多国籍大企業が蓄財し、大方は仕事もなく餓えているのだから。これを不正と見抜く文化を持ち合わせているかどうかが問われている。
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エジプトがガザ学生入域許可

2011年03月06日

ガザ市 (Ma'an) -- ガザ回廊国境・検問局は、日曜日、エジプト当局が、エジプトの大学在籍のガザ学生たちに、火曜日、国への入域を許可するだろうと語った。

 局は、大学のオンラインで登録した学生71人のリストが、火曜日にエジプトに渡る許可に同意した、エジプト当局に送られたとMa'anに語った。

(略)

全文:Ma'an News Agency
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殺された汚れなき名前たち

Vera Macht
2011年03月06日

この一編はオマル・マルーフに関するもの。世界中で日々、罪なき人びとが何十人も死ぬ時、何がこれをそれほど重要にするか? 何故これに関する一編なのか?

オマル・マルーフは、重武装で最新の西洋軍需産業が提供すべきすべてでよく装備された兵士に殺された。オマルは、古い汚れた服を着て、ロバと共に石を集めていた。オマルは、軍事攻撃で、残念ながら流れ弾や爆弾が命中したいわゆる「巻き添え被害」でさえなかった。すべてが正確に計算されるわたしたちの現代戦争で、時々、誰かがまさしく間違った時に間違った場所にいる。しかし、そのようではなかった。いえ、重武装でよく装備された若い兵士が、粗末な服で石を手にしてそこに立っていたオマルを標的に、彼を撃つと決めた。太陽注ぐ冬の朝、若い兵士は、恐らく彼がそう重要とは思えない彼と同じ年頃の男を殺す必要を感じた。 彼は、この行為がいかなる結果ももたらさず、その行為を誰にも正当化する必要はないと知っていた。というのも、権利も持たずその命が数えられないパレスチナ人だったから。

(略)

それでここにあるのは、オマル・マルーフの死の物語。 彼は20歳、2歳の息子の父親。「境界に近づきすぎるな、それはあまりに危険」彼のいとこ、タラールは以前、彼に警告した。彼は選択の余地なく、オマルは応じた。彼は、食糧を必要とする息子がいた。それで彼は、石を集めに境界に行った。それは2011年2月28日午前9時半、タラールは境界から700メートルほど離れた彼自身の土地にいた。イスラエル兵士らが発砲し始めた時、オマルは400メートルにいた。彼は、いわゆる緩衝地帯、イスラエル軍が死を脅して入るのを禁止するイスラエルとの境界沿い300メートル幅の帯状の外にいた。境界に近い彼自身の農地にいる隣国のいかなる市民も撃つと公的に宣言することが、合法か否か論争の余地がある。しかしそれは重要でない、オマルはこの領域から100ヤード以上離れていた。

(略)

「いったいこの兵士は彼を撃った時、何を考えていたのか?」 彼のいとこがわたしに訊く。「彼が何か危険を引き起こすとでも考えたのか? 彼には、子どものミルクを買うお金さえなかった。彼が武器を買うお金でもあったと考えたのか? 彼が戦車でも持っていると考えたのか?」まるでわたしが答をもっているかのように。それでわたしは兵士らが何故オマルを連れて行ったのか質問を続ける。彼らは彼を助けたかったと、家族は納得する。

わたしは兄弟のひとりに、彼の身体に治療の痕跡があったかどうか訊く。彼は頭を横に振る。「ノー」と彼は言い、「ぼくは彼の身体を見た。注射の穴の印もないし、包帯もない。弾丸は、彼の身体の左側から入り、反対側に出ていった」。最大の損傷をもたらすダムダム弾。身体の内部の衝撃で爆発する弾丸は、ジュネーヴ条約1889、宣言3で禁止されている。わたしは、兵士らが助けたかったというヴァージョンにほとんど合致していないと言及しない。彼らのひとりが実際、オマルを助けを必要とする人間と看做したという考えは、恐らくあまりに安らかすぎる。

(略)

オマル・マルーフは、ここ2カ月で、緩衝地帯で射殺される市民の8人目だ。昨年初めから緩衝地帯で、労働者たちや農夫たち、100人よりはるかに多くがイスラエル狙撃兵により撃たれ、彼らの18人は死んだ。

全文:Dissident Voice
posted by mizya at 01:18| Comment(0) | TrackBack(0) | article | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする