2011年03月08日火曜日
Tania Kepler
the Alternative Information Center (AIC)
イスラエル裁判所は、1948年、その住民が追放され追い出された、歴史的パレスチナ村、リフタ遺跡の高級な区画販売に、仮差し止め命令を出した。 イスラエル裁判官、Yigal Marzelは、月曜日 (3月7日) 、イスラエル土地行政に、歴史的パレスチナ村、リフタに建設するための区画賃貸入札結果の公表凍結を命じる仮差し止め命令を出した。
(略:アーカイヴ参照)
リフタ救済の請願は、日曜日、リフタ(住民)家系、Bnei Lifta協会、人権のラビたち、ジャフラ協会を含むエルサレム活動家たちを代理する弁護士、サミ・アルシドにより提出された。
(略)
1948年のイスラエル建国以前、パレスチナ人3,000人以上がリフタに住んでいたが、1948年戦争で村は住民を減らし、部分的に破壊された。それ以来、イスラエル軍により完全には破壊されなかった500ヵ村のうちの僅かな村のひとつである。
(略)
多くの組織、ことさらBIMKOM、Zochrot、FASTは、村が、パレスチナ人とイスラエル人の間の和解の象徴として、ユネスコにより遺産遺跡としてリストに加えられるよう運動し、代替計画を、彼らは土地住宅調査センターとまとめてきた。
2005年、パレスチナの「正義のための建築家・(都市)計画家たち」は、Times紙に、世界中の建築家・都市計画家、彼らの多くが、元来のパレスチナ住民のためリフタ救済を支援する学術人を含む高名な人物、350人以上が署名した広告を載せた。
(略)
全文:
The Alternative Information Centerアーカイヴ:
イスラエルが見捨てられたパレスチナ村を高級住宅プロジェクトに変える動き(01月23日)
ここに掲載した写真は原文が掲載するものと違う(アーカイヴ掲載写真と同じだし)。
リフタの写真はここ、写真ばかりではない画像を含め100枚ほど集められている。これら写真を何枚か見るだけで、京都の町家同様、これが保存されなければならない貴重なものと判るだろう。リフタをなくすことになれば、わたしたち世界市民は、アジアの貴重な文化をひとつ失ったことになるし、ユネスコは、消滅しかねない文化救済を仕損なったことになる。
posted by mizya at 11:16|
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