2011年03月20日
5日間は、日本人へのある種の類型化を粉砕し、共感、同情、賛美を喚起するのに充分だ。ギデオン・レヴィ
映像は、日本から戻った後でさえ、あなたの脳裏を去らず、それらは行かせるのを拒絶する。ポリ袋の中に詰めた彼の人生の痕跡を、破壊された家の入り口のゴミの山に辛うじて引きずる無力にされた老人。津波から救った彼らの愛犬、モモを連れるカップル。孫息子に地獄から救われ、家に戻ってもはや家がないと見いだし、静かに涙する老女。掘削シャベルの音とカモメの鳴き声で破られるのみの、海沿いの村々を覆う深い沈黙。激しい不安は世界最大の都市にある。それは荒涼と見える。
廃墟の土地での、そして日本への初めての訪問での5日間は、揺れ、次に、溢れ、燃え、照射される、日出ずる国を知るために充分ではない。しかし、それらの日々は、日本人へのある種の類型化を粉砕し、共感、同情、賛美を喚起するのに充分だった。
わたしは一目で、日本の人びとに恋した。彼らの尊厳、彼らの抑制、彼らの最悪の大惨事の受諾を示し、彼らは共鳴する沈黙を表わした。彼らがそれを扱った方法は荘厳だった。わたしは、彼らの見知らぬ人への驚くべき親切、あたかも彼らそれぞれが、地震とそれに続くすべてに個人的に責任があるとでもいうような、一種の不可解な謝罪を見た。彼らは、彼らの国にいてたまたま降りかかった訪問者を心から心配し、都市の通りで、地下で、あるいは浜辺の瓦礫の歩みで、彼を手伝う準備ができていた。わたしは、彼らが互いに支援を申し出、相互支援が、貧しい村々の隣人縁者に広がるのを見た。先週、わたしは、日本に高貴な民族を見た。
イスラエル人にとって、それは思いもよらなかった。実際で想像の、極端で興奮した - 日々の国民的災難、時間ごとの破滅 - 恐怖の土地から来る誰あれ、恐ろしい惨禍に直面した日本人の沈着と抑制に圧倒される。日本人を、奇妙で先進的な無口で感情のない機械といったいかなる考えも、遥かに違っていた。
わたしは、イスラエル人ならそのような事件にどのように対処するか想像を試みた。本当に日本人は、わたしたちがとても得意なこと - 即興、臨機の才、率先といったものに欠ける。しかし問題の時、慎みは、即興ほど核心でないというのでない。抑制は日本で印象的だった。メディアは、感情と恐怖をシニカルにあおらなかった。東京の大衆は、日常の明白な崩壊にも拘らず、彼らの日常に取り組むのを試みた。
人びとが10リットルの割当に2時間待たなければならなかった時でさえ、ガソリンスタンドに整然とした列があった;電力使用の自発的節約があり、スーパーマーケットの空の棚の光景に理解を示し、買い物に熱狂しなかった。スピーカが別の余震をアナウンスした時、地下鉄車内に沈黙があった;東京近くの成田国際空港チェックインカウンターや大きな鉄道駅でパニックはなかった。
印象的で、それは敬意を起こさせ、人の同情と共感を増大させる。恐怖の不足というのでなく - 東京は、来ることになっていることを怖れる。日本人が、彼らの災害にひとりよがりというのでなく、無視しているとか抑圧しているというのでもない。彼らは禁欲的受諾でそのすべてに堪える - その船が岸に投げつけられた漁師たち;その家が揺れ、水浸しになった村人たち;その世界が崩壊し、今残っているものを回収するため泥を堀っている人びと。
誰もが控え目で、自制心がある。誰も不平を言わず、非難しない。異邦人、ことさらイスラエル人は、それを理解し得ない。彼方のテルアヴィヴから、わたしは痛む心で書く、福島、我が愛、あなたに日出ずらんことを。
原文:
Haaretz.com
ギデオン・レヴィは来日していたのだろうか。
わたしは北関東のアトリエで、東京電力の福島原発事故のTV報道を見ていた。首都圏とまではいえないから、鉄道の復旧は遅れていて、東京に戻ることはできなかった。計画停電も、3時間半の予告のうちの3時間実施されたが、実施されないこともあった。しかしながら実施が前提だから、影響を受けないようにコンピュータを電源から取り外す。朝早い3時間のこともあれば、昼の時間帯のことも、夜のこともあった。夕食の時間帯の停電の場合、食事を停電の前に準備し、蠟燭の明かりで食べた。電源がないのでガスファンヒーターで暖をとることもできない。東京から携帯電話に「固定電話が通じない」と言ってくる。「東京23区を停電させないために、ここが停電中なの」と答える。電源がないと(多機能)固定電話は通じない。地震と津波による破壊の後だから、電力の不足、停電に不満はない(東京電力のエリート意識丸出しの態度は腹立たしい、エリートなの? 東京電力って)。レヴィの語る「受諾」を認めよう。仙台市街地で電力は復旧しているものの(常に人口密集地が優先される、しかしガス復旧の見通しは市街地といえどたたないらしい)被災地の殆どが、電力ばかりでなく、ガスばかりでなく、水も食糧もなしでしのいでいるのだから。しかしながら、原発事故を「受諾」はしない。そしてイスラエル人が得意とするとレヴィのいう「即興、臨機の才、率先」は、どこにあるのかとわたしは問いたい。ガザを、空軍・陸軍・海軍を使って攻撃し、地震と津波が襲った状況を故意につくり出し、劣化ウラン弾で放射能をまき散らし土壌と水を汚染させ、発電所を攻撃して電力供給を止める。「ガザを体験しているところ」と、パレスチナを含む世界各地のArtists Against Occupation (AAO) のメンバーからの、無事かどうか問い合わせるメールに、わたしは返信している。イスラエルによる封鎖はないから、ガザより希望はある、物資は届くだろう。
22日に、北関東の鉄道も一部復旧し、23日、わたしは各駅停車の電車を乗り継いで2週間ぶりに東京に戻った。地震で揺れた廊下の書棚にのせていた本がスイッチを入れたようで、トイレの明かりが点っていた。
posted by mizya at 13:29|
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