2011年04月11日

イスラエル軍に支援された武装入植者らがパレスチナ村攻撃

2011年04月10日
International Solidarity Movement

昨日朝、午前8時半、幾人かは覆面して銃で武装した入植者ら50人ばかりが、Yitzhar入植地から、パレスチナ村、アッシーラ・アルキブリヤに押し掛けた。イギリスとアイルランドからの国際監視団は、入植者らが、村はずれの家屋や人びとに石を投げ、病院で治療を受けた地元民ひとりを負傷させるのを目撃した。

30分以内に、イスラエル兵士らを乗せた軍ジープが到着した。彼らは、パレスチナ人家屋から100メートルばかりの丘の中腹で、入植者らの前に立ったが、彼らの攻撃を防ぐ何もしなかった。兵士らが、空中に、そして、村でのこの攻撃を見て記録するため家屋から出てきたパレスチナ人たちに直接向けて、銃を撃つのを見ることができた。

(略)

Yitzhar入植地は元々、(パレスチナの土地を奪い - mizya)軍前哨基地として1983年に設立されたが、1年後、軍事解除し居住目的に変えられた。Yitzharは、過去10年間、多くの場合、石、ナイフ、銃、放火を使用してアッシーラ・アルキブリヤや近隣の村々の住民や資産を攻撃してきた、100人以上の正統派ユダヤ教徒共同体の家である。これら攻撃はしばしば、安息日の宗教的休日、土曜日に起こる。

(略;パレスチナ人の赤ん坊を殺戮せよと説くラビの話しなどとても掲載するに耐えない。そもそも「流浪の民」がユダヤ教徒のあるべき姿ではなかったか。こうなると正統派って何だ?)

全文:International Solidarity Movement
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イスラエル占領当局 (IOA) がサルフィトのパレスチナの土地に新工場建設開始

2011年04月10日

サルフィト、(PIC)-- イスラエル占領当局 (IOA) は、サルフィト市の西のパレスチナの土地に建設されたいわゆるBurkan工業地区に、新工場建設を許可した。

パレスチナ保健筋は、工場が、地下水、土壌、空気を汚染していることに言及して、環境を枯渇させると語った。癌が、近隣の村々の住民の中に広がり、新種の蚊が、その地域では以前見られなかった病気を広げていると、彼らは付け加えた。

情報筋は、工場群とアリエルのイスラエル入植地が、彼らの廃物をパレスチナの土地に放出していると語った。

それら工場のいくつかのパレスチナ人労働者たちは、その工場主らが、環境保全や労働者の健康を気にもとめていない語った。

原文:The Palestinian Information Center

アーカイヴ:イスラエルの有毒化学物質工場が西岸住民を癌にする(2010年11月22日)

 イスラエルはトーキョー、パレスチナはフクシマといったところか。フクシマをヒロシマ・ナガサキ同様、カタカナにしたのが3.11...
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デイル・ヤシン (1948年4月9日)

1948年4月9日、イルグンとシュテルン・ギャング民兵らは、パレスチナ村、デイル・ヤシンを攻撃した。パレスチナ人の男、女、子どもたち100人以上がすべて、系統的に殺害された。この虐殺は、パレスチナ人を彼らの家から離れるよう導いたパニックを引き起こしたとしてしばしば引用される。デイル・ヤシンは、パレスチナの市町村、400以上の意図された人口減少とパレスチナ人口の70パーセントの追放の最も際立った初期の兆候としてある。

原文:The Electronic Intifada

アーカイヴ:デイル・ヤーシン虐殺の記憶(2010年04月10日)

 1948年4月9日から63年、今年も、デイル・ヤシン虐殺の日がやってきた。デイル・ヤシンは、国連分割決議に従えば、建国されるユダヤ人国家にではなく、パレスチナに残される領域にあった。現在の西エルサレムだ。この虐殺を、建国前のイスラエルは喧伝し「家に残るならパレスチナ人に待っているのは虐殺」と脅し、家から逃れた人びとの土地家屋を「不在者地主」法で強奪した。

 2011年3月11日、東京電力の原発は制御不能に陥った。1ヵ月後の地方選の結果に、わたしは唖然としている。東京電力の事故を受けて、ドイツの選挙で原発が争点となり、原発推進派が破れているのに、放射能降り注ぐこの国では、原発推進派が圧勝しているのである。町中の家々からネズミが出てきて道路という道路を埋めつくし、海に向って入水する、わたしたちはそのネズミなのだと見出して、唖然としないでいるのは難しい。

 デイル・ヤシンから63年経った今も、イスラエルのパレスチナ人虐殺の政策に変わりはない。しかし、パレスチナ人はもはや家を離れない。
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