2011年04月28日

そうでないと立証されるまでナブルス発砲は致命的ミステイク

11年04月26日

Ben-Yosef Livnatの死の調査が進行する限り、発砲を復讐されるべきテロ攻撃として扱うのは不適当だ。
Haaretz社説

ナブルスでのBen-Yosef Livnatの痛ましい死は、防ぎ得たかもしれない。初動捜査は、Livnatと彼の仲間が、彼らのパレスチナ自治区への旅を、イスラエル国防軍と調整せずにヨセフの墓を訪ねると決めたと示す。彼らは見るところ、パレスチナのバリケードを突破し、パレスチナ警察官は応答で彼らを撃った。

ユダヤ人礼拝者を含み、ヨセフの墓を訪ねたい人びとは、次には同様にパレスチナ当局と調整する、軍と調整しなければならない。これは、イスラエル国防軍の履行で維持されてきた、両党派間の警備協力の一部だ。それに違反する理由はなかった。

イスラエル国防軍は、事件を「非常に重大な災難」とみなすが、テロ事件とみなすわけでなく、そして当分の間、どのように扱わなければならないかということだ。そのような災難は前にも起こったことがある - イスラエル国防軍兵士らは、パレスチナ人に誤って発砲したことがあった。イスラエル警察官もまた、誤ってイスラエル(パレスチナ系 - mizya)市民に発砲したことがあった。

これは、イスラエル国防軍支配を超えた場所にあるユダヤの聖なる遺跡の複雑さの一部として、定められた運命としてそのような間違いを受け入れなければならないことを意味しない。迅速で細心な調査が、発砲に責任を負うのは誰かとか、調整されていない入域といったことばかりでなく、イスラエルとパレスチナ間の調整の調査や、別の死をもたらす事件を防ぐよう見つけ出すために必要とされる。

(略)

全文:Haaretz.com

関連記事:「ヨセフの墓で埋葬されることになる」Crazy Country
2011年04月26日火曜日

ヨセフの墓。またも、ヨセフの墓。既に大変多くのイスラエル人やパレスチナ人の命を奪った、既に大変多くの苦痛をもたらした忌まわしい場所。パレスチナ都市、ナブルスの中心に、イスラエル入植地の足場確立を夢見るすべてを磁石のように引きつける場所。

もうひとつの愚かで不要な死。Ben Yosef Livnat、通称「Benyo」 - 入植者、Breslov Hasid(超正統派ユダヤ教宗派のひとつ)、イスラエル政府文化大臣のお気に入りの甥。わたしたちがこの数日に聞いたように、結婚し、彼自身おとなとして振る舞えないまま、この世に子ども4人をもたらした人。そして今や、決しておとなにならないだろう人。

(略)

兵士と検問所と殉教者

「彼らはいぶかしげに振る舞った。彼らは武力で検問所を突破しようとした。わたしたちは止まるよう叫び、彼らが止まらなかったので、わたしたちは空中に発砲したが、彼らは止まらなかった。わたしたちめがけて突進してくる車に発砲する他選択の余地はなかった」。

これら議論と口実は、ちょっとなじみ深く響く。前に聞いたのはいつだろう? 実際、一度以上。

検問所の兵士たちがイスラエル人で、彼らが射殺した車に乗る人がパレスチナ人の時、政府や軍最高指揮官の誰も、起こったことの兵士ヴァージョンついて、疑問を投げかけることは考えなかった。確かに、ヨセフの墓で踊ったBenyoの愛情深いおば、文化大臣、Limor Livnatも。彼女は、イスラエル国により、南はヘブロンから北はジェニンまで道路すべてのバリケードに配置された兵士らの言葉を疑ったことはなかった。彼らが発砲した時、確かにそれは必要で、誰かが殺された時、それは遺憾なことであり、明らかに他の選択肢はなかった。

パレスチナ検問所で、我らの文化大臣は、少し異なる方針を取る: 「わたしの甥は、パレスチナ警察官の外観を装ったテロリストにより殺害された、彼が過ぎ越しの祭り前日に祈りに行ったばかりに」と、今朝、Livnat大臣は語った。「Benyoは、完全に潔白な4人の父親で、彼は良いことをしたかっただけだ。彼は、イスラエルの土地のために命を捧げた殉教者、Shlomo Ben Yosefにちなんで名付けられた。今、Benyoは、同じ理由で彼自身の命を捧げた」。

(略:Shlomo Ben Yosefが、1938年4月21日、サファド近くでアラブのバスに手榴弾を投げ乗客を殺した、といった説明。ちなんで名付けられたBenyoもまた車で殺されることになり、彼ばかりでなく、イスラエルの市町村の通りにShlomo Ben Yosefの名が付けられているといったことなど)

誰の墓か?

「ヨセフの墓は我々のもので、それはユダヤ民族に属す。それは我々ヨセフの墓だ。我々は3000年前、犠牲であがないそれを買った。それは聖書に書き留められている。ユダヤ人すべてが、いつでも、そこに行き祈ることができるべきだ」。これもまた、今日、Limor Livnatにより述べられた。(略)
しかし、本当にそこに埋葬されているのは誰か?

(略:面白い、アイロニーに満ちた語り口も趣味に合う、が、長い)


posted by mizya at 23:45| Comment(0) | TrackBack(0) | article | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

パレスチナ民衆週一デモンストレーションがイスラエルの激しい暴力にあった

2011年04月26日火曜日
Dolev Rahat, Alternative Information Center (AIC)

デモンストレータ16人が、イスラエルの占領に反対するこの週末のデモンストレーションで負傷した。ビリンで、バシム・アブラフメの死の2周年を記念するため、ことさら大きなデモンストレーションが持たれた。

beit_ummar.jpg

先週ビリンで、パレスチナ民衆闘争に関する第6回国際会議が行われた。会議は、4月15日にガザで殺された国際連帯活動家、ヴィットリオ・アッリゴーニに捧げられた。会議は、イスラエルアパルトヘイトに対し闘うパレスチナ・イスラエル・国際活動家間の関係を強化する道を模索した。会議により促進されたイニシアティヴの中に、ガザ回廊沖でのイスラエルの暴力をモニターし、報告するインタナショナルズ(国際人)をスタッフとする船の開始がある。

ビリンの週一デモンストレーションは、村のデモンストレーションでの催涙ガスキャニスタによるバシム・アブラフメの殺害の2周年を記念した。デモンストレータは、バシムと、村のデモンストレーションで催涙ガスを吸い込んで殺された彼の姉妹、ジャワヘル、そしてマルワン・バルグーティの写真を掲げた。デモンストレーションは、国歌と、イスラエルの占領に反対する国民戦線連合の呼びかけで始まった。デモンストレータが壁に到達した時、兵士らは、催涙ガス、スタン弾、ゴム被覆金属弾丸、実弾、022弾を彼らに発砲し、加えてスカンク・ウォータも。デモンストレータは、壁の一部を引き倒し、軍ジープにパレスチナ旗を据えるのに成功した。ビリンを通る現在の壁のルートが、イスラエル高等裁判所により違法と考えられ、国家がその解体を義務付けられたと思い起こすことは重要だ。兵士らは、村に侵入し、住民家屋に催涙ガスを撃ち込んだ。パレスチナ通信社、Wafaは、デモンストレーションで、ジャーナリスト、国際活動家3人を含む15人が負傷したと報じた。村の住人の女ひとりは重傷を負った。弾丸による負傷者に加えて、他の多くが催涙ガスを吸って負傷した。(略)

全文:The Alternative Information Center

アーカイヴ:ビリン村のデモで(2009年04月18日)

     :抗議者の死はイスラエル国防軍が最も危険な催涙ガスを使用している可能性を示す(01月04日)

 週一回のデモンストレーションだから、毎週、イスラエル軍による発砲がパレスチナ市民を脅かしている。週一回のデモンストレーションを行うのはビリンばかりではない、ニリンでも、ナビサラでも、アル-マサラでも、他の村々でも、毎週反-壁デモンストレーションが行われ、毎週人びとが負傷している。バシムの死の2周年追悼にあたり、久方ぶりに反-壁集会の記事。
posted by mizya at 11:18| Comment(0) | TrackBack(0) | report | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。