Conal Urquhart in Jerusalem
guardian.co.uk
2011年05月05日木曜日
ガザのマラソンはパレスチナ児童1,300人以上を引き付けた。Photograph: Ibraheem Abu Mustafa/Reuters
ロバの荷車、排気ガス、穴ぼこなどは、ただガザ回廊最初のマラソンで、ランナーにとっての障害のいくつかに過ぎなかった。
ルートが大変シンプルだったから、道路の封鎖もなく、警備テープもなく、先導もなかった:イスラエルとの国境で始まり、エジプトとの国境で止まった。
レースは、木曜日、日の出の3分後、現地時間午前6時に始まり、気温は既に摂氏21度だった。出発点は、北東、ベイトハヌーンから、ランナーは地中海のほう、西に向かった。
(略)
学童1,300人以上が、一度に1キロメートルのリレーでマラソンを走る一方、200人ほどが、ハーフマラソンか4分の1マラソンを走った。大人の参加者9人 - ガザ住民7人と国連で働くふたり - のみが全コースを走った。勝者は、北京オリンピックに5,000メートルを走り、2012年のロンドン大会で走ることを望んでいる、ベイトハヌーンのナデル・アル-マスリ、31歳だった。彼は2時間42分を記録した。
レースがガザ市に達するまでに、マスリは既に相当のリードを展開していた。沿岸道路は、イワシ漁師が漁獲を荷揚げする港を通って走る。ランナーたちは、ロバ荷車、幌馬車、漁師と商人たちが歓声をあげる、魚で満たされたブルーボックス何百もを通り抜けなければならなかった。
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全文:guardian.co.uk
アーカイヴ:UNRWAガザマラソン2011(05月03日)