2011年08月08日

ベイト・オマル、西岸が深刻な水問題に直面

2011年08月06日

浄水へのアクセスの不足が、西岸で、ことさらべイト・オマルといった素朴な農村で、主要問題を表す。イスラエルがパレスチナの水をさらにさらに奪い、パレスチナ当局が供給するため毎年より少なく割り当てられる2005年以来、問題は拡大してきた。

例えば、べイト・オマルを取り囲む入植地は、毎週、多くのスイミング・プールに給水する無制限なアクセスを持つ。同時に、イスラエル当局は、毎週4日間、パレスチナ村、べイト・オマルへの給水を止めた。その結果、べイト・オマル住民は、イスラエルにより彼らから盗まれた水を買い戻すため、徒歩、ロバ、あるいは車で、何キロメートルも旅しなければならない。

パレスチナ水供給の盗みと支配は、彼らがその土地を離れ海外移住するまでに、パレスチナ人に、耐え難い困難な生活をさせる:より広いイスラエル戦略の本質的部分である。

(略)

全文:Palestine Solidarity Project

関連記事:「イスラエル占領当局がジェニン地区への水を断つ」The Palestinian Information Center

2011年08月07日

ジェニン、(PIC)-- ジェニン市のパレスチナ市議会は、市の多くの地区への連続4日目の給水を恣意的に断ち切ったことで、イスラエル水企業、Mekorotを強く糾弾した。

(略)
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「占領問題に沈黙のイスラエルの抗議」


AlJazeeraEnglish

2011年08月07日

抗議者何十万人もが、上昇する生活費に対し国中で集会を開催した、イスラエルの不満の夏であった。

抗議の趣旨に関してアルジャジーラとの談話で、テルアヴィヴ拠点の作家でジャーナリスト、ジョゼフ・ダナは、抗議が自然発生的で、前例がないと語った。

しかし彼は、抗議者たちと抗議主催者たちが、パレスチナ占領問題に関して明確に沈黙していると語った。

「たった今、大衆のほぼ85パーセントがデモンストレーションを支持しているが、抗議者たちはまだ、占領の問題を議論するのことの拒否を意味する - 政治に関心のないラインを維持している」と、ダナは語った。

「しかし悲しい現実は、イスラエル人がパレスチナ人の権利を、ことさら、イスラエル占領下のパレスチナ人の権利を議論するなら、彼らがまたたく間に大衆の支持を失うことだ。

占領への批判がないなら、イスラエル社会がこの占領を議論する準備ができていないか、あるいは望んでいないという絶対証拠を提供するだろう」。
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J14(7.14)写真:イスラエルの歴史で最大の抗議

2011年08月06日土曜日
Noam Sheizaf

イスラエル人30万人ほどが、土曜日夜、社会正義と福祉国家導入を求め、通りに繰り出した。これは、国の歴史最大のデモンストレーションと推定される。

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20万人以上が社会正義の抗議に集う (photo: Keren Manor/activestills)

最も大きな集会数回が、テルアヴィヴで開催された。20万人以上がカプラン通り(通常そうした抗議の場所、ラビン広場は、改修中で公衆に閉じられている)の政府ビルに行進した。3万人が、エルサレムで、ネタニアフ首相の家に行進した。より小さな集会が、モディイン、ハイファ、ネスツィオナ、他の町々で行われた。キリヤト・シュモネで、抗議者たちは、北に繋がる高速道路を封鎖した。

無党派メッセージを伝える主催者の試みにも拘らず、デモンストレータの多くがベンヤミン・ネタニアフ首相にその呼びかけを向け、或るものは彼の辞任を求める掲示を掲げた。元活動家でHadashクネセトメンバーは、抗議者たちに呼びかけた:「あなたがたと共に、わたしたちはこの哀れな政府に打ち勝つだろう」。以前の集会の場合だったなら、最もポピュラーな呼びかけは、「人々は社会正義を要求する」に「福祉国家がここに来る」が続いた。

(略)

若いイスラエル人集団が、上昇する住宅コストへの抗議で、テルアヴィヴのRothschild Boulevardの中心にキャンプして、「7月14日」運動は始まった。以来、テントキャンプはイスラエルの大都市いたるところに現れた。テルアヴィヴに少なくとも4つのテントキャンプがあり、ロスチャイルド通りの最大のものは、テント400以上を含み、1キロ以上に伸びる。

前の集会と異なり、最後のイヴェントは、イスラエルの最もポピュラーな歌手ふたりのライヴショーと共に、そのスタイルとメッセージで非常に因習的だった。初めて、集会の終わりに国歌が演奏された。前例がなかったことは、その出席者だった。テルアヴィヴの集会に向けた演説者の中に、パレスチナ人作家、ウダ・バシャラトがいた。「この抗議が、搾取されたすべて、ユダヤ人とアラブ人のための抗議になるだろう時だ」と、バシャラトは語った。

(略)

全文と画像12点:+972

 バシャラトがわざわざ「ユダヤ人とアラブ人のための抗議になるだろう時」と言及するように、この「7月14日」運動は、イスラエル国内の住宅高騰に対する「家寄越せ」運動で、パレスチナ占領と連動するものではない。「アラブの春」の影響を受けたものであることには違いないのだが、テントキャンプの中でシオニスト右派らが「ジュデア・サマリア(被占領西岸)にもっと入植地を」といった掲示を掲げて闊歩していたりする。入植者優遇制度が、イスラエル国内の生活者たちを圧迫していることに、イスラエル人が気づくかどうかで、この運動の方向も定まるだろう。
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