2011年10月17日

EUがイスラエルによるモスク破壊に「遺憾」

2011年10月14日金曜

ベツレヘム (Ma'an) -- EU代表団は、木曜日、イスラエルによる西岸北部、ヒルベト・ヤルザ村でのモスク破壊を「遺憾」と語ったと、声明は述べた。

火曜日、アル-マルハ村議会議長、Aref Daraghmaは、イスラエルブルドーザと民事行政職員らが、60平米未満のモスクとベドゥインの構造物いくつかを破壊したと、Ma'anに伝えた。

これは、モスクが破壊された、7ヵ月で3回目と、Daraghmaは語った。

EU使節団は、2000年以来、イスラエルが、イスラエルの完全支配下にある西岸の62パーセント、エリアCで、家屋4,800棟以上を破壊してきたと語った。

(略)

全文:Ma'an News Agency
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国連:新東エルサレム建設計画は「受け入れがたい」

Givat HaMatosに住宅2,600戸を建設するイスラエルの計画は、和平会談を再開するカルテットの努力に有害と、国連チーフは語る
Reuters
2011年10月15日

国連事務局長、バン・キムンは、金曜日、東エルサレムにさらに住宅2,600戸を建設する計画の報道に関し、そこでの更なる建設行為は「受け入れがたい」と語り、イスラエルを批判した。

「事務局長は、被占領東エルサレムでの新イスラエル入植地のための計画を進める継続的努力を深く懸念する」と、バンの報道事務所は声明で述べた。

(略)

今週の初めに浮上した報道は、イスラエルが、和平会談に戻る前にそのような計画すべての停止を望むパレスチナを怒らせる、グリーンラインを越えた新東エルサレム地区、Givat HaMatosに、住宅建設を計画していると述べた。

「建設は停止されなければならない」

中東和平折衝、カルテット - 合衆国、ロシア、欧州連合、国連 - は、イスラエルとパレスチナに、挑発行為を避けるよう促し、立ち往生の和平交渉を再開するよう、彼らに促してきた。

「事務局長は、東エルサレムと西岸の残りでの入植地活動が、国際法に反すると繰り返す」と、国連声明は述べ、そのような活動は「停止されなければならない」と付け加えた。

(略)

全文:Ynet news.com

 バン・キムンの「西岸の残り」(the remainder of the West Bank)の意味するところは不明、「西岸の入植地が既に建設されたところはともかく、その残り」としか読み取れないが、まさか、ね。そもそも、わたしの翻訳に問題があるのかもしれない。原文参照。
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右翼イスラエル人らがシャーリト取り引きに抗議して司法大臣宅に侵入

2011年10月16日

抗議者らは、Yaakov Neemanの警備官らを出し抜き、正面玄関をドンドン叩き、パレスチナ囚人を解放する司法大臣決定に反対するスローガンを繰り返す。

Jonathan Lis and Nir Hasson

(本文翻訳省略:表題通り、内容はない)

全文:Haaretz.com

 自分の故郷がすばらしいと感じている者は、まだ弱々しい未熟者に過ぎない。あらゆる土地が自分の故郷であると感ずる者は、既に強くなっている。しかし世界が残さず外国の地であると感ずる者は完璧である。弱々しい魂の持ち主は、自分の愛を世界の特定のひとつの場所に固定する。強い人間は、自分の愛をあらゆる場所に広げた。完璧な人間は、自分の愛を消滅させるのである。
 --エドワード・サイードがしばしば引用する12世紀のザクセンの修道士、サン・ヴィクトワールのフーゴー

 彼の国の右翼も此の国の右翼も「弱々しい未熟者」、見える範囲があまりに狭い、他者の視点を獲得し得ない。
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アル-ザハル:前-拘束者たちが西岸とエジプトに到達したならシャーリトを釈放するだろう

2011年10月15日(土)
Majd Qumsieh - IMEMC & Agencies

ハマースの指導的人物、マフムード・アル-ザハル博士は、前-拘束者たちが、西岸とエジプト領域に入った瞬間、ハマースは、即座にギラード・シャーリトを釈放するだろうと述べたと、Ma'an通信社が報じた

アル-ザハルは、火曜日に実施されると思われる第1段階の交換実施手順を説明した。彼は、「解放された拘束者たちは、2つの場所に集められるだろう;第1は西岸に近づき、第2はエジプトに近づくだろうと、報告した。そして彼らは赤十字社に渡されるだろう。最終的に、拘束者たちが、エジプト領域および西岸に入った時、イスラエル兵、シャーリトは釈放されるだろう」。

第2段階に関して、彼は、Middle East通信社との談話で「ハマースは、550人を含み、2か月間で実施されるだろう取引での、解放される拘束者の氏名決定に加わらないだろう」と述べた。彼は、「イスラエルが、解放されるそれらの氏名を選ぶものである」と述べた。しかしながら彼は、取り引きが、高齢者、慢性的持病のあるものに加えて、長期間投獄されてきた、あるいは解放まで僅かを残す拘束者たちを含むべきと求めた。

(略)

全文:International Middle East Media Center
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2011年10月16日

シャーリト取り引きイスラエル・アラブ間で38番目

2011年10月13日
PNN

囚人研究者、Abdulnasser Farwanehは、捕虜となったイスラエル兵、ギラード・シャーリトを、1,000人を超えるパレスチナ囚人と交換する、最近、イスラエルとハマース間で纏まった取り引きが、1948年以来、イスラエル・アラブ政府間で署名される取り引きの38番目となるだろうと語った。

エジプトが最初、1949年2月、イスラエルと囚人交換し始め、そして、最後の知られる交換は、2008年7月の、サミール・アルカンタルを解放した、ヒズボッラ・イスラエル間のものだった。

パレスチナ解放人民戦線 (PFLP) は、1968年7月初め、イスラエルと囚人交換した最初のパレスチナ集団だった:捕獲されたイスラエル航空機は、アルジェリア着陸を余儀なくされ、そしてその乗客が人質にとられ、パレスチナ囚人37人と交換に解放された。取り引きは国際赤十字により監督された。

ギラード・シャーリト解放前、ハマースとイスラエルは、イスラエルがシャーリト健康に関する情報を示すヴィデオテープを得るために、囚人20人を解放する、2009年10月の「ヴィデオテープ取り引き」を行った。2007年6月のその取り引きは、イスラエルとパレスチナの間の最後だった。

ファタハは、マフムード・バクリ・ヒジャジの解放を交渉し、1971年に囚人交換を始めた。1983年11月23日に、党は、南レバノンのアル-アンサール刑務所の囚人4,700人すべてが、イスラエル刑務所からパレスチナ囚人65人も同様に解放された、すべてファタハにより捕虜となったイスラエル兵6人のために - 闘争の歴史上最大の交換を、巧みに計画実行した。

Farawnaは、パレスチナ人解放のため、イスラエル人を捕らえる手腕が、抵抗党派に新たなものでなく、彼らの哲学の要点を形成すると語った。彼は、それが囚人とその犠牲への忠誠を実証すると語った。

原文:Palestine News Network

 シャーリト解放交渉は、今までも、ことさらムバラク政権下のエジプトの仲介で何度も試みられ、先走った「交渉締結」の記事も何度も掲載されたものだが、その都度、ハマースは根拠のないものと否定してきた。今回、ハマースは否定する声明を出していないので、本当らしく見える。
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空軍司令官がシナイでの部隊水準増加の許可をエジプトは必要としないと語る

2011年10月14日金曜日

エジプト空軍司令官は、エジプトにシナイ半島での軍配備の数の増加を許すための、イスラエルからのキャンプデーヴィッド合意へのいかなる修正も、彼の国は期待していないと語った。「シナイは我々の領土だ」と、空軍中将、レダ・ハフェズは語った。「そして我々は、我々の領土に我々の部隊の数を増加させるため、誰からの許可も必要としない」。

エジプト空軍記念日の記者会見で話して、ハフェズ元帥は、「エジプト航空機は、東国境を含むエジプト国境すべての安全確保のためのパトロールを遂行する」と記者団に告げた。部隊数はシナイで、国境を護るための必要と一致するレベルに増加されるだろうと、彼は付け加えた。

(略)

全文:Middle East Monitor

 届く記事があまりにあり過ぎて、優先順位に従って翻訳を試みるけれど、翻訳しようと確保した記事の多くの翻訳をあきらめている。そのあきらめた中に、この記事の前段がある。
 イスラエルメディアはこぞって、「エジプトがシナイ半島の防衛能力を持たないと暴露した」と主張し、イスラエル軍のシナイ半島配備を正当化する記事を掲載した。キャンプデーヴィッドは、シナイ半島の返還を目指したとはいえ、エジプト軍がシナイ半島に展開するために、イスラエルの許可を必要と定める半端なものだ。このイスラエルメディア報道へのエジプトの返答が上の記事だ。シナイ半島に展開するエジプト軍を制限しておいて、「エジプトがシナイ半島の防衛能力を持たない」とは何ごとか、との思いが滲む。
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2011年10月15日

ナブルスの姉妹がまたひとつの轢逃げ犯罪の被害者となる

2011年10月07日
International Solidarity Movement、西岸

クフル・カッドゥームのサジャ、19歳と、アフラム・ビラール、18歳は、10月4日火曜日、フワラの主要道で、イスラエル入植者、Eliyaho Millerにより負傷させられた。女ふたりは、入植者が女たちに車輌を衝突させた時、彼らが学ぶイブン・シナ看護大学に歩いていた。彼が彼らふたりを轢いて、サジャが事故(現場)から10メートル投げ出された後、彼は徒歩で現場から逃げようと試みた。Millerは、イスラエル警察が報告書を作るため到着するまで、パレスチナ人タクシードライヴァーにより止められた。

轢逃げ攻撃は、姉妹ふたりがキャンパスに歩いていた、午前7:50に起こった。サジャとアフラムが通りを渡ろうとして、通りに踏み入ったとき、彼らのどちらも、入植者の車が加速したのを見た。(略)

イスラエル法下、イスラエル警察は、入植者が関わるいかなる種類の事故であれ負傷者がいる場合、イスラエルの救急車を呼ぶ義務がある。救急車を呼ぶイスラエル警察の躊躇(何故の躊躇か、それが法ならば - mizya)で、フワラに住むパレスチナ人たちは、サジャとアフラムをナブルス病院に運ぶため、救急車の到着を彼ら自身で取り仕切った。女たちどちらも、イスラエル警察と軍関係者がついに現場に到着したと語ったが、イスラエル軍は、事故に関する情報はないと語り、そして警察は、事故の詳細を調べていると報告した。

この入植者事件は、イスラエル人によるパレスチナ人に向けた増加する嫌がらせと暴力の最新のものだ。今週初め、Quds Pressにより引用された公式報告は、2011年当初以来、西岸でパレスチナ市民に対するイスラエル入植者らによる故意の車輌攻撃は、33件あったと述べた。ファーリド・ジャベル、8歳は、9月26日、ヘブロンで、イスラエル入植者の車に轢かれて殺戮された。ナセル・アブ・アル-カバシュ、20歳は、10月10日、ベイト・ダジャンで、イスラエル入植者の同様の轢逃げ事故に巻き込まれた。

(略)

全文:International Solidarity Movement

アーカイヴ:スバル:我々は車に衝突される子どもたちを見せる広告に関係ない(04月24日)

 ユダヤ人入植者らにとって、車はパレスチナ人を殺戮する兵器ということらしい。
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