2011年11月28日

イスラエル占領軍部隊がヤッタ近くのモスク破壊、少女ふたりを逮捕

realistic bird
2011年11月25日

アル-ハリール、(PIC)- イスラエル占領軍部隊は、木曜日、西岸南部、アル-ハリール郡のヤッタの町の東、ヒルバト・アル-マフカラを襲撃し、モスクを破壊した。

地元情報筋は、イスラエル占領軍部隊が、村を襲撃し、50平米の小さなモスクを破壊したと、語った。彼らはまた、10人が住む家屋と、4人が障害者の14人が住むもうひとつの家屋も破壊した。占領軍はまた、発電機を収容する小屋と畜産農場も破壊した。

情報筋は、占領軍が、アマル・ハマムダ(17歳)とサワン・タハン(19歳)を逮捕し、女の脚を折ったと、付け加えた。

占領軍はさらに、スシア村のムハマド・メグネン所有の家屋と動物の囲いを破壊した。彼らはまた、村の学校を襲撃し、校長、ムハマド・アンナワジャアを攻撃し、彼らが破壊しに戻ってくるので、学校から撤退すべきと彼に警告した。

イスラエル占領部隊はさらに、ヤッタの東、ヒルベト・アッデイラトの住民の多くに破壊警告を渡し、ヤッタの東の住民の多くに、情報将校との面接に出席する召喚状を渡した。

(略)

全文:Silver Lining

 マメだね、イスラエル占領軍。こんな作戦を一度か二度やったら、飽きっぽいわたしは、三度目は断ると思うけれど、飽きもせず、毎日、毎日、毎日繰り返しているのだから、相当情熱があるというか、好きなのだろうと思うしかない。弾圧の様々なヴァリエーション、やはり「好きこそものの上手なれ」、いったい何が、これほどまで彼らを駆り立てるのだろう。


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イスラエル占領軍部隊が未成年者、若い女を含め1週間でパレスチナ人60人を逮捕

2011年11月26日

ラマッラ、(PIC) -- イスラエル占領軍 (IOF) は、先週を通して、西岸と被占領エルサレムで、未成年者10人と若い女性ふたりを含む、パレスチナ人60人を逮捕したと、土曜日、ハマース運動による報告は述べた。

それは、18人がナブルス郡で、ジェニンで9人、エルサレムとベツレヘムでおのおの8人、アル-ハリール(ヘブロンのアラビア語名:訳注)で7人、ラマッラで6人、サルフィトで2人、ツルカレムとカルキリヤでおのおのひとりづつが逮捕されたと述べた。

報告は、若い女性ふたりが、アル-ハリール郡、ヤッタ村で拘束されたと指摘し、彼らはそれぞれ17歳と19歳と付け加えた。それは、未成年者20人が、11歳から18歳と言及した。

(略)

全文:The Palestinian Information Center

関連記事:「イスラエル占領軍部隊が西岸とエルサレムの多くのパレスチナ人を逮捕」Occupied Palestine

2011年11月25日
OCCUPIEDPALESTINE

ナブルス、(PIC)- イスラエル占領軍部隊は、西岸北部の都市、ナブルスの東、ベイト・フーリク村を襲撃し、若者を逮捕した。若者の家族は、彼らの息子がどこに連れて行かれたか知らない。ユダヤ人入植者らは、ナブルス南のルッバン村のパレスチナ住民の資産を攻撃した。

地元情報筋は、イスラエル占領軍部隊が、昨夜、午前1時半ごろ、ベイト・フーリク村に侵入し、ムリタトゥ一族の住民の家屋を襲撃、20代の彼らの息子を連れ去ったと語った。

(略)

その間に、エリ入植地の入植者らは、入植地に近いルッバン村を攻撃し、ダラグマ一家所有の資産を襲撃し、多くのオリーヴ樹を根こそぎにした。

更に、イスラエル占領軍部隊は、金曜午前、エルサレムの北、ベイト・ハニーナと、アクサーモスクの南、シルワンのパレスチナ人ふたりを逮捕した。
地元情報筋は、イスラエル占領軍部隊が、夜明けに、ハイサム・シュクリ・タハの住居を襲撃し、彼を、エルサレムのMaskoubeyya尋問・拘置所に連れて行ったと、語った。

イスラエル占領軍部隊はまた、アクサーモスクの南、シルワン、タウリ地区のタラブ・イドリス(46歳)を、彼の家屋を捜索・襲撃して逮捕した。彼らはまた、彼の携帯電話を没収した。

 これらの記事もまた、被占領パレスチナで日々繰り返される暴力、あまりに多すぎて、殆ど掲載を省くニュースの代表ともいえる。これと同様に多いのに、掲載を省略しているのが、反アパルトヘイト壁の非暴力デモンストレーションに対するイスラエル占領軍の攻撃。
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ガザ攻撃3題 - 空・陸・海

イスラエル空軍がガザ空爆
2011年11月27日日曜日
by Saed Bannoura - IMEMC & Agencies

ガザ回廊のパレスチナ情報筋は、イスラエル戦闘機が、日曜日夜明け、ミサイル1発をガザ中部地区に、ミサイル2発を南部沿岸地域に発砲したと、報告した。負傷者は報告されていない。

(本文翻訳省略)

全文:International Middle East Media Center

記者:イスラエル軍用車輌がガザ北部の境界越え
2011年11月24日木曜日

ガザ市 (Ma'an) -- イスラエル軍用車輌が、木曜日、ガザ地区北部の境界を越えて侵入したと、Ma'an記者は語った。

ガザ北部の町、ベイト・ラヒヤに近いアブサムラ地区に多くの車輌が侵入した後、散発的発砲が聞かれたが、負傷者は報告されていないと、彼は語った。

(略)

全文:Ma'an News Agency

イスラエル海軍がガザ漁師ハント
2011年11月26日

2011年11月24日 | 国際連帯運動、ガザ


WelshInGaza

海へ3マイル未満のパレスチナ漁船に放水砲発砲を試みるイスラエル海軍から、走り逃れるわたしたち国際人権監視船のヴィデオ。

発表では、イスラエルは、ガザの漁師たちに、生計維持の3マイルを「許可する」。今日、殆どの日々起こるごとく、彼らは2.5マイルほどの漁船5艘を攻撃し、わたしたちをガザ海岸から2マイル未満に押し込めるまで追いかけた。今度ばかりは、この日常的出来事が、カメラに捕らえられた。

わたしたちの(監視)船歴史(まだ半年ほどの歴史だけれど - mizya)で初めて、わたしたちは逃げおおせた。

原文:International Solidarity Movement

 毎日発生することなので、このような記事は毎日届く。でもこのような記事を毎日掲載しきれないので、翻訳する場合、変わりゆく状況(殆どの場合、悪化しているのだけれど)の記事が優先される。しかし、個人に対する、このような日々の生活の締め付けの総体が弾圧の本質なのだから、もう少ししばしば掲載すべきと思っている。あまりにも多くのことが起こり過ぎて...
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2011年11月27日

報告:入植者らによるエルサレムの「不在者」財産使用の正式認可が増加する

2011年11月26日

ナブルス、2011年11月26日 (WAFA) - 土地防衛・入植地抵抗全国事務局は、土曜日に発表のその週報で、イスラエル政府が、東エルサレムのパレスチナ人の土地を不在者財産と主張して、入植者らに使用を正式認可する上昇があると、述べた。

イスラエル政府が、入植者グループに、東エルサレムの旧市街、シルワン、シェイフ・ジャッラの家屋と建物を含み、主張される不在者財産の使用を正式認可し資金提供したと、報告は述べた。

(略)

全文:WAFA

先行記事:「一度に一家族、パレスチナ人を東エルサレムから押し出す」the Alternative Information Center (AIC)

2011年11月23日水曜日
Emma Mancini for the Alternative Information Center (AIC)

5日以内に、- 東エルサレム、シルワン地区に住む - スマリン一家は、彼らの家を失うだろう。

silwan-woman.jpg
土地没収、家屋からの追い立て、軍による夜襲、殆ど日々の逮捕に直面する、東エルサレムの地区、シルワンのパレスチナ住民。東エルサレム住民は地方自治体に税金を支払うが、見返りの公共業務は殆どない (Photo: flickr/Melanie van der Voort)

何十年も、スマリン一族は、東エルサレムの地区、シルワンの入口、ワディ・ヘルウェに住んできた。しかし1週間前、家族は、彼らが立ち去らなければならないとする命令を受け取った。彼らがそれをしないなら、部隊による追い立てに直面するだろう。

ユダヤ民族基金 (JNF-KKL) の子会社、Himnutaは、家族が家に違法に住むと語り、移管を正当化する。Himnutaは、建物が彼らに所属すると主張する。

「1984年、わたしの曾祖父、ムーサ・アブドッラ、家の所有者が死んだ」と、マフムード・スマリンは、Alternative Information Center (AIC) に説明する、「彼は、エルサレムのブルーIDを持っていた。彼の甥と彼の家族は、彼の死以来ここに住んできた。どのようにして、この財産が、不在者財産になるのか? それがどのようにして没収することができるのか?」

(略)

関連記事:「否定にも拘らず、事実は東エルサレム、シルワンのパレスチナ一家追い立ての陰にJNFありと示す」Eyes On The Ground in East Jerusalem

シルワンのスマリン・パレスチナ人一家を追い立てないようJNFに求める、人権のためのラビたちの行動警告に続き、JNFは、基本的に「それは我々でない! それは入植者らだ!」と主張する返答を発表した。その間、英国のユダヤ人グループ、Yachadは、同様の呼びかけを発表した。

JNFの返答によれば、「KKL-JNFは、90年代初め、Eladに土地を賃貸した… KKL-JNFは、この問題でまったく、権利も、支配も、責任も持っていない」。実際に、立ち退き命令が証明するように、スマリン一家に対する法的行為すべては、(JNFによる完全所有の)Himnutaにより取られてきた。Elad入植者らは、スマリン一家に対する長い法的手続きのどれでも言及されることはなかった。したがって、Himnutaが90年代に財産をEladに賃貸したとしても、追い立て過程は、Himnutaの名前で行われている。

(略)
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あるパレスチナ人にとり、自由は刑務所より危険

2011年11月25日

シャーリト取り引きで解放された、殺人で有罪判決を下されたパレスチナ人、ハニ・ジャベルは、ヘブロンの彼の家にあえて帰ろうとしない:入植者らは、彼を殺すと脅している。

ギデオン・レヴィ

ハニ・ジャベルは、1分といえど、まだ家に戻っていない。彼は、イスラエル刑務所で18年を過ごした後、シャーリト取り引きで解放され、もはや1ヵ月以上、自由人だった。彼は、他の解放の囚人の多くのように、追放されなかった。しかし、彼は、帰宅もしていない。ジャベルは、生命を心配する。イスラエル軍は、彼に帰宅しないよう助言した。解放以来、彼は、ヘブロンの親族が所有するアパートに隠れ、あえて通りに出ることはせず、恐れの中に暮らす。彼は、迫害されていると感じる。

尊敬されるクネセト・メンバー(MK/国会議員)が、彼自身、殺人を唱道することを許される国で(「解放の殺人者を殺す手に祝福あれ」と、ナショナル・ユニオンのMK、Aryeh Eldadは、囚人たちの釈放後のその日語り、そして誰も、彼が審理されるべきと考えない)、ジャベルは、マークされた男だ。入植者らが、釈放の囚人に関する契約を結ぶことができる国 - ジャベルの居場所の情報に10万ドルの賞金が提示され、ヘブロンには、彼についての情報を人びとに促すヘブライ語とアラビア語のポスターが貼られている - で、ジャベルは、見たところ、余生を送っている。

ジャベルの手は血塗られた。18年前、入植者らにより、頻繁な虐待と攻撃を経験し、彼の家族が同様に扱われるのを見た高校生のとき、彼は包丁をとり、妹を攻撃したと彼が語った、入植者、Erez Shmuelを殺害した。ジャベルは、終身刑2回の判決を受け(2つ目の終身刑の理由は不明確)、彼の判決の一部に服し、合法的に釈放された。しかし彼は、自由人として今あるより、刑務所での方がずっと安全と感じている。(略)

現在36歳、ひげを蓄え、自制ある、屈強で広い肩を持つ - 彼は、刑務所での年月、明らかに健康を維持した。彼は、ヘブライ語を少し学び、パレスチナ人公安囚人に課されたより厳密な条件が彼の学問を止めるまで、ヘブライ大学の中東学科通信教育課程を2学期修めた。彼はまた、ハマースの男たちと監房を共有するうち、刑務所で宗教的に遵守するようになった。ジャベルは今、息子に寄り添って保護し、彼の命を気遣う、スーツとネクタイを身につけた心配の人、彼の父親、ラムシより宗教的だ。ジャベルは、ヘブロン中心のある安全な家でのわたしたちの会談に、父親に伴われ、やってきた。「彼はぼくのボディガード」と、彼は笑って言った。

彼らの家は、ヘブロンのエリアH2、イスラエル支配下にある、民族浄化された地域の中心にある。彼らは、暴力的入植者らのまっただ中、「家長の墓」(イブラヒミ・モスク:訳注)近くに住むことを許された僅かなパレスチナ人の中にある。墓の向かい側のラムシの土産物店は、長く閉じられたままだ。家族は、この地区の住民の多くがしたように、入植者テロから逃れ、安全な場所に移るすべを持っていない。それは、店舗が閉じられ、家々が見捨てられた、今やゴーストタウンである。

ジャベルの幼年期の記憶は、攻撃と大量虐殺でちりばめられる。あるとき、武装した入植者4人が、彼の家の近くの通りで彼を攻撃し、彼のあごを折って、彼を入院させた。1ヵ月というもの、若者は食物を口にすることができなかった。ジャベルは、イスラエル警察に訴えたが、彼らは何もしなかったと語る。別のとき、彼の脚は、入植者らの攻撃で砕かれた。彼は、入植者らが、彼の姉妹とその友人たちの頭から、慣例的に、頭覆いをはぎ取り、ごみと糞便で満たした袋を彼らに投げつけるのを見た。陣痛で出産に行く途中だった女いとこ、アズィザ・ジャベルは、恐らく隣接するキリヤト・アルバ入植地の、入植者らに射殺された。殺されたとき、彼女は30歳だった。

その事件で、彼の怒りは高まった。彼はまだ高校で、いかなる組織との結びつきもなかった。彼は、ひとりで行動し、天罰を必要とすると決めた。1993年5月29日、入植者が、学校から帰宅する9歳の妹を攻撃した。ジャバルは家に急ぎ、包丁をとり、激怒の発作がErez Shmuelに降りかかり、彼の胸を突き刺し、彼のピストルをとった。Shmuelは、崩れ落ち死んだ。その事件は、ジャベルの家から30メートルほどで起こった。若い殺人者は、彼がしたことを、両親にも友人たちにも誰にも言わなかった。6ヵ月が経過し、彼は通常通り、毎日 - 外出禁止令がない日には、学校に行く彼の生活を続けた。彼が、いかなる組織との関係も持っておらず、彼がしたことを誰も知らなかったという事実は、彼を一時的に逃すことができた。

ジャベルは今、妹を攻撃した人間に復讐を遂げ、彼が正しいことをしたと思ったと語る。しかしながら、彼は、その時でさえ、彼の行為で解決したことは何もなかったと理解した。入植者らの攻撃は悪化するばかり、また、外出禁止令と封鎖は、拡張された。殺人の後、誰かが彼を認める必要を感じたと、彼は言い、彼は、組織のひとつ - ファタハ、ハマース、あるいは人民戦線 - に加わろうとしたが受理されなかった。

半年後、パレスチナ住民地区に、無期限外出禁止令が課されたある日、兵士らは到着し、その地区で広範囲の逮捕をした。ジャベルは、拘置されたものの中のひとりだったが、兵士らは、彼が殺人で指名手配されたとは思わなかった。彼が組織のひとつに加わろうとしたのをイスラエルが知って、逮捕されたと、彼は考える。彼は、ナブルス刑務所に連れて行かれ、シンベト公安業務により尋問され、隔離して置かれた。25日後、彼は、他に話すことを誘発させるのが仕事のおとりらのいる部屋に入れられた。彼を煽動して、彼らは、いとこの殺人に復讐するために彼が何をしたか尋ねた。彼らはまた、彼ら自身の英雄行為を自慢した。しのぐことを欲するでなく、若いジャベルは、彼もまた、自慢の種を持っていると彼らに告げた。

人権組織、B'Tselemの実地調査官、わたしたちをジャベルとの会談に連れて行ったムーサ・アブハシュハシュは、微笑む。彼は、数年前、彼が数日拘留され、おとりらが彼の監房に連れてこられ、彼もまた英雄行為を自慢したかったが、告げることが何もなかったことを思い浮かべる。ジャベルが、隔離されて5ヵ月過ごしたと語ると、アブハシュハシュは、11日間隔離され、彼の世界は終ったと思ったと語る。

(略:長い)

全文:Haaretz.com
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2011年11月26日

ハーレド・ジャラルへのインタヴュ:パスポートにパレスチナをスタンプすること

2011年11月21日

by Alistair George
2011年11月21日 | International Solidarity Movement、西岸

ハーレド・ジャラルは、ジェニン出身のパレスチナ美術家で写真家、現在、ラマッラを拠点とする。イスラエルの占領を撮影し記録することに加え、彼は「パレスチナ国家」の切手とパスポート・スタンプをデザインした。今週、国際連帯運動 (ISM) のAlistair Georgeとのインタヴュで、ジャラルは、彼のスタンプの陰のアイデア、過去と未来の計画、芸術が政治的抵抗に影響を及ぼす広がりについて説明する。

ISM:「パレスチナ国家」パスポート・スタンプの陰のアイデアは何ですか?

ジャラル:ぼくは3年前にこのアイデアを抱いた。ぼくは外国の友人たちと居て、彼らがパレスチナを訪れたい場合の、ことさら国境警察にパレスチナ領域に行くつもりと告げるときの(テルアヴィヴの)ベングリオン空港で得る困難な時間のことをぼくに語った。そこでぼくは考えた - ぼくたちの国で誰が歓迎されるか、イスラエルはどうして決定するのか? ぼくたちは誰でも歓迎したい! それでぼくは友人たちのために「グリーン・カード」を作ろうと言った;彼らはパレスチに住み仕事できるとする皮肉な許可の類い。それは、「パレスチナにようこそ」と言う権利をぼくたちは持っているというメッセージを送る。人びとが「申請書」を提出するラマッラの画廊に来て、「永住許可証」を得た! 彼らは記念品としてそれを取った。

10か月前、ぼくは、再度考え、プロジェクトの展開を試みていた。ぼくは、「パレスチナ国家」の切手とパスポート・スタンプのデザインに取り組んだ。ぼくは、美的な何か、人間性についてのぼくの思想に合致する何か、オリーヴ樹やモスクだけでなく - イデオロギーや政治よりもっと人間的何かをつくろうと試みていた。ぼくは、パレスチナ・サンバードと呼ばれる - この鳥を見つけた。ぼくは、イスラエルが、彼らの国鳥にするために、この鳥の名前を変えようとしたという話を聞いた。それは、美しい鳥だ、そしてぼくは、美しいので、ジャスミンの花を使った。イスラエルは実際、1963年のイスラエルの切手のデザインにこの鳥を使ったんだ、「パレスチナ・サンバード」って書いてだよ、ぼくにとっては全く皮肉で、逆説的だったけど。

ぼくはデザインし、起こるだろうもうひとつのプロジェクトがあって、消えてしまうのではないかと心配した。ぼくはこのスタンプに命を捧げる必要があり、ぼくは、スタンプのための公的場所 - パスポートにあるべきと考えた。それでぼくは友人たちに、彼らのパスポートにスタンプできるか訊ね始めたけれど、彼らは「正気?」と言った。「だってそれにはイスラエルのスタンプしかない、なぜパレスチナのが駄目なんだ - 君はパレスチナに居るのに!」と、ぼくは言った。

ここのステレオタイプは闘争、闘争、闘争、そしてぼくは、この陰の何かを示したい、ぼくは生活を示したい。ぼくは、人びとに尋ね始め、それをする勇気のある誰も見つけることができなかった - そして、ぼくはフランスの女の子を見つけた。彼女はバーに座っていて、ぼくにパスポートをくれた。それは初めてのスタンプだった。(略)

ISM:あなたはどれだけのパスポートにスタンプしましたか、そして反応はどうでしたか?

ジャラル:180ほどのパスポートにスタンプした。ぼくは、パスポートにスタンプした人びと殆ど全部と、電子メールしてきて、連絡をとり続けている。ぼくはラマッラで何度か、ベルリンのチャーリー検問所で2日間、パリでも2回 - 1度はポンピドゥーで、パフォーマンスした。人びとの多くはそれが好きで、とても美しいと気づいてくれる。でも、恐れる多くの人びともいる。でもこれはアート・プロジェクトなんだ。

(略)

スラヴォイ・ジジェク(スロベニア人哲学者)は、ラマッラでパスポートにスタンプした。ひとりがやって来て「スラヴォイ、やっちゃダメだ - 危険だ - イスラエルが君を逮捕するだろう!」と言った。しかし彼は「いまいましい、やって、やって!」と言って、ぼくは彼のパスポートにスタンプした。

ISM:イスラエル当局は、スタンプにどう反応しましたか?

ジャラル:何人かは尋問され、しかし多くは、当局がそれに言及さえしなかった。(スタンプしたパスポートを持つ)南アフリカの男、名前はエディー - 彼はスタンプ(のパスポート)で離れる最初の人だった。イスラエル国境警察は、スタンプを見て衝撃を受け、「こんなの見たの初めてだ」と言った。彼らは、彼の出国ビザにスタンプして、パスポートを彼に返し、そして彼は発った! 彼らは全く尋問しなかった。

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スタンプで発ったふたり目はデンマークからで - 国境警察がそれを見た時、彼らは誰かを呼び、そのひとは他の人を呼び、5人がスタンプを見た。彼らは一言も言わず、ただコピーを取って、彼にパスポートを渡し、彼は発った。

最初イスラエルは、これが本当なのか芸術なのか分からなかったとぼくは思うけれど、もちろん、尋問され止められた何人かに起こった悪い物語もいくつかある。イスラエルによって止められたオランダの女の子がいた。彼らは、「このようなもの見たことない、違法だ」と言った。彼女は「いいえ、それは違う、それはアート・プロジェクトで、これからあなたたちはこれらスタンプを見るようになるわ!」と言った。係官は彼女を尋問して、「どうしてこれをしたのか?」とか「誰がこれをやったのか?」と尋ねた。彼らは1時間彼女を引き止め、彼女のハードディスクをとりあげ、裸の身体検査をして、彼女の荷物を開いた。

ぼくは、スタンプの所為で、入国を拒否された誰かがいたとは公式に聞いていない。しかし、多くの物語がある。スタンプを持っているアメリカの女の子がいて - 彼女は、エルサレムでの労働許可申請を望んでいた。彼女は、招待状と書類すべてを持っていた。イスラエル内務省は、彼女のパスポートを見て、「このパスポートにこのスタンプがあるので、あなたはイスラエルヴィザの許可を申請できない。恐らくあなたは、そのページを取り除くことはできる」と、彼らは言った。それで彼女はアメリカのパスポートからそれをはぎ取り、彼女は再申請して、ここで働く1年のヴィザの許可を得た!

(略:まだインタヴュは続くけれど)

全文:International Solidarity Movement

 何年か前、ベルファストの友人を招待してアトリエのデッキでバーベキューしたとき、(わたしが)選んだ音楽がインモータル・テクニーク(ウォール街占拠で「死者への乾杯」をパフォーマンスした)だった。いわゆる「Fワード」が連発されることもあるから、英語が母国語の友人は聴くに耐えなくなることもあったらしい。「わたしは平気、英語は母国語じゃないし、そもそも顰蹙する言葉などあろう筈もない、使うのは人間だから」とすましていた。友人の恋人はラトビア人で、彼女も「わたしにとっても、英語は母国語じゃないから、聴いていて恥ずかしくなることはない」と言った。スラヴォイ・ジジェク(も、やはり、ウォール街占拠で演説している)もスロベニア人だから平気なんだ、使っても、と、思った。「いまいましい」と訳したけれど原文では「F− it」。
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2011年11月25日

活動家たち:わたしたちは軍事政権が倒れるまで抗議するだろう

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抗議者たちは、SCAFの文民政府への権力移管を要求している。 (Photo: Ali Garboussi)

2011年11月22日火曜日

「政府発表の辞任は、わたしたちのデモンストレーションを止めないだろう」と、エジプト人活動家、マホメド・ハマーマは語った。「とにかくそれは起こり、軍事政権が文民政府に権力を渡すまで、わたしたちは、デモンストレーションを止めないだろう」。

エジプト革命社会主義者の一部、ハマーマは、3日目となる象徴的タハリール広場の抗議に参加する何十万人ものひとりだ。「ムバラクの下での政府が辞職した時、わたしたちは抗議を止めなかった。わたしたちは、大統領が去ることを望んだ。わたしたちは今止まらない。軍事政権がわたしたちの行く先だ」。

エジプト政府は、少なくとも35人を死亡させたカイロでの3日間の抗議の結果として、月曜日夜、辞職した。エジプト軍最高会議 (SCAF) はまだ、辞職を認めていない。

抗議者たちは、タハリール広場から抗議者たちを分散させる試みで、極端な暴力を使用したエジプト公安官らと対決した。

親-民主主義の抗議者たちは、タハリール広場 - 独裁的な前大統領、ホスニ・ムバラクを倒した革命の集会地点 - に、金曜日に戻り、革命を取り戻すためキャンプを設置したが、彼らは、支配軍による一掃を見る。

「人びとは、国の至る所からカイロに到着している」と、抗議者、モハメド・アンマルは語った。「たとえ警察と軍が、わたしたちに対し暴力を行使しようとも、わたしたちの数は増えている」。

陸軍元帥、タンタウィにより率いられるSCAFは、ムバラクの辞任に続き、エジプトの暫定的指導権を握り、彼らの政権掌握を強化しているように見える。SCAFは、9月に、恐れられる非常事態法を更新し、エジプト人ブロガー、アラア・アブデル・ファッタの注目の拘束を含み、異議を唱えるジャーナリスト、活動家、ブロガーを厳しく取り締まってきた。

「アラアの投獄は、民間人の軍事裁判使用に長い間反対してきたわたしの家族への、SCAFからのメッセージであるばかりでない」と、アブデル・ファッタの妹、サナア・セイフは語った。「それは活動家すべてへのメッセージでもある。SCAFは、わたしたちすべてが標的だと皆に知らしめたいのだ」。

抗議者たちは、SCAFの文民政府への権力移管を要求している。

議会選挙は、11月28日に始まる予定だ。「選挙は、この段階で役立たない」と、ハマーマは語った。「軍が政権を握っている限り、選挙は公平でありえない」。

al-Badeel新聞編集長、ハーレド・アッダルシによれば、権力委譲の軍事政権の拒否の合成は、それが責任を取るべき、エジプト住民に対して犯罪を犯した事実にある。

「政府の辞職は、エジプトが直面する問題の解決を意味しない」と、アッダルシは語った。「それはおそらく発端。しかしながら、わたしたちが今集中させるべきは、抗議者たちに対して犯された犯罪の責任をSCAFに取らせることにある」。

文民政府への完全な移管なしでは、警察や軍の暴力は、継続するだろう。(略:もうすぐ最後ではあるけれど)

全文:alakhbar
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