2011年11月22日

容疑者の父親がシンベト高官なのでイスラエル裁判所はPeace Nowへのプライス・タグ攻撃で報道禁止令

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落書き:「Hagit Ofran RIP」

更新:わたしは、Peace Now攻撃者が異なるふたりによるらしいと知った。プライス・タグ攻撃を自白した、下で記述する容疑者は、Peace Now事務所に爆破予告を電話した者だ。Hagit Ofranのアパートと彼女の隣人の車を破壊したのは、もう一人の犯人と思われる。この個人はまだ捕まっていない。以前に書かれた下記の記事を読むとき、これをこころに止めておいて欲しい。

更新 I:わたしは、この事件の容疑者の氏名を明かすことに対してのみ、報道禁止令があると考えていた。しかし、Rotter(後半の翻訳省略部分にこの右翼のフルネームが出てくる :訳注)が、このブログ・ポストにリンクするわたしの掲示を削除した後、特定の箝口令が、父親がシンベト高官と明かすことにもあるように見える。それは、国防国家が、自身のものを保護する、イスラエルの運営方法である。

イスラエルメディア(ヘブライ語)は、警察が、Peace Nowプライス・タグとHagit Ofranに対して死を脅した容疑者を逮捕したと報道している。容疑者は、Peace Now事務所への爆破予告電話と、彼女の死を望む落書きと共にOfranのアパート破壊の彼の役割を自白した。しかし家族は、容疑者の身元確定を妨げる箝口令を確実にした。彼が裁判所に出廷した時、Haaretzによれば、父親は、そこにいた記者とカメラマンたちを、彼らが何か公表したなら刑務所に入れると脅した。彼はそして、法廷からの箝口令を確実とした。

別個のイスラエル情報筋ふたつが、容疑者の母親が警官であると認め、情報筋のひとつはまた、父親がシンベト高官と認めた。これは、なぜ父親がジャーナリストに法廷で叫んだか説明する:「俺が誰か知ってるか?」そして、彼の息子のプライバシーを犯すなら、彼らは刑務所入りだろうと警告した。

シンベト係官と婦人警官の息子が、右翼テロリストとしても、誰も驚くにあたらない。というのも、警官らは、Anatotで、そこにいた平和活動家たちを袋だたきにした攻撃者の中にいたのだから。(略)

全文:Tikum Olam

アーカイヴ:警官は活動家たちを攻撃した入植者の間で確認された(10月04日)

 翻訳を省略した後半部分の一部、この容疑者の両親は、更迭される懸念がないばかりか、父親は「昇格」さえ囁かれているらしい、「リッパな息子に育て上げた」ということで。法治国家ではないな、イスラエルは。


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2011年11月21日

報告:「パレスチナ村が暗闇に住むことを非難」

2011年11月19日(土)
Saed Bannoura - IMEMC & Agencies

スペイン組織、Seebaは、アメンズィルとして知られる西岸のパレスチナ村でソーラーパネルを設置し得た。初めてその住民は、電力を得たが、イスラエルは、パネルを撤去するように住民に命じる軍令を出した。

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Image By Arabs48

村は適切な電力を持ったことがなかったが、パネルが設置されて、住民は、家庭やイヴェント・テントに明かりを供給し始め、TVや他の電化製品を購入した。

ナブルスのアンナジャフ大学との協力で、スペイン非政府組織は、西岸南部に位置する小村「アメンズィル」に、ソーラーパネル2枚を設置し、村民は、基本的機能にかろうじて間に合っていたガス発電機と交換した。

(略)

イスラエル軍は、西岸のエリアCにある小村が、建築許可なしに建設されたと主張し、軍は、住民がソーラーパネルを撤去する要求命令を、先月、出した。

エリアCは、非占領西岸の60%以上を含み、建築すべてが、イスラエル軍管理下運営のいわゆる「民事行政」の承認の対象である。

イスラエルNGOのいくつかは、国連と共に、先だついかなる通知もない決定を撤廃するよう、軍への説得を試みている。

スペイン政府もまた、軍によるソーラーパネル撤去を防ぐ試みで、外交ルートを使っている。プロジェクトは、殆どの資金提供がSeebaによる、総額ほぼ365,000ユーロで実施された。

村議会議長、アリ・フレイザトは、France Pressに、「これらソーラーパネルは住民の希望の光」と語り「わたしたちは、1948年以来ここに住んでおり、他に行くところはない」と付け加えた。

(略)

全文:International Middle East Media Center

アーカイヴ:イスラエルがヘブロン地区のスペイン資金提供のソーラー発電所破壊準備(10月22日)
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2011年11月20日

フリーダムライダーへのイスラエルの反応

2011年11月15日火曜日
Mya Guarnieri

イスラエル傍観者たちの反応は、居合わせた者らの差別的意見と共に、圧倒的拒否だった;イスラエル軍が活動家6人を逮捕した後、パレスチナ人ジャーナリストも拘束された

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イスラエルの女子生徒がパレスチナ活動家たちに舌を突き出す (Photo: Activestills)

火曜日午後早くのラマッラでの短い記者会見の後、ジャーナリストたちは、西岸にあるPsagotユダヤ人入植地のバス停に向うパレスチナ・フリーダムライダー6人のバンを追いかける。

教授で『パレスチナの民衆抵抗』の著者、マズィン・クムシエ博士、Free Gaza運動創設者、フワイダ・アラフを含む - 活動家たちは、そこでエルサレム行きバスを待った。(略)

バス停に立っていたユダヤ系イスラエル人 - 中年女と非番の兵士 - は、クフィーエと、アラビア語と英語で自由・公正・尊厳の言葉を記すt-シャツを纏った活動家たちから大急ぎで距離を置いた。

Rimonim居住者、Magi Amirは、人々がアラビア語を話すのを聞いたので、群衆から立ち去ったと+972に説明した。

「わたしは、彼らがここにいる必要はないと思う」と、Amirは続けた。「彼らは彼らの村、彼らの家に居ることができるのに、どうしてわたしたちの地区にいるのか? わたしたちがラマッラに行けば彼らはわたしたちを殺す。わたしたちが彼らの村や地区に行ける? わたしたちは入れない」。

(略)

バスを待つためにやって来た他のユダヤ人入植者らも、安全を怖れると語り、Amirの情緒を繰り返した。

匿名を求めた16歳のユダヤ系イスラエル人は、「イスラエルのバス」だから、フリーダムライダーがバスに乗れるべきでないと語った。

「ぼくたちはここに住み、これはぼくらの土地だ」と彼は語った。違って感じる人々について尋ねると、少年は「これがパレスチナの土地と言うものたちは、証拠を持っていない」と答えた。

彼は、パレスチナ人が多くの自由を享受すると付け加えた。「ぼくらは彼らに身分証明書を与え、彼らは、したいこと何でもできる」。

+972は、マアレ・アドミムの居住者で匿名を望む少年に、パレスチナ人がしたいことを何でもできるなら、どうしてエルサレム行きのバスに乗れないのか? と訊いた。

「オーケー」と彼は言った。「彼らは、必要なことをできる... ぼくは彼らにバスに乗って欲しくない」。

Eggedバス2台がスピードを落としたが通り過ぎた。3台目が止まって扉が開いたとき、活動家6人、イスラエル警察官ひとり、ジャーナリスト2ダースばかりが乗車した。

活動家たちがバスに乗るのを見て、長くカールしたブロンドの髪の十代の少女は友達に話しかけた。「彼ら、何してるの? 彼ら、自分たちの(バス)あるんじゃない?」と彼女は言った。彼女は電話を離し、男の活動家に「悪党!」と叫んだ。

「売春婦」と、彼女は、唯一の女フリーダムライダー、アラフに叫んだ。

(略)

全文:+972
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2011年11月19日

「もしローザ・パークスが記者会見を行うことができればこのように見えただろう」

annie
2011年11月16日


Jposttv

今日、わたしは、Jerusalem PostのBenjamin Spierに、フリーダムライダーに「フリーダムライダー」として言及し、傑出した勇敢なフワイダ・アラフやバディー・ドゥエイクへのインタヴュ同様、「もしローザ・パークスが記者会見を行うことができればこのように見えただろう」と語ることから始まるヴィデオ報道(上)を感謝する。彼らの意見を聞くことは、非常にわたしを感動させる。(略)

わたしは、これが多少安全な旅となることを保証した現われたジャーナリストすべてに感謝する。

誰にも増して、わたしの心からの感謝を、わたしの世界を持ちこたえる、ナディーム・アッシャラバーテ、フワイダ・アラフ、マズィン・クムシエ博士、ファディ・クルアン、バシル・アル-アラジュ、バディー・ドゥエイクに。

全文:Mondoweiss

「占領に反対する芸術家たち」 (AAO) がエルサレムYMCAの「オリーヴ植樹キャンペーン」の要請を受け、パレスチナのオリーヴ取材に、米国、カナダ、フランス、そして日本からパレスチナに集まったとき、ベツレヘムからカルキリヤの分離壁まで、バスを借り切ってツアーを組んだ。AAOメンバーばかりでなく、ホテルに居合わせた世界各地からのNGOメンバー、ベツレヘムに住みながら、同じ西岸の北部に旅したことなのないAAOのワークショップ参加者たちも、そのツアーに加わった。そのとき案内してくれたのが、マズィン・クムシエ博士だった。イスラエルナンバーのバスをチャーターし、コンテナー検問所から西岸を北上する予定だったわたしたちは、イスラエルナンバーのバスはコンテナー検問所を使用できないとの口実で、検問所通過を拒絶され、パレスチナ人参加者だけを検問所で降ろして(パレスチナ人はイスラエル領内を旅することができないので)、イスラエル領内を北上して西岸に入り、西岸内部から再びコンテナー検問所に、パレスチナの友人たちを迎えにいった。言葉にすれば数行だが、3、4時間ばかりを失った。再び乗車したマズィン・クムシエ博士は、このコンテナー検問所の別名が「火の渓谷」と説明した。
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西岸前哨基地がパレスチナの土地に建設されたと証明する報告発表をイスラエルが引き延ばす

2011年11月13日

Derekh Ha'avot前哨基地は、2001年前半に建設され、35家族ほどの住まいだ;報告によれば、コミュニティーの60パーセントがパレスチナ農地にある。

Chaim Levinson

軍法務官 (MAG) は、西岸Derekh Ha'avot前哨基地の殆どがパレスチナ人の個人的土地にあると示す、1年前からの内部報告の発表を遅らせている。Haaretzによりそのコピーが入手された報告は、Etzion地区コミュニティの60パーセントがパレスチナ農地にあると示す。

Nativ Ha'avotとしても知られる前哨基地は、2001年初期に建設され、35家族ほどの住まいだ。2002年、パレスチナ人地主は、高等裁判所に彼らの土地の返却を訴えた。土地所有調査実施を任命された政府チームは、その仕事を完了することはなかった。

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エルサレムの南、Etzion地区のNativ Ha'avot前哨基地、2009年。
Photo by: Archive: Tess Scheflan / Jini

2008年、Peace Nowは、再び前哨基地撤退を要求し、弁護士、Michael SfardとShlomi Zachariahを通し、別の高等裁判所に訴えを提出した。訴えに対する応答で、国は、調査チームが再設立されるだろうと語った。2010年10月、Edmond Levy判事は、調査が終了していないとして訴えを退けたが、「誰も、それがいつなされるか知らない;時のみぞ知る」と書いた。

地主は、調査状況について尋ね、民事行政に繰り返し連絡した。Zachariahは、4月、MAG用地部のRoman Levittから、チームが調査結果データベース構築中で、2ヵ月以内にその仕事を完了すると思われると記す書簡を受け取った。9月、Levittは、調査作業が「最高潮」と再び書いた。

先週、Haaretzの質問に応えて、イスラエル国防軍報道事務所は、1969年に遡る土地使用再吟味を含む、問題の土地の物理的調査と - 政府地図作製機関 - イスラエル調査の入力の複雑さに言及し、チームの作業がその「最終段階」にあると述べた。

しかしながら、Haaretzにより入手の文書は、調査が2010年11月に実施されたと示す。その時以来、MAGと民事行政は、その公表を避けるさまざまな口実を使ってきた。その調査は、1969年から2007年までに撮られた航空写真7枚の比較に基づいた見解を民事行政に送った、イスラエル調査局写真判読チーフ、Malka Ofriにより行なわれた。

西岸法によれば、ひとは、連続して10年間耕作した土地区画の権利を得る。Ofriは、殆どの前哨基地がパレスチナ人所有地にあると意味する、Derekh Ha'avotが位置する1,420ドゥナム (350エーカー) の60パーセントを構成する問題の土地の耕作への顕著な変更は、25年間なかったと、書いた。

(略)

全文:Haaretz.com
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2011年11月18日

AFEHがママヌーラ墓地でのさらなる墓の掘り出しを記録

2011年11月17日

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被占領エルサレム、(PIC) -- アクサー寄金・遺産財団 (AFEH) は、被占領エルサレムの歴史的ママヌーラ墓地の掘り出しに何十人ものシオニスト仕事師が従事したと明らかにした。アメリカ・イスラエルの党派が、これら行為を隠す試みの「寛容博物館」建設計画の陰にいると強調した。

組織代表団は、水曜日朝、墓の掘り出しが再開され、差別的落書きが墓地の墓に書かれたと聞き、墓地を訪れた。

組織所長、アミル・アル-ハティブは、訪問が何よりまず、墓地に対して繰り返されるシオニストの暴力を確認し、最近再開された墓の掘り出しを暴露するためだったと語った。

AFEHは、仕事師何十人もが、いわゆる「寛容博物館」建設目的でフェンスで囲まれた墓地の南西部の墓を掘り出しているのを確認した。

(略)

全文:The Palestinian Information Center

アーカイヴ:イスラエル軍がイスラーム墓地の墓200を冒涜;ブルドーザでシェイフ負傷(2010年08月15日)
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2011年11月17日

「ガザは生き続ける」 - a film by Ashraf Mashharawi(アシュラフ・マシュハラウィ)

イスラエルの封鎖は、ガザの人びとに深刻な打撃を与えたかもしれないが、この映画は、荒廃の中での生活と希望を明かす。

Al Jazeera World
2011年11月16日



全文とヴィデオ:AlJazzera
posted by mizya at 20:09| Comment(0) | TrackBack(0) | film | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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