2011年12月06日

国連はリフタ保存を今行動すべき

Antoine Raffoul The Electronic Intifada London
2011年12月02日

今年初め、集団「1948年を忘れないために」は、2012年世界記念碑監視リストに、パレスチナ村、リフタを含めるため、世界モニュメント基金 (WMF) に申請を提出した。

WMFは、国家的、あるいは国家の保証の必要なく、個人、協会、組織からの推薦を受け入れるので選択された。基金は、ニューヨーク市を本拠とする慈善団体として登録される独立組織だ。それは、大きな建築物や遺跡であれ、珍しい記念碑であれ、世界の殆どの秘蔵の場所のいくつかの保全に関わる。

申請の準備で、わたしたちは、リフタの広範な調査 - その豊かな歴史、その比類ない建築的・文化的・社会的性格 - を行い、それがパレスチナすべての体現であることを見いだした。

(略:リフタの建築的価値:立方体に丸屋根、素材のエルサレム石、丘の斜面に埋め込まれたような景観など)

1948年-49年の過疎化 (depopulation) 以来、リフタは、イスラエル当局により放棄されたままで、現在、投機的開発業者により、破壊に直面している。建築的侵害の最後の行為として、麻薬常用者や不法占拠者ギャングが、村を歩き回り、リフタの正当な所有者が戻るのを妨げるため、エレガントな丸屋根を破壊している。

(略)

リフタを事例とすること

わたしたちのWMFへの申請は、多くの例証、史料、指示する計画、リフタの最近の歴史の様々な時期に撮られた見事な写真の何枚かを含んでいた。申請に含まれた重要文書のひとつは、世界中の2,958の署名を引きつけた、わたしたちの「リフタ救済」署名だった。署名が申請提出時に閉じられた段階での数は、象徴的に、民族浄化される前、1948年のリフタ住民数を表わした。署名を開いておいていたなら、わたしたちは他の何千もの署名を引きつけたと確信した。

(略:申請書類に言及されたイスラエルによる破壊に直面するリフタ保全の必要性)

このすべては、その殆どがほんの数キロのところに避難したにも拘らず - わずか生き残る元来のリフタ所有者と、村に帰ることを許されない多くの住民の子孫の鼻先で実施されると計画されてきた。

死去した家族は、リフタの墓地に埋葬される恩寵さえ受けられない。死による帰還さえ妨げられてきた。(略)

2月11日、申請は、首尾よく提出され、後にWMFにより、有効かつ整っていると確認された。決定の期日は、2011年9月末と予測されると、わたしたちは告げられた。(略)

9月の最後の週、WMFウェブサイトは、審査員が選択を終え、結果が9月28日に発表されると発表した。10月1日、わたしたちは、WMFの研究・教育ディレクター、Erica Avrami署名の9月29日付書簡を電子メールで受け取った。それはこの陳述を含む:「わたしたちは、リフタ村が、2012年監視包含に選ばれなかったことを残念に思う」。

遺産遺跡としてのリフタの重要性

リフタは、わたしたちにとり、遺産遺跡の文化的、建築的、文脈上の重要性だけでなく、政治的意義をも象徴する。建築物の歴史は、単一の建物群であれ、それらの部分であれ、実際に政治的要素が、その構成と展開に重要な役割を果たすところで、そのような例で満たされている。

(略:これからが肝心なところだけれど、まだまだ長い)

全文:The Electronic Intifada

アーカイヴ:比類ないパレスチナ村を保全する最後の努力(10月14日)
posted by mizya at 14:32| Comment(0) | TrackBack(0) | article | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする