2011年12月14日

新たな映画が30回破壊されたベドゥイン村の弾力を記録する

Nora Barrows-Friedman
The Electronic Intifada
2011年12月12日


aicvideo

ほぼ1年半、ナカブ(ネゲヴ)のアルアラキブのベドゥイン村人は、進行する露骨な民族浄化行動でイスラエル政府とユダヤ民族基金 (JNF) により、絶え間なく残忍に扱われてきた。

村は、The Electronic Intifadaが報じてきたように、2010年7月以来、およそ30回破壊しつくされ、そしてまだ、村人 - イスラエル市民である - は、それぞれの破壊の後、再建し、再編成し、抵抗することにより、不動のままだ。

アルアラキブの、抵抗の最前線として、老いも若きも、女たちの勇気と決意にことさら焦点をあて、新たなドキュメンタリ映画、Sumoud(アラビア語で不動/スムード)は、土地、生計、遺産を維持する村人たちの日々の闘いの価値のある一瞥を提示する。

Nora Barrows-Friedmanが、Jillian Kestler-D’Amours - 映画作家、ジャーナリスト、そしてThe Electronic Intifadaへの頻繁な寄稿者 - と、エルサレムのAlternative Information Center (AIC) のために、彼女が撮影し編集し監督したSumoudと、アルアラキブで進行する闘争について話した。

(略:インタヴュ部分、パレスチナに余りにも多くある問題の中で、ガザでなく西岸でなく、何故イスラエル領内、アルアラキブだったのか問われて、カナダ人として、カナダ・米国の先住民弾圧と重ねて捉えているところなど興味深い)

全文:The Electronic Intifada

アーカイヴ:イスラエルが破壊費用でベドゥイン村人たちを訴える(03月07日)


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公職:イスラエル当局が農夫に土地耕作停止命令

2011年12月13日

サルフィト (Ma'an) -- イスラエル当局が、月曜日、それが「イスラエル政府の公共財産」と考えられるとして、パレスチナ農夫5人に彼らの土地の耕作を禁止する命令を手渡したと、地元公職は語った。

サルフィトに近いカラワト・バニ・ハッサン村の村長は、パレスチナ自治政府に、イスラエル政府、入植者、両方による、村の土地に対する攻撃を終了するよう求めた。

ユーシフ・サイード・ミリ、ナディル・ムスタファ・ミリ、サビール・ムスタファ・ミリ、ハディル・イスマール・ミリ、サミ・イブラヒーム・アシはすべて、彼らがその土地を所有すると証明する証拠書類と権利証書を所有すると、市長は付け加えた。

(略)

全文:Ma'an News Agency

 占領者と被占領者、このような状況でパレスチナ自治政府にできることは何もないだろう。国際社会がイスラエルの傍若無人を押さえられないか、押さえるつもりがないなら、即刻、パレスチナを国家と認めなければならない。国際社会が、各国政府の集合体とするなら、指をくわえて見ているだけだろう。時々思い出したようにこ言葉だけでイスラエルの非難を表明する、まあ、アリバイ工作だ。国際社会がわたしたち市民の集合体なら、イスラエルの弾圧手法は、世界の支配者に模倣され、わたしたち市民に押し寄せる。
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果敢なるパレスチナ人は石(かたびら)に覆われて死んだ

2011年12月13日

軍報道官は正しかった - ムスタファは、石を投げた故、死んだ;彼は、真実が禁止される場所で、彼の手で真実を語ることに挑んだ故、死んだ。

ヨナタン・ポラック

ムスタファ・タミミは石を投げた。弁解せず、しばしば勇敢に。その日だけでなく、ほぼ毎週金曜日。彼はまた、顔を隠した。彼が既に心底知り尽くしていた、刑務所監房を恐れてでなく、しかし彼の自由を維持するために、したがって、彼は、石を投げ、彼の土地の窃盗に抵抗し続けることができた。彼は、死の瞬間までこれをし続けた。

(略)

軍報道官は正しかった。ムスタファは、石を投げた故、死んだ;彼は、真実が禁止される場所で、彼の手で真実を語ることに挑んだ故、死んだ。射撃手法、その合法性、発砲手順のいかなる議論も、地主は侵入者追放を禁じられると暗示する。確かに、侵入者は、地主に発砲するのを許されている。

ムスタファの体は、石のパレスチナの子どもたちを生じさせた、第一次インティファーダ24周年記念に、彼が石を投げる勇気を持ったので、死んで地下に眠る。彼の兄弟、ウダイは、オフェル刑務所に収監されていて、葬儀参列を許されなかった、というのも、彼もまた石を投げることに挑んでいたから。そして彼の姉妹も、石を投げた疑いがなかったにも拘らず、しかしパレスチナ人故、彼の臨終に傍らに寄り添うことを許されなかった。

ムスタファは、石を投げ、武器を纏い装甲軍用ジープの中に安全に座す兵士を恐れることを拒絶したが故、殺された勇敢な男だった。ムスタファが死んだ日、谷を覆う凍てつく静寂は、時々降りそそぐ彼の母親の悲嘆の悲鳴ほどに身にしみるものではなかった。

彼の葬儀で、何千人もの石投げびとが彼に続いた。彼は墓に降ろされ、石が彼の遺体を覆った。兵士らは、村の入口に立った。葬儀に続き村の土地を降りて行ったとき、葬儀参列者に催涙ガスを降り注ぐため兵士らと武器を配置した軍にとり、別離の苦悶と孤独さえ、我慢ならないものだった。ムスタファを撃った兵士が自由な一方、抗議者の6人が投獄された。

ムスタファ、わたしたちは、頭を垂れ溢れる涙で、きみの遺体の後を歩く。わたしたちはきみを慈しむ、石を投げたが故きみは死に、わたしたちはしなかったので。

全文:Haaretz.com

 筆者、ヨナタン・ポラックは、ユダヤ系イスラエル人活動家としては希有、ガザ封鎖に抗議する活動で投獄を経験している。そのときの記事をアーカイヴで:

アーカイヴ:イスラエル活動家、ジョナサン・ポラックが懲役3ヵ月の判決(2010年12月30日)
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目撃者がムスタファ・タミミの最後を語る

2011年12月12日月曜日
Ben Lorber for the Alternative Information Center (AIC)

ビリンのアーティストで活動家、イブラヒーム・ボルナットは、タミミが、イスラエル兵士により近距離から催涙ガスキャニスタで頭を撃たれたとき、ムスタファ・タミミの隣りに立っていた(これらの写真で、ボルナットが、直接タミミの隣りに立つのを見ることができる)。ここに、12月9日金曜日、ムスタファが重篤に負傷したときの彼の経験についての証言がある:

mustafa-tamimi-killing.jpg
ムスタファ・タミミが左、イブラヒーム・ボルナットが右 (photo: Haim Scwarczenberg)

「ムスタファとぼくだけだった、他の抗議者たちはかなり遠く後ろで、ぼくたちふたりだけ、ぼくたちはジープを追いかけ、立ち去るよう言ってた。兵士らが、一度に殆ど50発ほど催涙ガスキャニスタを発射したので、抗議全体が押し返され、ぼくたちは残りから分断された。催涙ガスはぼくたちの頭上を行き、ぼくたちは、兵士らに近づいて、もう充分発射したと、彼らに叫んでいた。

彼らはぼくたちの後ろにガスを発砲しがら、ジープは立ち去るため向きを変えた。ジープの1台は、しかしながら、居残り、ぼくたちが近づくのを待っているように見えた。ぼくたちがジープに達すると、兵士がドアを開け、催涙ガス2発分を発砲した。ぼくはこの兵士の顔を見たと思うが、ムスタファは確実に見て、彼が誰であれ、ムスタファは最も良く知っている。

ムスタファはぼくを押し下げ、ぼくを狙ったキャニスターのひとつは頭の上を飛んでいった。2番目のがムスタファに命中したが、ぼくは最初、彼が撃たれたとは知らなかった、というのも「これほど近くから彼らが撃つ筈ない」と考えていたから。ぼくは、彼が身をかわしただけと思い、次に、たぶんガスから逃れただけと思った、彼の周りはガスだらけだったから。

顔を下に道路に横たわる彼のところにぼくは行って、彼の向きを変え、顔から布を引き剥がした。

それについてぼくが語り得るのは、ことばが語り得ることより酷い。(略:「警告してくれ」と言われそうで、ことばはしばしば映像より鮮烈だから)彼の全身が震えていた。それは足から始まり、次に腕、次に胸に達し、そして頭、そして次に喘ぎが止まり、その瞬間、彼が死んだとぼくは確信した。彼は喘ぎ、空気一束を吐き出し、その瞬間、彼の魂が去ったと知った。(略)

ぼくは人びとを呼びに走った、ぼくたちは遠くにいたから、しかし近くに救急車はなく、彼の周りに集まった人びとは、彼をセルヴィー(共同タクシー)に押し込み発とうとした。兵士らが、セルヴィーを止め、ムスタファを逮捕しようとしたが、彼が死に瀕していると知り、あたかも人道主義者であるかのように、彼の心臓復活のため動き始めた。しかし、何が「人道主義」か、殺すために撃ち、次に、助けようと試みる? これらは、彼を撃ったジープの同じ兵士らだった。彼らが彼を撃ち、次に、彼を助けたいと言う。彼らが実際に行ったのは、彼が離れるのを妨げることだ。

身体は30分、地面に横たわっていた。彼らは、ムスタファのIDを求め、またさらに、彼の母親、家族のもうひとり、それからバッシム・タミミの妻のIDも求めた、というのも、これらの人びとが、彼と共に行きたいと望んだから... (略)」

全文:the Alternative Information Center (AIC)
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ヴィデオと証言:ムスタファ・タミミの葬儀でのイスラエル兵士の蛮行

リナ・アッサーフィン
2011年12月13日火曜日


thameenahusary

序論として、わたしは次のリンクを読むことを勧める:「イスラエル兵士が暴力をエスカレートさせる中でのムスタファ・タミミ哀悼」と「殺害されたムスタファ・タミミの葬儀はイスラエル占領軍兵士の更なる暴力と蛮行におわる」。

(略)

以下は、わたしにより集められ編集されたわたしたちの証言だ。

わたし:
兵士らは、わたしたちが前進するのを見ながら、彼らの場所にいた。彼らは催涙ガスを発砲しなかった;彼らの存在自体、十分な挑発だった。わたしたちは彼らの前に立ち、わたしたちの手でムスタファ・タミミのポスターを持ち上げ向かい合わせて、兵士らそれぞれに、叫び始めた。

わたしたちの悲嘆は激怒に流れた。

「君たちのどの人がムスタファを殺したの?」

「君たちのどの人がやったの?」

「君たちのどの人が、彼の姉妹の目を見る勇気がある? 彼を見るのを避けた君?」

「君たちのどの人が彼を殺害したの?」


@_Watan:
その問いは、その日100万回尋ねられ、膨大な催涙ガス、音爆弾、肉体的暴力で応じられた。彼らはその問いを恐れ、彼らが殺した人の目を見るのを怖がり、わたしたちはもはや、沈黙するつもりはなかった。

(略:長い、センテンスが短いので原文で)

全文:The Electronic Intifada
posted by mizya at 02:11| Comment(0) | TrackBack(0) | video | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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