2012年01月17日

イランへの戦争にノー、もう戦争はたくさん!!!:署名を

米国が、テロリズムでイランを非難する一方、実際、米国政府とその同盟国は、イラン科学者4人の暗殺と、米国で拉致されたイラン市民多くの投獄を含むイランに対するテロに加え、パキスタン、ソマリア、スーダン、イエメンに対する破壊的無人機攻撃の大規模計画を実施してきている。イラン政府とその国民の金融資産は差し押さえられ、その使用のため、米国銀行に保持されている。

もうひとつの犯罪的米国の戦争への反対に、世界中の人びとが加わるよう。

イランに対する告発をでっちあげる「いんちき戦争詐欺」の終結を要求するオンライン請願に署名してください! ここで:
stopwaroniran.org/petition.shtml

原文:International Action Center

アーカイヴ:パネッタがイランは核開発していないと認める(01月11日)

     :元検査官がIAEAのイラン爆弾試験房主張を拒絶(2011年11月22日)
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新包括的BDS小冊子

2012年01月09日月曜日
ALTERNATIVE INFORMATION CENTER (AIC)

Corporate Watch(企業監視)は、不買・脱資・制裁 (BDS) 運動に加わろうとする人びとのために、新しく包括的な小冊子を発行した。『イスラエルアパルトヘイトを標的とする』と題された刊行物は、ガザ回廊のイスラエルによる非人道的封鎖同様、パレスチナ・シリア領域の違法イスラエル占領から、誰が利益を得ているのか詳述する。

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オーストラリア、メルボルンのBDS抗議 (photo: flickr/Takver)

『イスラエルアパルトヘイトを標的とする』は、イスラエルの経済と輸出を衰退させ、BDSが両方にどのように影響するか詳述する。ハンドブックは、どのイスラエル企業が占領と繋がっているか、例えば、イスラエル銀行すべてが、違法入植地にある住宅を担保に資金提供を申し出ることに言及し、彼らがパレスチナ国土でいかに成長を促進するかを解明して、BDSに関わる外国人・イスラエル人どちらにも役立つ。

ハンドブックはまた、イスラエルが、パレスチナ人を彼らの継続的強奪から利益を得る企業に、本質的に金を渡すよう強いられる、捕虜市場にパレスチナ人を変える、パレスチナ経済に加えてきた略奪を議論する。『イスラエルアパルトヘイトを標的とする』はまた、良心の消費者がどの製品をボイコットすべきか判るよう、パレスチナの土地に建設されたそれら同様、入植地にある企業をリストにする。

全体として捉えて、ハンドブックは、パレスチナ国土のイスラエルの違法占領は、イスラエル政府や右翼がしばしば主張するように、安全に関するものでないと読者に思い出させる。『イスラエルアパルトヘイトを標的とする』は、個々人が、占領から利益を得る機械の舵輪に棒を差し込むのを手伝う。

完全小冊子ダウンロードはここ(英語)

原文:AIC
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2012年01月16日

ヘブロン発ニュース2題

パレスチナ消防士たちがイスラエルバス火災消火
2012年01月15日

ヘブロン (Ma'an) -- パレスチナ消防士たちは、土曜日午前、ヘブロン南部を旅するイスラエルのバスの火災を消火したと、市民防衛チームは語った。

市民防衛は、消防士たちが、近くのドゥラとダヒリーヤの消防署から燃えているバスに駆けつけ、鎮火する前、イスラエル人乗客たちを撤退させたと語った。

アル-ファッワル・キャンプを通っていたバスは、注油装置から油が漏れ、エンジン温度により爆発して火災となったと、市民防衛局による報告は述べた。

原文:Ma'an News Agency


 消火できたということはつまり、イスラエル占領軍に検問所で止められなかった?

ユダヤ人入植者らが若者ふたりを攻撃し兵士らが若者逮捕
2012年01月14日

アル-ハリール、(PIC) -- イスラエル占領軍 (IOF) は、アル-ハリール(ヘブロン)市で、金曜日、ユダヤ人入植者集団が攻撃したパレスチナの若者ふたりを逮捕した。

目撃者は、兵士らが来て、若者たちを連れ去る前、入植者らが若者ふたりを激しく殴っていたと語った。

(略)

全文:The Palestinian Information Center
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2009年1月14日:ムハマド・ムーサ

2012年01月14日
パレスチナ人権センター

「ぼくたちは、その日何が起こったのか、互いに話しながら夜遅くまで起きていただろう、ぼくたちは兄弟だった、ぼくがなにかしら必要だったら彼らのところに行けば、彼らは手伝ってくれただろう」

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ムハマド・ムーサ (Photo: Palestinian Centre for Human Rights)

2009年1月14日、21:00ごろ、イスラエルの航空機が、ガザ市南部のアッサブラ薬局に近いムーサの自宅を標的にした。イッズ・アッディン・ワーヒド・ムーサ、48歳、その妻、マイサラ・アフィフ・ムーサ、48歳、彼らの息子、ワーヒド・イッズ・アッディ・ムーサ、28歳、アフメド・イッズ・アッディ・ムーサ、27歳、モハメド・イッズ・アッディ・ムーサ、22歳、そして娘、ヌール・イッズ・アッディ・ムーサ、15歳が、攻撃で殺された。

攻撃に起因する肉体的な傷跡は、25歳のムハマド・ムーサに、まだはっきり目に見える。彼の右腕と脚の両方の神経と骨を損傷して、彼は残され、強く片足を引きずり、彼の家を飲み込んだ火事で、彼が火傷を負った場所を、突っ張る皮膚のつぎはぎを陳列する顔が示す。彼の傷は、地元の大理石工場で働き続けることを不可能にし、父親、母親、妹、兄弟3人を失った後の、彼の人生の断片を拾い集めることを不可能にしたまま、彼を残した。

(略)

感情的に、ムハマドは、戦争以来大きく変わった自身を見出し、事件以来、眠るのに苦労してきた。「初め、ぼくは夜、全く眠れなかった。ぼくは一晩中、目覚めて座り、朝しばらく眠ったかもしれない」。彼を気短にする、他には当たり前な、食事の準備、といったような基本的なことをするための支援を、彼は今必要とする。「何か自分でできないと、ぼくは酷く苛立って腹を立て、忍耐をいとも簡単に失う」。これは、ドイツでなら得られると医師に告げられたと彼が語る、負傷の治療に関する、彼が感じる無力感により度を増す。彼はまだ、脚の骨と神経、腹部に受けた榴散弾での負傷で、広範な治療を必要とする。

「ぼくは、家族の悲運をも知らず、エジプトで4ヵ月(そのうち2ヵ月半は集中治療で)入院していた。ぼくの姉妹たちは最初、ぼくの回復のため、彼ら皆が元気だと言っていた。ぼくが、彼らにもう帰宅できると伝えたとき、ぼくに皆死んだとの知らせを告げなければならなかった。ぼくは即座に後戻りして、行くことができるまで、集中治療でさらに2週間過ごさなければならなかった」。

(略)

全文:International Solidarity Movement

アーカイヴ:2009年1月13日:ヒッバ・アンナッジャル(01月14日)
     :2009年1月12日:アヤド家(01月14日)
     :2009年1月11日:ハムーダ家(01月14日)
     :2009年1月10日:ワファ・アルラデア(01月11日)
     :2009年1月9日:アブオダ家(01月10日)
     :2009年1月8日:アルラヘル一家(01月10日)
     :2009年1月7日:マタール家(01月09日)
     :2009年1月5日:アマル・アッサムーニ(01月07日)
     :2008年12月31日:アブアリーダ一家(01月05日)
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2012年01月15日

イスラエル-パレスチナ・カップルの生活の一瞥

2012年01月13日

イスラエルが、パレスチナ自治政府領域からイスラエル人を締め出すことに戻るならどうだろう? 反-アラブ立法の傾向が継続し、国家が、彼らやその子どもたちから市民権を引きはがすと決定するならどうだろう?
アミラ・ハス

1967年の西岸とガザ回廊の占領が、1948年以来初めて、イスラエル内に残ったパレスチナ・コミュニティを結びあわせた。国家設立で分断された家族は、19年を経て一緒になり、友人たちは互いと会い、西岸とガザの難民たちは、彼らの出生地(現在は破壊されたか、あるいはユダヤ人により定住される)再訪にせき立てられた。グリーンライン両側のパレスチナ人たちは、仕事で、学校で、催しの場所で出合った。この再統合は、当然多くの結婚に帰着した。

1990年代初頭、パレスチナ人たちは、承認を得た家族再統合原則で、イスラエルでの、市民権あるいは居住権要請の数の低下に気づき始めた。

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ナブルス近くのハワラ検問所を通って横断するのを待つパレスチナ人たち。
Photo by: Nir Kafri

この期間前、カップルがどこに住むかの問題はそれほど重要ではなかった:イスラエルは、占領地住民に移動の自由を、どちらかといえば、与え、また、イスラエルでの家族再統合のその申請が却下されてさえ、互いから完全に切り離すことはなかった。

イスラエルが、西岸とガザ回廊に住むパレスチナ人に移動の自由に関する全面的制限を課した、1991年1月、これは根本的に変わった。許可と分離のシステムが実施された - ひとつは西岸と回廊の間、もうひとつはイスラエルとこれら領域の各々の間(しかし、パレスチナ人のみに作用し、ユダヤ人には作用しない)。

許可なくイスラエルにいることは、何年もその家族と共にそこに住んでいた人にとってさえ、刑事犯罪となった。2000年の第二次インティファーダ開始後、イスラエルの親戚を訪問する許可を得ることさえ、より困難になった。パレスチナ人は、これらの困難により、家族の多くは、その子どもたちがイスラエル市民と結婚しないことを好むと語る。

(略)

西岸とガザ回廊に住むイスラエル人は、国の社会的給付を失う - しかし、入植地に住むユダヤ系イスラエル人はこのかぎりでない。

「混合」パレスチナ人カップルは、不確実性と将来の恐れの絶えず続く雲の下に住む。イスラエルが、パレスチナ自治政府領域からイスラエル人を締め出すことに戻るならどうだろう? 反-アラブ立法の傾向が継続し、イスラエルがある日、彼らやその子どもたちから、そのイスラエル市民権を剥奪すると決定するならどうだろう?

全文:Haaretz.com

先行記事:「市民権法上のイスラエル-パレスチナ・カップル:最高裁判所がイスラエルの人種主義に手引きされる」Haaretz.com
2012年01月12日

最高裁が、イスラエルの何千家族もの通常の生活への望みを終らせ、家族再統合を禁止する法律を支持する裁決。
Jack Khoury

アラブ系イスラエル人とパレスチナ人の何千家族もが、イスラエルの市民権法を拒絶する最高裁判所判決を何年も待ち続けてきた。法律を支持する水曜日の判決は、配偶者の市民権を得、イスラエルで永住地位を受け取る彼らの希望に終止符を打つ。

アッコのタイサル・ハティブと彼の妻、ラナは、6年前に結婚した。この日まで、ナブルス出身のラナは、イスラエル市民権を否定されてきた。彼女は、アッコで夫と住む一時的許可を毎年受け取るが、永住イスラエル住民に拡大される法的権利を有しない。

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結婚式の写真を掲げるタイサル・ハティブ。
Photo by: Yaron Kaminsky

ハイファ大学で人類学の博士号論文を書いており、西ガリラヤ大学で講師として雇用されるタイサルは、裁判所判決に驚かなかった。「決定は、イスラエル司法制度にいかなる信頼も寄せるべきでないことの証明だ。最高裁判所が、イスラエルの広範囲に広がるファシズムと人種主義のうねりによる影響を受けることは明らかで、裁判官は、他の手法で行動するとは期待されてなかった」。

ハティブは、彼の妻が一時的滞在許可を持つとしても、裁判所判決は、前進する、あるいは通常の生活のいかなる希望にも終止符を打つと説明した。「彼女は、経歴を促進することができない - 彼女は、パレスチナの運転免許を持っていても、車を運転することさえできない」。

(略)
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ユダヤ人入植者らがサルフィト近くの非常に古いオリーヴ樹根こそぎ

2012年01月12日

サルフィト、(PIC)-- ユダヤ人入植者らは、金曜日、ジャマインとヤースフの村の間で、地元住民のあいだに激怒を引き起こし、その中のオリーヴ樹は、地元住民がローマ時代からあったと信じる非常に古いオリーヴ樹、100本を破壊した。

地元情報筋は、Taffouh入植地の入植者らが、ヤースフ近くのマフカア地区のオリーヴ樹を切り倒したと語った。

羊100頭以上を所有する、その地域で、Taffouhの羊飼いとして知られる、Taffouhの入植者のひとりが、その地区のオリーヴ樹に対する攻撃の変わらない根源で、彼が他の入植者らを煽動したと考えられると、情報筋は語った。

情報筋は、オリーヴ樹の破壊は、パレスチナ農夫たちが、土地を手入れするのを止め損なった入植者らの、それらの土地を不当に使用する計画の一部であると語った。

原文:The Palestinian Information Center


「地元住民がローマ時代からあったと信じる」と、記述してあるのを読むとき、記者は信じていないのかもしれない、と、思う。ローマ帝国がオスマントルコにより滅亡して、たかだか500年、東ローマの最盛期から1,000年、つまり、500年前か1,000年前のオリーヴ樹さえ、ローマン・オリーヴと呼ばれてしかるべきだが、わたしはパレスチナで、ローマ以前、4,000年前のオリーヴ樹に出合っている。さすがに信じ難かったけれど、ナザレ(パレスチナ・コミュニティ)では、ニッポンに「放射性炭素年代測定」を依頼したのだという。その結果なのだけれど、3,11以降、ニッポンの科学を信用できないでいる。
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2012年01月14日

2009年1月13日:ヒッバ・アンナッジャル

2012年01月13日
パレスチナ人権センター

「最初の2年、わたしは凌いだけれど、今年、母の喪失から多くを被ってきた。母親と共にいる、あるいは母親について話す少女たちと学校で会うとき、わたしはもっと母がいなくて寂しいと思う。わたしと共に彼女にいて欲しい」

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ヒッバ・アンナッジャル (17) がフザア村の自宅向かい側に座る (Photo: Palestinian Centre for Human Rights)

2009年1月13日早朝、家屋破壊の2日間に続き、イスラエル軍は、高性能爆発物と白リン砲弾を使用し、フザア村とその周辺に砲撃を開始した。イスラエルのブルドーザ、戦車、狙撃兵が、村の端に陣を構えた。7:00時ごろ、兵士らは、フザア東部の住民たちに、その地区を離れ、村中央に向けて移動するよう命じた。白旗を掲げ、ラウィーア・アンナッジャル (47) は、女たち20人ほどの集団を率い、命じられたように離れようとした。集団が最初の角を曲がった直後、兵士がラウィーヤを射殺した。集団のもうひとり、ヤスミン・アンナッジャル (23) が、ラウィーアを道路から連れ出そうとして、銃弾2発で負傷した。ラウィーアの遺体を引き上げようとして、医療スタッフが撃たれ、近くの家に避難しなければならず、遺体を通りから引き上げることができたのは、10時間以上も経ってからだった。

「わたしには、母の頭に命中した弾丸の音がまだ聞こえる。兵士が、家の戸口に突き進んで彼女を撃ったとき、わたしは、彼女のすぐ傍らに立っていた。わたしは彼を見ることができた」と、ラウィーアの17歳の娘、ヒッバは、両腕で状況を描きながら語る。「通りで白い布を掲げているわたしの母を、なぜ彼らが殺したのか、その朝早く、家の屋上にいたとき、なぜわたしは殺されなかったのか、わたしは考え続けている」。ヒッバは、その日起こったことの意味が、まだ解けないでいる。

(略)

全文:International Solidarity Movement

アーカイヴ:2009年1月12日:アヤド家(01月14日)
     :2009年1月11日:ハムーダ家(01月14日)
     :2009年1月10日:ワファ・アルラデア(01月11日)
     :2009年1月9日:アブオダ家(01月10日)
     :2009年1月8日:アルラヘル一家(01月10日)
     :2009年1月7日:マタール家(01月09日)
     :2009年1月5日:アマル・アッサムーニ(01月07日)
     :2008年12月31日:アブアリーダ一家(01月05日)
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