Judith Sudilovsky
Catholic News Service
ベツレヘム、西岸 (CNS) -- ジャマル・サルマンは、彼の家族が所有する土地の二重連続フェンスの一方に立った。イスラエルが建設したフェンスの反対側、僅か数百ヤード、しかし彼の到達不能の場所に、オリーヴ畑の家族の土地がまだあった。
11月、サルマンと180人を超えるベツレヘムの地主は、イスラエルが、彼らのオリーヴ畑 -- 障壁を越えて位置する1,700エーカー以上の土地 -- を、これらの土地の所有者を「不在者」と判断し、不在者財産管理下に置いたと、通告された。これは、公的没収前の最後の段階だ。
「わたしはここに立つ... そしてわたしは、不在者(財産所有者)として、フェンスの向こうのわたしの土地を見ることができる」とサルマンは、フェンスを越えた樹々を指して語った。彼が、オリーヴ畑で作業するため、障壁通過を許可された最後は、2009年だった。
73歳は、彼らの土地を更にまだ没収されるのを防ぐ試みで、殆どがクリスチャン地主のキャンペーンを主導する。彼らが、イスラエル最高裁判所で、不在者決定に異議を唱えることを考慮していると、彼は語った。
土地収用はここで、新しい話でないと、サルマン、カトリック教徒でベツレヘムの元町政担当者は語った。
2002年に、イスラエルが分離壁を建設した後、農夫たちは、彼らのオリーヴ畑に到達する谷へ、フェンスを通って横切ることを認められなかった。サルマンは、1,560平方ヤードの土地が没収された一方、360平方ヤードのみが残され、現在、障壁の向こう側にあると、語った。
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農夫訴訟が、イスラエル人人権弁護士、Danny Seidmannにより、最高裁判所に持っていかれた後、裁判所は、一連の二重フェンスにゲイトが設けられ、農夫たちに、収穫時期、特別許可が発行され、彼らの土地にアクセスできると裁決した。
加えてSeidmannは、2004年、政府職員から、地主たちがその土地へのアクセスを与えられるとの了解書面を受け取ったと語った。1年後、司法長官事務所もまた、その土地が障壁のイスラエル側に位置する西岸住民に対し、不在者財産法を使用することを違法と裁決した。
しかし現実は、違っていた。ゲイトは、特別の時にのみ開かれ、農夫たちは、2005年以来、3回のみ、その土地へのアクセス許可を発行されたと地主たちは語った。
許可は、その誰もが今や、60代、70代、80代の、土地が登録された人にのみ与えられた。家族の他のメンバーには、収穫を手伝うために入ることが認められなかったと、ジャッラル・ハヌーナ、61歳は語った。
サルマンは、1967年に、イスラエルがヨルダンから西岸支配を奪って以来、パレスチナ人は、その子どもたちにさえ、財産の所有権を移すことを妨げられてきて、したがって、彼らは、家族のより若いメンバーに土地権利証を移すことができなかったと語った。
「土地をわたしたち自身で耕作することは不可能だ」と、サルマンは語った。「彼らは、他の近親者や家族の誰も手伝うことを許さない。彼らは、わたしたちの土地に行く権限を、わたしたちに与えなかったし、今や、彼らは、わたしたちが自身の眼で見ることができるわたしたちの土地の不在者とわたしたちを看做すと言う。わたしは不在者でない。わたしはまさしくここにいる」。
農夫たちがその土地に行くことを許されたある年、その土地に着いて、彼らはオリーヴのすべてが既に他の誰かにより収穫されてしまったのを発見したと、ハヌーナは語った。
Seidmannは、不在者財産法の下で土地を要求する決定が、単に、合衆国の注目が、他のところに向けられている米国選挙の年に、違法な何かを試みる政府による企てなのか、政府の政策になったのかどうか明確でないと語った。
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全文:Catholic News Service