2012年01月05日

イスラエル当局が違法入植地前哨に「合法」地位を与える

2012年01月02日月曜日
Saed Bannoura - IMEMC News

2001年、政府の承認なしに、イスラエル人個人らにより、盗まれたパレスチナの土地に建設された違法入植地前哨基地は、イスラエル当局が、入植者らの承認要求に屈服すること、入植者らを代理してイスラエル高等裁判所に請願することに合意した後、イスラエル政府により、合法地位が与えられた。

イスラエル情報筋は、イスラエル政府の支持なく建設された違法前哨基地が、そのような承認を与えられる、これが最初と報告する。

西岸と東エルサレムのイスラエル入植地すべてが、国際法下、違法と看做されているが、イスラエル政府は、300の入植地の多くが、イスラエルの法律の下「合法」と看做し、そういうものとして、これら「合法」入植地に、水、電気、道路、他の基盤を供給する。

土曜日、イスラエル政府は、カフル・ラキフ村のパレスチナ人たちの土地に建設されたRamat Gilad入植地に、カルネイ・ショムロン入植地の拡張として、そうした認可を提供すると発表した。

(略)

全文:International Middle East Media Center
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活動家たちがフランスへのイスラエル無人機販売で反対運動

2011年12月31日土曜日
Saed Bannoura - IMEMC News

フランスの不買・脱資・制裁 (BDS) キャンペーンに関わる活動家集団が、フランス政府に、イスラエル企業、IAI製造のヘロンTPプレダター無人機、5億ドル相当を購入する取り引きを中止するよう求めるキャンペーンに着手した。

フランスのキャンペーンは、フィンランド政府に、イスラエル企業からの軍事無人機購入を止めるのに成功したフィンランドの活動家たちによる同様のアクションに続く。(略)

(略)

活動家集団による請願は、「3億1800万ユーロ相当のイスラエル無人機のフランスによる購入にノー! イスラエルとの軍事通商即刻停止!」と述べる。それはまた、「イスラエルは、その様々な軍事作戦と暴力的攻撃、パレスチナ領土と他のアラブ諸国の侵略と占領、市民や生活基盤を故意に標的とする汚い無差別の武力行使を誇示し、国際法と人権の違反の記録を更新してきた。そのすべては、戦争犯罪と人道に反する罪の絶え間ない反復に帰着する」と述べ、イスラエル政府の国際法違反を非難する。

(略)

全文:International Middle East Media Center
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公式統計がイスラエル刑務所のパレスチナ囚人4,500人を記録

2012年01月02日月曜日

パレスチナ自治政府囚人・元囚人省の統計局により発行されたデータは、2012年年頭、女性6人を含むパレスチナ人4,500人がイスラエル刑務所に捕らえられていると示す。

(略)

省は、これらの数値が、イスラエル占領部隊による日々のパレスチナ人逮捕のため、静止しないと説明した;過去12ヵ月で、1日当たり平均で9人となる、3,300人以上が逮捕された。

公式数値によれば、子ども(18歳未満を幼い人びとと定義される)130人以上が、子どものときに逮捕されて、刑務所で成人に達した他の何百人かに加え、囚人の中にいる。また告訴も裁判もない「行政拘留」の下で捕らえれている囚人240人;選ばれた議員、元大臣や政治指導者24人;そして、癌を含む様々な病気を被る、病気や身体障害を抱える何百人もの囚人がいる。

(略)

全文:Middle East Monitor
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2008年12月31日:アブアリーダ一家

2011年12月31日
パレスチナ人権センター

「母さんが死ぬ前、ぼくたちは、お祝いして人びとを訪ねて、1月1日にとても幸福だった。今、ぼくたちは皆、毎年、最後の時間、沈黙し、1月1日に新年を祝わない。ぼくたちは母さんの墓を訪ね、思い出す。」

31-12-n.jpg
(Photo: Palestinian Center for Human Rights)

2008年12月31日の23:30頃、イスラエル戦闘機が、ラファのアッサブーラ住居地区の大通りの中の小さな緑の回廊、ナジマ公園にミサイルを発射し、市民2人を殺し、他の何十人もを負傷させた。イマン・アブアリーダ(34)は、彼女の脳に突き刺さった榴散弾の破片により殺された、死者ふたりのうちのひとりだった。攻撃の時にやはり家にいた、アブアリーダ拡大家族のメンバー7人も、榴散弾により軽傷を負った。アブアリーダ一家は、攻撃の後、家屋正面の外壁が破壊されたので、何週間か立ち退かされた。内壁と家具もまた損傷した。

その地域の電気が切断されたのは、12月31日、真夜中に30分ほど前だった。イマンは、部屋で眠っていた彼女の最も小さな息子、モハメドを覆いに行った。彼女が、彼に覆い被さったとき、ミサイルは、彼らの家から数十メートルに命中した。外壁を突き抜けた榴散弾が、彼女を殺した。イマンは、夫、マフムード・アブアリーダ(現在39歳)と子ども7人:マジドゥ(20)、ランダ(19)、バセル(18)、ヒッバ(14)、イスラーム(12)、ワタン(9)、モハメド(6)を後に残した。

「母さんは、ぼくが15歳の時、死んだ。ぼくがもっとも母さんを必要としてるとき。ぼくは衝撃を受け、母さんが死んだと信じることができなかった。ぼくはまだ信じていない。ぼくは、もはや学校に行きたくなかったけれど、努力して行き続けた、ぼくがそうするのを母さんが望んでいたと知っているから」と、イマンの次男、バセルは語る。

(略)

イマンの長男、マジドゥは、過去3年が、家族にとって非常に困難だったと語る。「母さんが死んで、ぼくたちは皆、散り散りになった。ぼくは生きているのに、生きていると感じなかった。母さんが死んだと信じるまで長い時間がかかった。彼女の長子として、ぼくは、母さんととても親密に関わっていた」。

(略)

新年の性格は、アブアリーダ家にとって、永遠に変更された。「母さんが死ぬ前、ぼくたちは、お祝いし、人びとを訪ね、1月1日にとても幸福だった。今、ぼくたちは皆、毎年の最後の時間を沈黙し、1月1日に新年を祝わない。ぼくたちは母さんの墓を訪れ、思い出す」と、バセルは語る。「ぼくたちの哀しみは1月1日に限らず、エイドの祭日のような、特別の機会すべてで、ぼくたちは母さんがいなくて寂しい。そんな日、ぼくはベッドに留まり、一日中眠っていたい」と、マジドゥは付け加える。

(略)

全文:International Solidarity Movement

関連記事:「2009年1月1日:ナスラ一家」International Solidarity Movement

2012年1月1日
パレスチナ人権センター

「わたしたちの運命が死ぬことなら、一緒に死にたい、わたしは、誰かが、この種の苦痛に耐えなければならないため残されるのを望まない」

(本文翻訳省略)

    :「2009年1月2日:イヤド・アルアスタル」International Solidarity Movement

2012年1月2日
パレスチナ人権センター

「1月2日は、他のどの日とも違わない。毎日、毎分、わたしは息子たちを失った瞬間のように感じる。そこのすべてのものが、彼らの思い出だ。わたしは、終始、彼らがいないのが寂しい。」

(本文翻訳省略)

The series of narratives:

1 January 2009: The Nasla family(上記)
31 December 2008: The Abu Areeda family(上記)
30 December 2008: The Hamdan family
29 December 2008: Balousha family
28 December 2008: The Abu Taima family
27 December 2008: The Al Ashi family
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