2012年01月05日木曜日
Saed Bannoura - IMEMC & Agencies
2000年9月30日、父親の膝で、イスラエル軍の砲火からの避難を求めながら(父親も相当数撃たれた)、繰り返し撃たれて死んだモハマド・アッドッラ、12歳の事件を、フランス裁判所は調べるだろう。11年前、フランス記者、Sharl Anderlanは、射撃に居合わせ、そして、彼のパレスチナ人カメラマン、タラール・アブラフマと共に、事件を録画した。射撃が、幾人か、そしてやはり事件を目撃した記者の前で、日光溢れる中で起こったという事実にも拘らず、Anderlanは後に、ヴィデオをでっち上げたとして告訴された。
モハマド・ジャマル・アッドッラは、1988年11月22日に生まれ、2000年9月30日に射殺された。彼と父親は、ガザのサラハッディーン通りを歩いていた。
射撃が始まったとき、彼らはコンクリート樽の陰に避難しようと試み、父親は、彼が子どもと一緒の民間人と示そうとして、兵士に手を振り始めまたが、射撃は止まらなかった。
父親は、完全に子どもを庇護することができず、彼らのどちらも相当数の実弾により撃たれた。
射撃から2週間後、France 2 のカメラマン、タラール・アブラフマは、イスラエル兵士らが、故意に子どもとその父親に発砲したと述べる宣誓供述書に署名した。
彼はさらに、兵士らが子どもに向け、「一度でなく何度も」発砲していたと述べた。彼はまた、兵士らがまた、パレスチナ警官と、30メートル離れたパレスチナ警察署にも発砲していたと語った。
アッドッラは、第二次パレスチナ・インティファーダが始まった僅か数日後、射殺された。元イスラエル首相、アリエル・シャロンが、彼の武装ボディガードと共に、被占領東エルサレム、アルアクサーモスクに挑発的訪問を行なった後、暴動は始まった。
France 2記者、Sharl Anderlanと、彼のパレスチナ人カメラマン、タラール・アブラフマは、射撃の徹底的調査を行ない、アッドッラと彼の父親が、イスラエル兵士らにより撃たれたと示す彼らのオリジナル・フィルムをスタンバイした。
子どもを庇護する父親、そして次に撃たれるヴィデオのありにままのイメージは、民間人を標的とするイスラエル軍の傾向を表わして、国際的に有名になった。
ヴィデオにより引き起こされた国際的抗議への応答で、イスラエルは、アッドッラを殺した発砲は、軍が配置された方向から来たのでないと繰り返し主張し、そして、シオニストロビーのある者は、ヴィデオと写真はでっち上げられたと主張さえした。
2004年、Philippe Karsenty、「Media Ratings」のトップは、子どもは「殺されておらず、彼が、ガザの市場でトマトを買うのが見られた」との主張を含む、子どもの致命的射撃を否定することにささげられた、反撃報告とヴィデオのいくつかを公表した。
2007年、訴訟が、ヴィデオはでっち上げられたと主張して、France 2に対して提出された。これを受けて、フランスチャンネルは、訴訟が、現実の人道的苦痛から世界の注意をそらす試みと語った。
同年11月、彼(Karsenty)が「いっぱい食わせる放送をした」と局を公然と非難した後、France 2は、名誉毀損でKarsentyを訴え、France 2は、勝訴したが、Karsentyは上告し、裁判所は、完全なフィルムを見ることを要求した。
France 2は、致命的発砲の18分のヴィデオフィルムを既に提出したが、控訴裁判所は、フィルムを要求したにも拘らず、ヴィデオの内容や射撃の他の証拠を調べなかった。
代わりに控訴裁判所は、Karsentyが「彼の批判の権利を行使し、これらの権利を侵害しなかった」と語り、名誉毀損の訴えを却下した。
France 2は、却下を上告し、来る2月、問題は裁判所により審議されるだろう。
原文:
International Middle East Media Center
ラマッラのハリール・サカーキニー文化センターで、当時の所長、アーディラ・ラーイディのコンセプトによる、2000年9月29日に始まった第二次インティファーダの中で犠牲となった最初の100人を追悼する展覧会が、2001年2月に開催された。犠牲者の写真と残した品を透明のアクリルの立方体に収めて展示し、その人生が、カタログに綴られた。インティファーダ開始の翌日、9月30日に殺されたモハマド・アッドッラは、殆ど最初の犠牲者だった。この展覧会は、アラブ諸国を巡回し、2003年、日本にも招聘され、東京、京都、沖縄などを巡回した。モハマドの遺品として家族から提供されたのは「運動靴」だった。運動靴が、アクリルの立方体に入れられた。
批判の権利行使と中傷は同じでない。2001年に、その遺品が展示されたモハマドが、2004年に「ガザの市場でトマトを買う」のは難しい。虚偽は、死者への冒涜に等しく、批判の権利行使の範疇を逸脱している。フランスの司法はどうなっているのだろう。まあ、ニッポンの司法も三権分立など絵に描いた餅、司法が信頼を失って久しいが、フランスのこの裁判の行方を注視したい。
posted by mizya at 12:15|
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