2012年01月10日

注目:右翼クネセト議員がアラブ同僚に水をかける

2012年01月09日月曜日
Ami Kaufman

ちょうどあなたが、クネセト(国会)での立法に関して事態はあまり低い調子になり得ないと思った時、「イスラエル我が家」党国会議員、Anastasia Michaeliは、頭にきて(?かしら - 原文参照)暴力の深淵にわたしたちを投げ込む。ガリラヤのアラブ・タウン、アララでの人権行進に、彼の生徒たちを連れて行くと決定した校長について聞いていて、アラブ労働党国会議員、ガーレブ・マジャデレに、彼女がいかに振る舞ったかが、ここにある。


King4Fun4

この人はわたしをうんざりさせる。わたしは、それより他、言いようがない。

彼女、そして恐らく、彼女の党の同僚の殆どが、アラブ人の悪人と思う。彼らが栄光ある民族、ヨーロッパの文明化された文化をイスラエルとその議会にもたらしたと、彼らは考える。

言ってください、文明化されているのは誰か? 未開なものは誰か?

これは、右翼が力に酔っているとき、起こることだ。

それは水で終らない(醒めない)。

原文:+972


 何とデブのアラブ議員、と、思ったけれど(文章を読む前に、理解できないヘブライ語のヴィデオを観たので)、「それは水で終らない」、このようなことばが、水をかけられた直後に言えるのは、身体の大きさと同じほどの寛容と知性のなせる業と思わざるを得ない。翻って、彼の問いかけに、議会の誰も応えられない。水をかけられた当人より、居合わせた人たちの方がもっと驚愕したというのだろうか。


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イスラエル国防軍がとうとうガザの攻撃がガザでなくシナイ発と認める

イスラエル軍事担当記者の最もタカ派でさえ、エイラートテロ攻撃のイスラエル国防軍バージョンが、がらくたと(暗黙に)認めるとき、あなたは嫌疑を晴らしたと知る。事件後、8月に戻って思い浮かべ、Alex Fishman、Idan Landau、そしてわたしの皆が、攻撃者をガザ住民としたイスラエル国防軍による主張をくつがえした。わたしたちは、攻撃がシナイ発で、シナイのイスラーム教徒がそれを組織し、遂行したと主張した。Eli Lake、Avi Issacharoff、そして多くの従順な水運搬人は、忠実に、イスラエル国防軍と米国諜報機関の無意味を報じた。イスラエル国防軍により噴出された嘘はまた、襲撃と全く関係ない、民衆抵抗委員会指導層トップと他のガザ市民25人の殺戮の正当化に使用された。

今日、エルサレム・ポストのヤアコヴ・カッツは、今や、イスラエル国防軍自身が、攻撃者らが、ガザではなくシナイからと認めると報じる。しかし、イスラエル国防軍は、ジェスチャーゲームを完全に諦めるつもりはない。彼らはまだ、シナイの民兵はガザ集団に代わって行動したと主張するが、もちろん、彼らは、なぜ、あるいはいかにしてそうなり得るのか、証明もしなければ説明もしない。彼らはもちろん、ガザ・コネクションを主張し続けなければならない。さもなければ、エイラートと全く関係がないと彼らが前もって知っていた場合、承知の上でガザを攻撃したとして、彼らは戦争犯罪を告発されるだろう。

(略:ベドゥインが天国で、ガザから支払われた金を使えると信じているといった、ばかげた中傷への応答なので。ともかくも、そんなことまで言いだして、ガザ攻撃を「正当化」したいらしい。アホらしい)

全文:Tikun Olam

アーカイヴ:イスラエル軍はエイラート攻撃がパレスチナ人により遂行されたのではないと示す証拠を包み隠す(2011年10月26日)
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尋問官が市民抗議者の裁判で未成年者尋問はジョークだったと語る

2012年01月08日

ラマッラ、2012年1月8日 (WAFA) - 民衆闘争調整委員会によるプレス・リリースによれば、イスラエル尋問官が、日曜日、市民抗議者、バッシム・タミミの裁判で話して、彼の未成年者への、タミミを有罪と決するだろう、彼から自白を得るための尋問は、ジョークだった。

警官、ジャラル・アウェイダ(ドゥルーズ?)は、ラマッラ近く、ナビ・サレ村で開催される、村の土地と水資源の上に、ハラミシュ入植地を拡張することに反対する毎週の抗議におけるタミミの役割について、14歳のイスラーム・ダルアユーブに尋問した。

3月に逮捕されたタミミは、彼が、イスラエル兵士らに投石するよう村の子どもたちを煽動したとする、彼に対する告発を審議する、ラマッラの西、オフェル軍事法廷に現われた。

イスラエル警官、ジャラル・アウェイダは、タミミに罪を負わせるよう、彼を強要する尋問でのダルアユーブ威圧の試みは、単なるジョークだったと、法廷に語った。

ダルアユーブが法廷に、「ぼくは、ジャラルを恐れていた;彼は机を叩き、彼の手で合図して、ぼくを怯えさせた」と告げた事実について、彼が語り得ることを検察官に尋ねられて、アウェイダは、「わたしが机を叩いたなら、それは彼を怖がらせるためでない。彼の年齢を考慮するなら、それがジョークとしてなされたことは確かだ」と、アウェイダは答えた。

アウェイダは、警官が彼の手を拳にして、少年の顔の前で連打し、数分後、彼の前で空手のような身振りをして脅しているのを示す尋問の記録を法廷に提出した、タミミの弁護士、ラビブ・ハビブに証拠を示され、笑いさえした。

「それは冗談だった」と、彼は返答した。「わたしが言った言葉すべての陰にある、それはジョークだった」。

尋問で、ダルアユーブは、タミミが彼に、毎週の抗議で、兵士に投石し道路を封鎖するよう告げたと語った。

裁判官が証拠を調査した後、その裁判は再開するだろう。

原文:WAFA

アーカイヴ:バッシム・タミミ裁判での目撃者たち:ぼくたちは尋問者らにより、彼に罪を負わせるよう指図された(2011年12月03日)

     :パレスチナの子どもたちは抑圧的隔離で拘留される(01月09日)
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2009年1月9日:アブオダ家

2012年01月09日
パレスチナ人権センター

「イスラエル軍は、彼らが世界で最も道徳的軍隊と言うが、彼らはわたしの娘を殺した、彼らは彼女の生存権を尊重しなかった」

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イティダルとアフメド・アブオダが、娘、ナリマン・アブオダの写真と (Photo: Palestinian Centre for Human Rights)

2009年1月9日、ベイト・ハヌーンのアルアマル地区のアブオダ世帯は、2キロメートル離れたガザ・イスラエル境界近くのイスラエル陣地から連続砲撃を受けた。イスラエル砲撃で、ナリマン・アブオダ、16歳が、家族が避難していた廊下から台所に歩いているとき、身体の右側を撃たれた。救急隊は家族に到達できず、ナリマンは、治療を受けることができないまま死んだ。

アブオダ一家の弾痕のコンクリート壁が、ナリマンの死を雄弁に語る。壁、天井、床、扉の穴や傷のつぎはぎ細工の漆喰塗りで、父親、アフメド・アブデルカリーム・ムハマド、57歳と、イティダル・アブダルアジーズ、53歳の最善の努力にも拘らず、家屋は、弾痕で穴だらけのままだ。「砲撃が完全に無差別だったことは明らか」とイティダルは説明する。

ナリマンの母親と父親は、なぜこれが起こったのか、の問いに戻り続ける。彼らにとって、それは、空の修辞的問いでなく、彼らの関心事のかなり重く大きなものだ。「なぜわたしの娘だったのか? 彼らの動機は何だったのか? 彼らの理由は何だったのか?」と、アフメドは尋ねる。「イスラエル軍は、世界で最も道徳的軍隊と言うけれど、彼らは私の娘を殺した、彼らは彼女の生存権を尊重しなかった」。

(略)

全文:International Solidarity Movement

アーカイヴ:2009年1月8日:アルラヘル一家(01月10日)
     :2009年1月7日:マタール家(01月09日)
     :2009年1月5日:アマル・アッサムーニ(01月07日)
     :2008年12月31日:アブアリーダ一家(01月05日)
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2009年1月8日:アルラヘル一家

2012年01月08日
パレスチナ人権センター

「他の子どもたちは、ディマと事件両方の記憶について話し続ける。『ディマのように死にたい』、子どもたちが時々わたしに言うこと、ストレスすべてと苦しい生活環境のために」

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サイードとニスリーン・アルラヘル、その子どもたち、ディナ、スニア、アンサム、アナス、アリ。(Photo: Palestinian Centre for Human Rights)

2009年1月8日、およそ11:00、ミサイル4発が、ベイト・ラヒヤのジュマア・アルラヘル (45) の家屋に発射され、アルラヘル拡大家族のメンバー3人:バスマ (3)、ディマ (5)、ファテン (41) が負傷した。近くに住むアルラヘル兄弟6人、彼らの妻たち子どもたち、拡大家族の多くが、攻撃のとき家の中に居た。攻撃直後、家族たちは、地域を逃れ、ベイト・ラヒヤのUNRWA学校に避難を求めた。2009年1月17日、学校は、白リン弾の標的となり、ディマの姉、アンサム・アルラヘルを深刻に負傷させた。5歳のディマは、6週間、彼女の命のため闘った後、結局、2009年3月1日、エジプトの病院で、負傷により死んだ。

ディマとアンサムの父親、サイード・アルラヘル (35) は、最初の攻撃の日を鮮明に思い出す。「爆発が起こり、窓のすべてが壊されたとき、わたしは家にいた。わたしは家を出た。わたしは、隣の、兄弟、ジュマアの家で人びとが悲鳴を上げるのを聞いた。わたしの娘、ディマはそこにおり、彼女が負傷したと、人びとが叫ぶのを聞いた。さらに幾つかのミサイルが、ジュマアの家を攻撃し、わたしたちはその地区から逃れた。ディマは病院に運ばれた。1月13日、彼女はエジプトに移送され、わたしは彼女と行った」。

サイードの妻、シスリーン・アルラヘル (33) と他の彼らの子どもたち、スニア (17)、ディナ (15)、アンサム (13)、アフマド (11)、モハメド (6)、アリ (4) は、攻撃の後、ベイト・ラヒヤのUNRWA学校に留まった。ニスリーンは思い出す:「わたしたちは、1月8日から17日まで校舎に留まった。冬だったから、とても寒かった。わたしたちにはマットレスがなかった。毛布をマットレスとして使わなければならなかった。それはことさら子どもたちにとってはとても困難だった。わたしたちには十分な食物がなかった。わたしたちはまた、水をくれるよう、他の人びとに頼まなければならなかった。清潔な水はなかった」。

2009年1月17日、イスラエル軍は、校舎を、白リン弾で爆撃した。「学校への攻撃の経験は、わたしにとり、家への攻撃より困難だった。学校の爆撃が開始された瞬間、わたしは子どもたちと教室にいた。爆撃は、午前5:00ごろ始まり、暗かった。わたしは、アンサムが「頭を怪我した」と叫ぶのを聞いた。爆弾投下は、とても集中的だった」。アンサムは、頭に重傷を負い、負傷個所の髪を失い、頭蓋の部分が失われ、時々、傷口は感染症を患う。「彼女は、傷のためまだ苦しんでいる。学校で、彼女は、活動的なとき、意識を失う」と、ニスリーンは語る。

サイードは、学校への爆撃を知った瞬間を思い出す:「わたしは、エジプトへ行く前、家族と共にその同じ教室に滞在した。わたしは、エジプトにいて、TVで攻撃を知り、教室に見覚えがあった。床には血液があった。わたしが家族に電話したとき、誰も、娘アンサムがどうしているかわたしに伝えたくなかった」。

(略)

全文:International Solidarity Movement

アーカイヴ:2009年1月7日:マタール家(01月09日)
     :2009年1月5日:アマル・アッサムーニ(01月07日)
     :2008年12月31日:アブアリーダ一家(01月05日)
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裁判官がUCバークレーでの「反-ユダヤ風潮」の主張を却下

Dalia Almarina
The Electronic Intifada Berkeley
2012年01月06日

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訴訟と刑事裁判は、カリフォルニア・キャンパス連帯活動家の言論の自由の権利を脅かした。 (ZUMA Press/Newscom )

カリフォルニア大学バークレー校に於ける主張された反-ユダヤ主義に関する訴訟は、その予備段階で却下された。

学生たちが、彼らの主張を支持せず、キャンパスで展開する「反-ユダヤ風潮」を許しておくと、大学行政を非難した事例は、地裁判事が裁決して、却下された。

12月22日、サンフランシスコで、米国地方裁判所判事、Richard Seeborgは、訴訟却下動議を支持すると裁決した。彼の裁決で、Seeborgは、「原告は、被告が、原告の法的、あるいは他の憲法上の権利を犯したとの、あるいは、彼ら(大学:訳注)が、他の人の行為を管理する一層の措置を講ずるための法的義務を有するとの主張を支える事実を申し立てていない」と述べた。

2011年5月18日に、2010年UCバークレー卒業生、ジェシカ・フェルバー、現UCバークレー学生、Brian Maissy、UCバークレーのシオニスト学生組織、Tikvahメンバーにより起こされた訴訟は、パレスチナにおける公正のための学生たち (SJP) とムスリム学生協会 (MSA) の活動家たちが「カリフォルニア大学のユダヤ人学生の健康と安全を脅かし危険にさらす」と申し立てた。

原告は、MSA、SJP、そしてムスリム学生連盟 (MSU) - 実際、UCバークレーのキャンパスに存在しない組織 - を、「反-ユダヤ/反-イスラエルのMSA、SJP、MSU」として、引き合いに出した。

訴訟の「目玉」は、2010年3月に生じたとフェルバーが主張した出来事だった。フェルバーは、「イスラエルの平和と多様週間」に、キャンパスの有名な抗議エリア、Sproul Plazaで、彼女がデモンストレーションしていたとき、SJPメンバーが、彼女にショッピングカートをぶつけたと、申し立てた。(略)

首尾一貫したあるいはもっともらしい論点はない

訴訟は、原告の主張の正確さの議論や調査を要求せずに、原告により提出された情報すべてを真実とする仮定を判事が裁決する、却下動議段階で、却下された。

訴訟の一部は、米国憲法修正第一項の下、調べられた。Seeborgは、彼の裁決で、申し立てが「原告の『集会の自由』のいかなる剥奪も少しも示されていない。加えて、現在申し立てられている事実から、誰かが原告の宗教実践の邪魔をしたすることは全く明らかでない」と述べた。

判事は、「いくつかの裁判所が、公立大学に、困るスピーチを禁止し、学生の権利の邪魔をする管理を可能としたが、学校がそうする法的義務はない」と付け加えた(「UCバークレー学生の反-ユダヤ訴訟却下」San Francisco Chronicle、2011年12月26日)。

(略)

全体として、その裁決は、申し立ての完全にばかげた性格と法律の浅はかな使用を明らかにする。しかしながら訴訟 (litigation) が、訴訟 (suit) で被告とされたMSAとSJPを除外するので、組織は、彼らに対してなされた申し立てに応答する機会を提供されない。

偽りの申し立ての普及

(略)

学生連帯集団についての神話対現実

SJPは、多くの進歩的学生集団と密接な関係を持つ。2010年春のCal SJPの「脱資運動」で、イスラエルからの大学資金引き上げを模索する学生議会法案の公式支持で、43の学生組織が署名した

更に、SJP自身、申し立てが述べたような「パレスチナ活動家集団」でない。そのメンバーは広範な環境からで、その大多数は、非-アラブであり、非-ムスリムだ。一般に、人口統計は年々変わるが、登録されたUCバークレー学生組織としてのその存在の過去5年半、SJPの指導層は、非-アラブ・非-ムスリムの個人のマジョリティを反映した。

訴訟はまた、反シオニストユダヤ人の意見 - 2005年春に、カリフォルニア大学学生連合への登録以来、SJP内部に強かった意見 - の存在を無視し、「反-シオニスト」が「反-ユダヤ」に等しいと主張して、「ユダヤ人」を「シオニスト」に合成する。

(略)

全文:The Electronic Intifada
posted by mizya at 10:15| Comment(0) | TrackBack(0) | article | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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