2012年01月15日

イスラエル-パレスチナ・カップルの生活の一瞥

2012年01月13日

イスラエルが、パレスチナ自治政府領域からイスラエル人を締め出すことに戻るならどうだろう? 反-アラブ立法の傾向が継続し、国家が、彼らやその子どもたちから市民権を引きはがすと決定するならどうだろう?
アミラ・ハス

1967年の西岸とガザ回廊の占領が、1948年以来初めて、イスラエル内に残ったパレスチナ・コミュニティを結びあわせた。国家設立で分断された家族は、19年を経て一緒になり、友人たちは互いと会い、西岸とガザの難民たちは、彼らの出生地(現在は破壊されたか、あるいはユダヤ人により定住される)再訪にせき立てられた。グリーンライン両側のパレスチナ人たちは、仕事で、学校で、催しの場所で出合った。この再統合は、当然多くの結婚に帰着した。

1990年代初頭、パレスチナ人たちは、承認を得た家族再統合原則で、イスラエルでの、市民権あるいは居住権要請の数の低下に気づき始めた。

1204684941.jpg
ナブルス近くのハワラ検問所を通って横断するのを待つパレスチナ人たち。
Photo by: Nir Kafri

この期間前、カップルがどこに住むかの問題はそれほど重要ではなかった:イスラエルは、占領地住民に移動の自由を、どちらかといえば、与え、また、イスラエルでの家族再統合のその申請が却下されてさえ、互いから完全に切り離すことはなかった。

イスラエルが、西岸とガザ回廊に住むパレスチナ人に移動の自由に関する全面的制限を課した、1991年1月、これは根本的に変わった。許可と分離のシステムが実施された - ひとつは西岸と回廊の間、もうひとつはイスラエルとこれら領域の各々の間(しかし、パレスチナ人のみに作用し、ユダヤ人には作用しない)。

許可なくイスラエルにいることは、何年もその家族と共にそこに住んでいた人にとってさえ、刑事犯罪となった。2000年の第二次インティファーダ開始後、イスラエルの親戚を訪問する許可を得ることさえ、より困難になった。パレスチナ人は、これらの困難により、家族の多くは、その子どもたちがイスラエル市民と結婚しないことを好むと語る。

(略)

西岸とガザ回廊に住むイスラエル人は、国の社会的給付を失う - しかし、入植地に住むユダヤ系イスラエル人はこのかぎりでない。

「混合」パレスチナ人カップルは、不確実性と将来の恐れの絶えず続く雲の下に住む。イスラエルが、パレスチナ自治政府領域からイスラエル人を締め出すことに戻るならどうだろう? 反-アラブ立法の傾向が継続し、イスラエルがある日、彼らやその子どもたちから、そのイスラエル市民権を剥奪すると決定するならどうだろう?

全文:Haaretz.com

先行記事:「市民権法上のイスラエル-パレスチナ・カップル:最高裁判所がイスラエルの人種主義に手引きされる」Haaretz.com
2012年01月12日

最高裁が、イスラエルの何千家族もの通常の生活への望みを終らせ、家族再統合を禁止する法律を支持する裁決。
Jack Khoury

アラブ系イスラエル人とパレスチナ人の何千家族もが、イスラエルの市民権法を拒絶する最高裁判所判決を何年も待ち続けてきた。法律を支持する水曜日の判決は、配偶者の市民権を得、イスラエルで永住地位を受け取る彼らの希望に終止符を打つ。

アッコのタイサル・ハティブと彼の妻、ラナは、6年前に結婚した。この日まで、ナブルス出身のラナは、イスラエル市民権を否定されてきた。彼女は、アッコで夫と住む一時的許可を毎年受け取るが、永住イスラエル住民に拡大される法的権利を有しない。

2349077637.jpg
結婚式の写真を掲げるタイサル・ハティブ。
Photo by: Yaron Kaminsky

ハイファ大学で人類学の博士号論文を書いており、西ガリラヤ大学で講師として雇用されるタイサルは、裁判所判決に驚かなかった。「決定は、イスラエル司法制度にいかなる信頼も寄せるべきでないことの証明だ。最高裁判所が、イスラエルの広範囲に広がるファシズムと人種主義のうねりによる影響を受けることは明らかで、裁判官は、他の手法で行動するとは期待されてなかった」。

ハティブは、彼の妻が一時的滞在許可を持つとしても、裁判所判決は、前進する、あるいは通常の生活のいかなる希望にも終止符を打つと説明した。「彼女は、経歴を促進することができない - 彼女は、パレスチナの運転免許を持っていても、車を運転することさえできない」。

(略)


posted by mizya at 19:55| Comment(0) | TrackBack(0) | article | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ユダヤ人入植者らがサルフィト近くの非常に古いオリーヴ樹根こそぎ

2012年01月12日

サルフィト、(PIC)-- ユダヤ人入植者らは、金曜日、ジャマインとヤースフの村の間で、地元住民のあいだに激怒を引き起こし、その中のオリーヴ樹は、地元住民がローマ時代からあったと信じる非常に古いオリーヴ樹、100本を破壊した。

地元情報筋は、Taffouh入植地の入植者らが、ヤースフ近くのマフカア地区のオリーヴ樹を切り倒したと語った。

羊100頭以上を所有する、その地域で、Taffouhの羊飼いとして知られる、Taffouhの入植者のひとりが、その地区のオリーヴ樹に対する攻撃の変わらない根源で、彼が他の入植者らを煽動したと考えられると、情報筋は語った。

情報筋は、オリーヴ樹の破壊は、パレスチナ農夫たちが、土地を手入れするのを止め損なった入植者らの、それらの土地を不当に使用する計画の一部であると語った。

原文:The Palestinian Information Center


「地元住民がローマ時代からあったと信じる」と、記述してあるのを読むとき、記者は信じていないのかもしれない、と、思う。ローマ帝国がオスマントルコにより滅亡して、たかだか500年、東ローマの最盛期から1,000年、つまり、500年前か1,000年前のオリーヴ樹さえ、ローマン・オリーヴと呼ばれてしかるべきだが、わたしはパレスチナで、ローマ以前、4,000年前のオリーヴ樹に出合っている。さすがに信じ難かったけれど、ナザレ(パレスチナ・コミュニティ)では、ニッポンに「放射性炭素年代測定」を依頼したのだという。その結果なのだけれど、3,11以降、ニッポンの科学を信用できないでいる。
posted by mizya at 12:37| Comment(0) | TrackBack(0) | report | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。