2012年02月01日

ユダヤ系チュニジア人が出立要請拒絶

2012年01月31日

1年前にチュニジアで始まったアラブ暴動(Uprising、このことばより他思いつかないのかしら、BBCは - mizya)に引き続き、イスラエル政府大臣は、安全のため、チュニジアに残るユダヤ人すべてが、イスラエルに移動すべきと語った。

セファルディユダヤ人何十万人もが、1948年のイスラエル建国前、北アフリカ・中東中に住んできたものだった。

しかし、残る小さなコミュニティへの、荷造りして出立すべきとの提案は、ユダヤ人自身の多くにより拒絶されている。

ワイア・デイビスがチュニジアから報告する。

原文とヴィデオ (2:34):BBC


 現在チュニジアで住む場所があるのに、(口実にせよ)住む場所もなくパレスチナから土地を奪っているイスラエルに行く理由を見つけるのは困難だろう。かつての祖国を懐かしむ、イスラエルのセファルディは少なくない。その声はかつての祖国に充分届いていると思う。
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ハデル・アドゥナーンに連帯を!

2012年01月30日

2012年01月29日
アフマド・サアダト解放キャンペーン


投獄のパレスチナ人活動家で、イスラミック・ジハード党報道官、ハデル・アドゥナーンは、12月17日以来、ハンガーストライキを継続してきた。彼は、43日間のハンガーストライキで、重大な健康的帰結に直面しており、彼の状態とイスラエル占領の刑務所内にいるパレスチナ政治囚5,000人近い彼の仲間たちの状態を広める国際支援・連帯を必要としている。彼は今日、病院に移され、食事を拒否し続けており、パレスチナ人医師ふたりの到着を待っている。彼は現在、ハンガーストライキで弱ったため歩くことができず、車椅子だ。

アッダミール(Addameer)は、イスラエル占領とのハデル・アドゥナーンの経験を詳述する。彼は現在、行政拘留(秘密の証拠に基づく、告発も裁判もない恣意的拘留で、最長6か月間、繰り返し無期限に延長できる)下で囚われる。ハデル・アドゥナーンは、1月8日、4か月の行政拘留令を発行され、1月30日、もうひとつの軍事法廷審問に直面する。これは、アドゥナーンが拘留された8回目で、彼は、イスラエル刑務所で - 殆ど告訴も裁判もない行政拘留策動の下、計6年服役してきた。

Addameer報告:

ハデルは、2011年12月17日、イスラエル占領軍 (IOF) が、午前3:30、ジェニーンの外の彼の家屋を襲撃して逮捕された。彼の家に入る前、兵士らは、ハデルの父親を青物市場に連れて行くドライバー、モハマド・ムスタファを、人間の盾として使い、目隠しする一方、家のドアをノックして、ハデルの名を呼ぶよう強いた。そして巨大部隊の兵士らは叫びながら家に押し入った。即座にハデルを認め、彼らは、幼い娘ふたりと病身の母親の前で、彼を暴力的に鷲掴んだ。

兵士らは彼に目隠しし、プラスティック手枷(いわゆる結束バンド、血管まで締め付けることができるのでイスラエル占領軍により常用される:訳注)を使って後ろ手に縛り、彼を家から引きずり出し、軍用ジープに連れて行った。ハデルはそして後ろ向きに投げ込まれ、兵士らは、彼の顔への平手打ちと脚を蹴り始めた。彼らは、Dutan入植地に到着するまで、彼を仰向けに横たわらせ、10分のドライヴを通し、頭を殴った。彼らが入植地に到着したとき、ハデルは乱暴にジープから押し出された。目隠しされていたので、ハデルは目の前の壁が見えず、激しくぶつかって顔を負傷した。

(略:尋問での拷問、彼のハンガーストライキ、そして国際社会への呼びかけ)

全文:International Solidarity Movement


 イスラエル軍が行政拘留でいうところの「秘密の証拠」というのは、「犯罪の証拠はない」ということと同義だ。明白な証拠でないまでも、かなりいい加減な証拠でさえ、法廷は「軍事法廷」だから、拷問や虐待で引出した自白同様採用される。「行政拘留」はだから、裁判に持ち込んでも勝ち目のない、無辜のパレスチナ人を拘束する手法である。まあ、ニッポンの情報公開で全部黒塗りされた情報が公開されるのに似ているかもしれない。
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