アルメニア難民で写真家、エリア・カーヴェジアンの家族は、彼の遺産保護のため闘っている。
Nir Hasson
エルサレム旧市街の小さな写真店、Photo Eliaのカウンターの上に、もはや存在しないマグラビ(モロッコ)地区の家々に押し込められたように見える、「嘆きの壁」の20世紀初期の写真が横たわる。女と男が人前で共に祈る参拝者のシーンは、現代イスラエル人の眼に、衝撃的何かがある。
もうひとつの写真は、1931年にここをドイツのツェッペリン号が飛行したと示す。巨大な飛行船は、旧市街上空を奇妙なUFOのように、黒と白で浮遊する。3番めの写真で、大きな帆舟がYarkon河口に見られる;4番目では、ヨーロッパ型の時計台がヤーファ門の上に伸び、5番目で、控えめな初期のカフェ・チェーン、Kapulskyが見られる:エルサレムのシオン広場の端で、「Kapulsky」と書かれた看板のある小さなコーヒー売り車。

「嘆きの壁」で祈るユダヤ人
Photo by: Kahvedjian Collection

エルサレム旧市街上空を浮遊するドイツのツェッペリン号
Photo by: Kahvedjian Collection
(略:トルコのアルメニア人死の行進で始まるエリア・カーヴェジアンの苦難と写真との出合い、25年前に再発見された写真コレクションとその保全、写真集の出版のことなど)
全文:Haaretz.com
エルサレム旧市街に小さな画廊がある。画廊の名もオーナーの名も記すつもりはないけれど、そのオーナーがやはりアルメニア人だ。彼は自らをパレスチナ人と考えている。パレスチナ人として弾圧されるのだから。