2012年02月09日

アッダミールの弁護士がハンガーストライキ中の拘留者を訪ねる

2012年02月07日火曜日
Saed Bannoura - IMEMC & Agencies

アッダミール囚人支援・人権協会の弁護士、サメル・サマーンは、苦しむハンガーストライキ中の拘留者、彼の健康状態の急激な悪化にも拘らず、51日間ハンガーストライキをしてきたアドナーン・ハデルを訪ねることができた。ハデルは現在、サファドのイスラエルの病院にいる。

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File blogs.amin.org

アッダミールは、イスラエル刑務所行政が、緊急に必要とされる医療を実際には提供せず、ひとつの病院から別の病院へとハデルを移動してきたと述べた。

アッダミールは、ハデルの命の責任はイスラエルが担うものとし、刑務所行政が、前提条件なしに、即刻彼を解放するよう要求した。

サマーンは、ハデルが、ハンガーストライキ継続を主張しており、彼の悪化する状況にも拘らず、ビタミンや塩分を拒否し続けていると述べた。

イスラエル軍事法廷が、ハデルに対する行政拘留命令を更新するかどうか、まだ裁決していないと言及する価値がある。

西岸北部都市、ジェニンのハデルは、軍により彼が逮捕された1日後、12月18日にハンガーストライキを始めた。彼は容疑を科せられておらず、違法投獄に抗議してストライキすると決めた。

告訴なく、これら拘留期間が6ヵ月の、その時点でイスラエル職員が、囚人を解放するか、彼/彼女をさらに6ヵ月拘留するかどうか決める、イスラエルが呼ぶところの「行政拘留」でイスラエル拘留キャンプに捕らえられている、彼は、パレスチナ人300人近くのひとりだ。

これら延長は何年 - 最長の行政拘留者は8年以上も捕らえられてきた - にも及び得るし、告訴なく囚人を無期限に拘留するのを禁止する、第4ジュネーヴ条約違反である。

原文:International Middle East Media Center

関連記事:「イスラエル裁判所がジハード指導者の拘留命令を裁可」Ma'an News Agency

ラマッラ (Ma'an) -- イスラエルのオフェル軍事法廷は、火曜日、イスラミック・ジハード指導者、ハデル・アドナーンの行政拘留命令を有効と語った。パレスチナ囚人社会は、月曜日、命令に関する最終裁決を得るため、法廷と連絡をとった。軍事法廷は、火曜日、1月8日発行の4ヵ月行政拘留命令が満たされると認めた。

link to www.maannews.net


 関連記事「イスラエル裁判所がジハード指導者の拘留命令を裁可」は、アクセスが集中しているのか、サイトが攻撃を受けているのか、アクセスしても警告マークに読めないアラビア語の説明が2行、確認できていないけれど、送られてきた記事の紹介文のみ掲載。行政拘留の理由が秘密なのだから、そのような裁判に正当性はなく、ハデル・アドナーンが死亡するようなことがあれば、勝手放題をイスラエルに許す、米国、ヨーロッパ、非植民者根性丸出しで植民者におもねっているようにみえるニッポンも含む、国際社会も無罪とは言えない。


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イスラエルが「催涙ガス発砲調査を閉ざす」

2012年02月06日月曜日

ベツレヘム (Ma'an) -- イスラエル当局が、日曜日、西岸村、ナビ・サレで催涙ガスキャニスターでイスラエル人活動家が撃たれた調査を閉じたと、民衆闘争調整委員会は報告した。

ベン・ローネンが、5月13日、近距離で撃たれて手に複雑骨折を被ったと、委員会は述べた。

彼は、事件が証拠不十分で閉ざされたと、イスラエル国内業務部門により通知されたと、報告は付け加えた。

民衆委員会は、ラマッラ地区の土地没収に対する毎週抗議で、イスラエル国境警官が、ローネンに向け射弾を発砲する映像を発表した。


PopularStruggleCC

(略)

全文:Ma'an News Agency
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進行中のナクバ:イラクのパレスチナ難民の苦境

2012年02月06日
トム・チャールズ

2011年9月、パレスチナ自治政府大統領、マフムード・アッバスが、国連にパレスチナ国家地位を付託したその月、レバノン拠点のパレスチナ人権財団のクサイ・アブドゥル-ラウーフは、バグダッドのアルバラディーヤ地区のパレスチナ人に対する増加する多くの攻撃を記録する仕事に従事していた。彼が地区を見て回っているとき、伝えられるところによれば内務省の制服着用のガンマン3人が彼を拉致した。それ以来、誰も彼を見ていない。

概略のみ:イラクのパレスチナ人人口:2003年の米国/英国侵略前、3万5000人(9万人との推計もある)。国連難民高等弁務官事務所 (UNHCR) によると、2009年に1万3000人が残った。この数が現在およそ7000人と示す。イラクのパレスチナ難民は無国籍、脆弱で忘れられている。

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ナクバということばは、大災厄と翻訳され、一般に1948年に、その自国からのパレスチナ人の民族浄化を指す。しかしパレスチナ人にとって、ナクバは終ったことがなく、その追い立ては続く。(略)この永続する危機は、その規模と、国際関係へのその顕著な影響にも拘らず、西側ニュース消費や国会論議で極度に軽んじられる。(略)

ナクバ過程1:1948年と1967年

パレスチナ人は、戦争から逃れる度、いくつかの波で、イラクに行った。第1集団は、現在イスラエルの、ハイファと周辺の村々からだった。彼らは、1948年戦争で、村々に対する最初のシオニスト攻撃に抵抗したが、後に、イラク軍が駐留していたジェニンへ逃れた。イラク軍の保護の下、女と子どもたちはイラクに避難させられ、男たちは、イラク軍特殊部隊、カルメル旅団に組み込まれた。1949年に、イラク軍がパレスチナを立ち去ったとき、これら村民(およそ4000人を数える)も一緒に退却した。1967年戦争の後、パレスチナ人の大きな第2波が、イラクに到着した。殆どのパレスチナ人がクウェートから追放された1991年の湾岸戦争後、他に行くところがなかった多くが、ことさらガザ回廊出身者が、第3の流入で入った。

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被占領地、ヨルダン、シリア、レバノンのパレスチナ難民と異なり、イラクに住んだ難民は、国連難民救済事業機関 (UNRWA) の管轄とならなかった。イラクは、UNRWAが最初1940年代の終わりに設立されたとき、領域でのUNRWA運営許可を拒絶した。イラクのパレスチナ人は、特別トラヴェル・ドキュメントを発行され、労働権を与えられ、ヘルスケア、教育、他の政府事業に完全なアクセスを与えられた。彼らはまた、政府所有の住宅に住むか、あるいは民間所有住宅の家賃の助成金が交付された。これは、キャンプのぞっとする生活環境より確かによかったが、難民は市民権を与えられず、住宅や土地の所有も認められなかった。1980年代と1990年代、パレスチナ人が優遇措置を受けていると信じるイラク住民人口の階層にとり、彼らは、煮えたぎる憤りの源となった。(略)

概略のみ:イラクのパレスチナ人は、イラク社会同様、経済制裁に曝され、米国の爆弾を被った。

続くナクバ:2003年

パレスチナ難民状態の危うさは、2003年の米国主導の侵略後、現れた。イラク社会が、戦争、制裁の数十年の重量下で苦しみ、また彼ら自身の国内的転移の状況も加わり、パレスチナ人の看取られた優遇措置への怒りが、彼らを報復の標的にした。パレスチナコミュニティは、彼らを保護する武装集団もなく、非常に脆弱で、イラク市民と異なり、イラクのトラヴェル・ドキュメントを持つパレスチナ人は、通常、近隣諸国に避難を模索することもできなかった。その結果、何千人もが、囲い込まれたキャンプにヨルダン警察警備隊下に残るか、バグダッドの迫害に戻るかを選択するしかない、ヨルダンとの国境地帯の宿る場もないキャンプに逃れた。ヨルダンに家族関係を持つパレスチナ人のあるものは入国を許されたが、働くことは禁じられた。パレスチナ自治政府は、イラクから逃げるパレスチナ人に、ガザ回廊で収用する旨を繰り返し述べたが、イスラエルが、ガザ境界支配により、これを妨げることができた。

(略:死の脅迫と殺戮から逃れたパレスチナ人が死と隣り合わせの環境に置かれる)イラクのパレスチナ人は、彼らが1948年の民族浄化後したように、テントで暮らし、(難民生活を)一周した。

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(略:興味深いけれど、何しろ長い)

全文:Jadaliyya


 イラク政府によるパレスチナ難民への家賃援助は、土地家屋所有を禁止する政策の裏返しだったわけだが、土地家屋を所有しないイラク人にとっては、「優遇」と映ったかもしれない。ニッポンの、いわゆる在特会が、何をもって「特権」としているのかは理解しかねるけれど。
posted by mizya at 15:11| Comment(0) | TrackBack(0) | article | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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