2012年03月28日水曜日
エルサレムから分断する壁の建設のため、ベツレヘムに近い主としてクリスチャンの都市、ベイトジャラのオリーヴ樹のブルドーザによる引き抜きで、イスラエル境界警察が警戒に立つ。(MaanImages/Luay Sababa, File)パレスチナのクリスチャン・リーダーとして、わたしたちは、あなたが、3月9日、ウォール・ストリート・ジャーナルに発表した根拠なき主張に驚かされました。パレスチナ・クリスチャンが、パレスチナ・ムスリムに直面する困難な現実に負わせるあなたの試みは、イスラエルがわたしたちのコミュニティに行ってきた損害を覆い隠すことを意図した事実の恥ずべきごまかしです。
わたしたちのカイロス文書で述べられたように、わたしたち、パレスチナ・クリスチャンは、「パレスチナ領土のイスラエル占領が、神から贈られた基本的人権をパレスチナ人から奪うので、神と人間性に対する罪である」と宣言します。
イスラエル占領が、世界中の最も古いクリスチャン・コミュニティのそれほど多くのメンバーが、聖地、パレスチナを去った第一の理由です。
1967年に始まった、西岸、ガザ、ゴラン高原のイスラエル占領以来、イスラエル政府は、現在イスラエルが「地区」と呼ぶ入植地を建設するため、パレスチナ・クリスチャンにより所有された何千エーカーもの土地を没収してきました。これら入植地が、イエスがこれら聖都の間を歩いて以来、2千年で初めて、ベツレヘムとエルサレムを分断しました。
エルサレムのパレスチナ・クリスチャンは、この土地略奪政策により最も困難な打撃を受けてきました。
イスラエル政府は、被占領都市のパレスチナ人の家屋何百棟をも破壊し、わたしたちの占領された祖国の至る所で違法入植地を絶え間なく拡張し、外国の移住を促進する一方、何千人以上もの居住権を無効にしてきました。
イスラエルのクリスチャン人口が成長してきたとのあなたの主張は、Mr Oren、陰険です。
実際、クリスチャンの割合は、パレスチナ・クリスチャン住民の大半を難民とさせたイスラエル建国の1948年に減少し始めました。
あなたが主張する、イスラエルのクリスチャン人口の誇張された成長は、主要にはソ連崩壊後、イスラエルが国へ流れ込むユダヤ人移民と識別できなかったロシア・クリスチャンの移住によります。それは、あなた方政府により実施される進行する立ち退き政策の被害者である先住のパレスチナ・クリスチャン住民とのいかなる調和のためでもありません。
それはまた、占領が、被占領領域のパレスチナ人の日常生活に劇的に影響しないと示唆することで誤解させています。領空、通信、水といった重大な資源のパレスチナの使用は、究極的にすべて、イスラエル支配に従属させられます。わたしたちは、イスラエルの検問所を通過することなく、わたしたちの都市の間を移動することもできず、あるいは外国に旅行することもできません。
イスラエルの支配基盤は、わたしたちの経済に大損害を与え、わたしたちの若者に使用可能な機会を劇的に制限します。2010年のみで、パレスチナ経済への占領コストは、わたしたちのGDPの85パーセント、殆ど70億ドルでした。
わたしたちの聖書は「平和がないとき『平和、平和』」(エレミア書、6:14)と述べます。わたしたちは公正で永続する平和を求めます。しかし、平和を達成するために、Mr Oren、あなた方の政府は、あなた方の占領が創出した現実を認識しなければなりません。
わたしたちの現実は、占領、弾圧、喪失の類いです。あなた方政府の、わたしたち生得の基本的礼拝する権利への強襲と、追放とわたしたちコミュニティ間の分断政策に、わたしたちは耐え忍びます。
あなたの誤った主張とは逆に、わたしたちは、イスラエルの残忍な占領と苦痛、その弾圧的実施からともに、パレスチナ人が耐え忍ぶひとつの民族と断言します。
わたしたちは、わたしたちが、すべての人びとに与えられる権利を享受するに値するとの信念で結ばれています。クリスチャンとムスリムのパレスチナ人は、60年以上共に、自由のため闘ってきました。わたしたちは、その伝統を継続するつもりです。
イスラエル占領終結は、パレスチナ人 - クリスチャンとムスリム - にとり、繁栄と前進の生活を享受する唯一の道です。それはまた、このわたしたちの聖地に、継続的クリスチャンの存在を保証する最も確かな道でもあります。
(署名者省略:原文参照)
原文と署名者:
Ma'an News Agency
イスラエル建国以前、パレスチナ・クリスチャンはパレスチナ人口の20パーセントを占めた。現在はおそらく10パーセントに満たないと思う。クリスチャンとムスリムの出生率の違いも影響していると考えられるけれど、もちろん、出生率の違いだけで説明できる減少ではない。文化的職業に占めるクリスチャンの割合が相対的に高いことも、外国に移住する決断を容易にしているかもしれない。わたしが出合ったナザレの家族は「移住」を考えていた。イスラエルとなってしまったナザレに留まっても、子どもたちが就職できる可能性は殆どないからだった。ナザレで宿泊したホテルのレセプションにいた男は、「どんなことがあろうと離れない、離れないことが闘いなのだ」と、暗に移住の傾向を非難した。
パレスチナ・クリスチャンにこの公開書簡を書かせることになったMr Orenのウォール・ストリート・ジャーナルの記事を読んでいないし、読みたいとも思わないけれど、そして、ナザレのようなクリスチャン主体の都市に、イスラエルにより土地を奪われたムスリムが流入することによってモスク建設の問題が、クリスチャンとムスリムの対立を引出すこともあるけれど、そのような対立さえ、イスラエル政策の結果だと、知らないパレスチナ人はいない。
posted by mizya at 14:01|
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