2012年03月04日

イスラエルは政策により「ハズバラ」にもっと集中する

2012年03月02日

「ハズバラ」、説明する行為かあるいは職業、は、イスラエルの実際の問題に真剣に取り組まないことの弁明、そして政策決定の代用となった。
Anshel Pfeffer

ハズバラは、翻訳を受け付けない風変わりなイスラエルの言葉のひとつだ。わたしはイスラエル語と言う、というのも、ヘブライ語の用語は翻訳可能だ - ハズバラは、単に説明する行為か職業だ。しかし、イスラエルの政治・外交の世界で、ハズバラはより多くの複雑な意味を獲得してきた。

誰かは、ハズバラが、デイヴィッド・グロスマンにより、不都合な真実を隠すためにイスラエル人により使用される悪気ない言葉で、ハズバラの本当の意味はプロパガンダと叙述する、彼の本「The Yellow Wind」の中で使用された用語、「洗われた言葉」と言うかもしれない。しかし、その同一視は全く本質を失う。プロパガンダが常に、反面の真理、でっち上げ、露骨な嘘の混合物である一方、ハズバラは一般に、真実の事実の非常に選択的ヴァージョンを採用する。

そして彼ら自身のプロパガンダを信じ、十分に惑わされる人びともいるが、プロパガンディスト(プロパガンダするひと)の殆どは、彼らが欺いていると知っている。ハズバラ遂行者ら - masbiranim(マスビラニム)- は、議論の真実性を完全に確信している。確かに、ハズバラは現在、21世紀シオニズムの基本的教義のひとつ、教義の真実の行為である。悲しいかな、それは全くの誤謬だ。

ハズバラ信仰者は、イスラエルだけが、彼らの説明を組み立てる適当な手法を見つけることができ、そしてイスラエル人が、彼らの事案を世界に説明するため十分勇敢なら、そのとき、必ずや公平なジャーナリスト、政治家、普通の市民たち - もちろん、反-セミティスム(ユダヤ)に汚染されていないそれら - が、ユダヤ人国家が、諸国の中で輝く灯台であることに同意しなければならないだろうと確信する。イスラエルとその支持者らは、TVスタジオに、ニュース室に、ブログ上で、ツイッターで、よき言葉を広め、毒を広めるものらを攻撃し、反論し、誤りと中傷を根絶しに、出撃しなければならない。

(略:ハズバラ予算について)

西側メディアの基本姿勢は、イスラエルに向け、より寛大で友好的になっていない - むしろ、逆が真実だ。そして、予算が10倍に増やされたところで、ハズバラ戦士の大群を教育するため大学が設立されても、それは決して機能しないだろう。

(略:長い)

全文:Haaretz.com


「ハズバラ」用語解説として。つまりイスラエル人は実にナイーヴに、彼ら自身を清く正しいと信じている? 信じ難い!

アーカイヴ:最新のハズバラ・メメ(?):ブラックウォシング(01月23日)


posted by mizya at 23:18| Comment(0) | TrackBack(0) | article | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

人権集団:アル-ハク代表の渡航禁止を解除せよ

2012年03月01日木曜日

ベツレヘム (Ma'an) -- アムネスティ・インタナショナルとヒューマン・ライツ・ウォッチは木曜日、一時的旅行を可能とした、パレスチナ人権活動家、シャワン・ジャバリンの渡航禁止を取り消すよう、イスラエルに求めた。

イスラエルの国家検察官は、意見と表現の自由の権利の国連特別報告官の招待で、ジャバリンに、ジュネーヴに旅することを可能にする、禁止の「一時的例外」に同意した。

しかし人権集団ふたつは、木曜日、イスラエルが、ジャバリンの旅行禁止を正当化するいかなる証拠も提示せず、ひたすら恣意的禁止を解くことで、遅過ぎた例外に続くべきと語った。

2月16日に提出された請願は、イスラエル高等裁判所に、禁止を翻すよう求めるだろう。

ジャバリンは、西岸拠点のパレスチナ人権集団アル-ハクの代表だ。彼は、2010年オランダで、2011年デンマークで、ふたつの賞を受け取るため、外国に旅するのを認められなかった。

禁止は、ジャバリンにも彼の弁護士にも決して明かされることのない、秘密証拠に基づく。

原文:Ma'an News agency


 行政拘留ばかりでなく、弾圧のいたるところで「秘密証拠」が用いられる。「秘密証拠」とは何だろう。「明かせない」なら「証拠」であり得るだろうか。「明かす」ならその欺瞞が裁判で暴かれる、だから「明かす」わけにはいかない。つまり「秘密証拠」とは「証拠はない」と同義なのだ。パレスチナ人に受賞の渡航を禁止する国に、「エルサレム賞」を受賞するために赴いたニッポンジン作家もいた。「文化はボイコットされるべきでない」と宣う輩もいる。「表現の自由」ということだろう。しかしパレスチナ人の「表現の自由」はイスラエルにより徹底的に弾圧されている。だからイスラエルに対する学術・文化ボイコットは、表現者にとり「表現の自由」の最たるものなのだ。イスラエルの弾圧を許すなら、その弾圧が世界基準(グァンタナモの残虐を見よ)となり、わたしたちに降りかかる。
posted by mizya at 11:48| Comment(0) | TrackBack(0) | report | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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