2012年03月09日

イスラエル占領軍兵士らがはアルハリールで英国代表団を拘束

2012年03月07日

アルハリール、(PIC) -- イスラエル占領軍 (IOF) は、水曜日、アルハリール(ヘブロン)市、タラルルメイダ近くの道路遮断で、英国代表団を拘束した。

地元情報筋は、代表団が、ハナア・アブハイケルを彼女の家に訪ねていたとPICに語った。代表団は、ユダヤ人入植者らの、家を放棄するよう強いる努力で、彼女の家への繰り返される攻撃に直面するハナアへの連帯でやって来たと、彼らは付け加えた。

情報筋は、入植者の多くが、代表団に嫌がらせし、侮辱し、彼らに石を投げつけていたと述べた。

原文:The Palestinian Information Center


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1967年以来イスラエルがパレスチナ人に対し100,000件の行政拘留命令発行

2012年03月07日水曜日

パレスチナ解放機構の広報局により発行された公式報告によれば、イスラエル占領当局は、1967年以来、パレスチナ人に対し、ほぼ100,000件の行政拘留命令を発行した。その報告は、諜報機関職員らによりなされた個人的命令に基づく、刑事告訴も裁判もなく、行政拘留者を投獄するイスラエルを非難する。判事による認可は通常なく、命令は、パレスチナからの出発前、英国により取り消された英国委任統治期に導入された法に従って発行される。

報告はまた、PLO広報局が、イスラエルの行政拘留政策が、子どもや未成年者同様、政治的・社会的エリートをも標的とすると説明し、国際社会と国連機関にメッセージを送ってきたと述べた。

(略)

全文:Middle East Monitor
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もうひとつの判決が延期されハナ・シャラビーはハンガーストライキを継続

ラマッラ、2012年3月7日 - イスラエル軍判事は、3月7日、今日の聴聞で、ハナ・シャラビーの4ヵ月行政拘留命令の訴えでの裁決を延期した。ハナは、彼女が解放されるまで、現在その21日目のハンガーストライキを継続する不屈の意志を表明した。

アッダミール弁護士、マフムード・ハッサンは、今日の聴聞で、ハナが非常に弱って見え、兵士らに手荒に扱われたと述べた。軍判事は、ハナの弁護士、4人のみに法廷に立ち会うことを認め、他のすべてに立ち去るよう求めた。彼女の弁護団と軍検察当局の法的議論聴聞の後、判事は、彼が裁決する前、検察当局がその見解の修正を考慮するよう要求した。彼は、3月11日日曜日か、あるいは3月12日月曜日に裁決するだろうと述べた。

ハナの父親は、ハナと会うため午前8:00にオフェル軍事基地に到着したが、軍判事とイスラエル兵士らは、彼が遠くからさえ彼女を見ることができないよう確実にするためにあらゆる努力をした。更に、聴聞が開催された法廷の扉は、彼が外から扉越しに見るために、誰か開くことができないように、施錠された。軍判事は、この件に関するハナの弁護士の質問すべてを、繰り返し拒絶した。

この午後の聴聞に先立って、Nahshon - パレスチナ囚ヘのことさら残忍な扱いで知られる、イスラエル刑務所業務の特別護送・介入部隊の隊員らが、ハナをハシャロン刑務所からオフェルに移送するため到着した。法廷への彼女の移送に先立ち、女兵士がハナに、他の女囚たちの前で、彼女が裸の捜索を実施されるだろうと通知したと、ハナは述べた。議論後、女兵士は、トイレでの裸の捜索実施に同意した。裸の捜索後、ハナは、ハシャロンに戻ったなら懲罰されると告げられた(他の女囚の前での裸の捜索を受け入れなかったから? - mizya)。ハナの腕と脚はそして、非常に厳しいやり方で、手枷足枷された。

アッダミールは、ハナが彼女の拘留を通して受けてきた酷い扱いを非難する。アッダミールは、ハナ・シャラビーと他の300人以上のパレスチナ人行政勾留者の即時解放を確実にするため、国際社会に直接、緊急の圧力をイスラエルに及ぼすよう要求する。

原文:Addameer
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東エルサレムで「不在地主」として強奪されるのはパレスチナの資産のみ

2012年03月06日火曜日
+972blog

今日まで、人種差別的1950年イスラエル法適用により、パレスチナ人は、東エルサレムの彼らの家屋敷から法的に追放されている。

Moriel Rothman

わたしの両親は、1986年、サンフランシスコからエルサレムに移った。彼らは、バクアに家を買い、姉とわたしはどちらもそこで生まれた。1989年夏、父、人類学教授は、アンマン大学で研究を行なうフルブライトを与えられた。母、姉とわたしは、エルサレムのわたしたちの家に留まった。

1990年冬のある日、わたしたちは、その所有者、わたしの父が、ヨルダンに住んでいたので、その家が「不在地主財産」と宣言されたと述べる書簡を受け取った。わたしたち家族は、即刻離れる必要があり、わたしたちはまた、いかなる種類の補償も与えられないだろう。ひとたびわたしたちが離れたなら、家は、富裕な民間組織、その目的が、アメリカのユダヤ人をエルサレムから除去する「ALO'T」(Americans Leave Our Town/アメリカ人はわが町を去る)に移されるだろう。過去20年に渡り、わたしたち家族は、感情的に消耗し尽くし、物理的に無力にする「ALO'T」との法廷闘争に巻き込まれてきた。先週、わたしたちは、わたしたちの申し立てが拒絶され、わたしたちが1ヵ月以内に家から追放されるだろうと通知された。

仮に読者が、彼あるいは彼女自身、わたしの状況が、馬鹿げており、あり得ず、確実なでっち上げと響くとの考えを見いだすなら、読者は正しい。

上に述べられた状況は、以下の理由で、馬鹿げており、ありえない:わたしの家族はユダヤ人である。上述のに似ている事例を見つけるために、ひとは、バクアの北東、2キロに僅かに満たない、東エルサレムの集落、シルワン(公式イスラエル地図で「ダヴィデの町」として知られる)のワディ・ヒルウェ地区に旅することで事足りる。東エルサレムは、1967年、イスラエルに併合され、また、イスラエルの法律すべてが、「不在者財産法」と呼ばれる法律を含め、そこに適用された。

1950年に立法化されたこの法律は、Ir Amimによれば、「パレスチナ難民の資産をイスラエル国所有に移す法的根拠」として使用された。この法律によれば、新たに宣言されたイスラエル国家の外に住むパレスチナ人が所有する資産すべては、「不在者財産管理人」、意味するところは国家、の所有に移すことができ - 移された。

(略:ことさら旧市街のムスリム地区とシルワンでの「不在者財産法」の使用と、その資産がユダヤ人入植者組織に移されたこと、この没収によりパレスチナ人追放が遂行されたこと)

シルワンの2家族、スマリン家とルウェイディ家は、現在、彼らの家を救出する、そのような法廷闘争に巻き込まれている。スマリン家の事案は、限りない国際的・民衆的圧力の後、一時的に凍結され、ルウェイディ家の事例の最終弁論が、来月開催の予定だ。ここに、85歳のムハンマド・ジュマア・サーリム・アルルウェイディによって書かれたJNF(Jewish National Fund/ユダヤ民族基金)への公開書簡がある:

尋ねられるべき実際の質問、複雑な官僚制により、2005年に、Boaz Okun判事が「法律のない法律要件」と呼んだものにより、絶えずゆがめられる質問はこれ:そもそも、不在者財産法が、東エルサレムで適用されたのは、何故適法なのか?

答は単純だ:それは違う。法律は、パレスチナ人に対して、パレスチナ人のみに適用される。断じて「セキュリティの論理的根拠」でなく、ELAD (“to the City of David”/「ダヴィデの町へ」のヘブライ語頭文字)のような集団によりなされる考古学的主張の類いは、容易にはがれ落ちる外観だ。東エルサレムでの不在者財産法の慣行の理由は、ELADにより全く明らかにされた:シルワンと東エルサレムにさらにユダヤ人を入植することだ。

この法律は人種差別で、その適用は人種差別で、その合法性に対する議論も人種差別だ。わたしの父は、シリアあるいは北朝鮮に移ることもでき、わたしが家から追い出されることもない、というのもわたしはユダヤ人だから。スマリン家とルウェイディ家はしかしながら、どちらも、JNF-KKLとELADにより実行される、彼らのそれぞれの事例の結果を心配しながら待っている。

これらの事例での実際の「不在者」は公正だ。

全文:+972


 わたしの友人、ニューヨーク市、マンハッタンに住むパレスチナ人美術家、サーミア・ハラビーの祖母の家が、現在も、西エルサレム、バカアにある。上の記事の筆者、Moriel Rothmanの物語の中で、バカアに家を買ったところまでは真実とするなら、そのあたり、サーミアと一緒に、わたしたちは、バカアの彼女の祖母の家を訪ねたことがある。彼女の祖母は、難民生活の中で亡くなり、彼女の家はふたつに仕切られ、ユダヤ人2世帯が住んでいた。わたしたちは、サーミアが少女の頃(イスラエル建国以前)、毎週末、ヤーファから訪ねた、祖母の家をヴィデオに撮っていた。すると、その家の現在の住人が帰ってきて、扉の中に消えた。その住人は、わたしたちに「我が家をヴィデオで撮ってどうしようというの?」とさえ、訊かなかったから、サーミアとその家の関係を、強奪された家に住まっていることを知っているのだと、わたしは思った。因に、ヤーファのサーミアの家も残っており、現在ユダヤ人が住む。どちらも、いわゆる「不在者財産法」、言い換えるなら、パレスチナ資産強奪法の結果である。
posted by mizya at 11:29| Comment(0) | TrackBack(0) | article | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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