2012年04月20日

ハルハレが昏睡状態

2012年04月17日

アルハリール、(PIC) -- イスラエル拘留中、ハンガーストライキにあったターエル・ハルハレが、昏睡に陥ったと、彼の父親、アジズは、火曜日、Quds Pressに語った。

ハンガーストライキの50日間の後、この数時間で、息子の健康状態が非常に悪化したと、彼は語った。

アジズは、彼の息子が、口と鼻からの止まらない出血に加え、月曜日夜以来、失神を被っていると説明した。

ターエルは、生死の境にあると、父親は語り、遅くなりすぎる前に、彼の息子の命を救うため、人権集団や囚人業務に関係するそれらに、直ちに介入するよう求めた。

原文:The Palestinian Information Center


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ビリン活動家アブラフメがイスラエル刑務所から解放

2012年04月16日月曜日

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アブラフメは6ヵ月以上囚われてきた。

ラマッラ (Ma'an) -- イスラエル当局が、日曜日夜、活動家、アシュラフ・アブラフメを解放したと、ビリン民衆委員会は語った。

アブラフメは、2011年10月、イスラエル土地没収に対する毎週の抗議に参加して、イスラエル部隊により拘留された。

彼は、イスラエルの進行中の、近くの違法入植地と分離壁のための村の土地の併合に対する毎週の非-暴力デモンストレーションを主導する異彩である。

イスラエル軍事法廷は、彼に、非合法デモンストレーションを組織し石を投げたとして、有罪判決を下し、6ヵ月、オフェル刑務所に投獄した。彼は解放に際し、イスラエル当局に2,000シェケル(530ドル)支払ったと、民衆委員会はMa'anに語った。

彼は、イスラエル部隊により何度か逮捕されてきた。

アブラフメの兄弟と姉どちらも、デモンストレーションに参加して、イスラエル軍により殺された。

2011年1月に、ジャワヒル・アブラフメ、36歳は、強制的に集会を分散させようとイスラエル部隊により発砲された大量の催涙ガスを吸引して死んだ。

アブラフメの兄弟、バシムは、2009年4月、村のデモンストレーションで、イスラエル兵士により彼の胸に発砲された催涙ガスキャニスターにより殺された。

2008年のヴィデオに、目隠しされ手枷されて、イスラエル兵士により、足を撃たれたアシュラフが現れる。

ラマッラの西、ビリン村は、パレスチナ人が、併合から彼らの土地を護るべく闘ってきた、何年もの毎週の抗議の現場だった。


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原文:Ma'an News Agency

アーカイヴ:抗議者の死はイスラエル国防軍が最も危険な催涙ガスを使用している可能性を示す(2011年01月04日)

     :彼の名はバシム(2009年04月28日)
     :バシムとアシュラフ(2009年04月28日)


 アーカイヴ記事、「バシムとアシュラフ」に貼付けたYouTube映像は、「倫理規約」に反するとかで削除されたらしい、と、今発見した。上記、Ma'an記事に貼付けられたヴィデオとほぼ同じものだった。どれほどシオニストユダヤ人がYouTubeに削除を求めたとしても、フィルムが残っている限り、再び掲載できる。これを撮影した17歳(確か当時)の少女から、フィルムを奪い取ろうと、嫌がらせの限りをつくしたイスラエル軍は、何を恐れたのだろう。イスラエル軍が「世界一道徳的軍隊」でないとバレるのを? 大丈夫、世界の誰もそのようなことを信じるほど馬鹿ではないから。
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「フライ-イン」抗議 - イスラエル・メディアから2題

イスラエル政府関係者:シンベト・フライ-イン・ブラックリストの氏名の40%は活動家でなかった
2012年04月16日

公安は、イスラエルが、違法な何ごともするつもりの「親-パレスチナ活動家」とラベルした1,200人のうちの470人の証拠を持っていなかったと、情報筋は語る;フランス外交官とその妻が、イスラエルへのチケットをキャンセルされた中にいた。
Barak Ravid

親-パレスチナ活動家による、日曜日のいわゆる「フライ-イン」抗議に向けた、シンベトのブラックリストにその氏名が現われた、非-イスラエル市民の40パーセントは、ともかくも抗議に関わると示す具体的情報を、公安が持っていなかった事実にも拘らず、リストに加えられた。

(略)

親-パレスチナ活動家何百人もが、西岸のデモンストレーションに参加することを計画していた「パレスチナにようこそ」抗議は、抗議者たちの多くが国に留まることを強いられたにも拘らず、パレスチナの語りをさらに進めた成功と、主催者は日曜日に語った。

(略)

抗議に参加するためにイスラエルに入った、23歳のフランス人女性は、彼女のグループ50人の半分ほどが拘束されたと語った。

「フランスとイスラエルの治安部隊は、わたしたちを犯罪者であるかのように扱った」と、彼女は語った。「当局が、イスラエルの主張やプロパガンダに協力することは、とても挫折感を抱かせ驚かす」。

禁止乗客リストは、週末中、ある外務官僚が「張り切り過ぎ」と呼んだものに膨張した。

「網があまりに広く広げられ、無罪の人びとをしとめた」と、彼は語った。

その網は、この夏、エルサレムのフランス領事館で仕事を始める予定のフランス外交官とその妻といった、外交パスポート所有者も免れさせなかった。カップルは、エルサレムでアパートを捜す計画だったが、フライト前夜、航空会社、ルフトハンザから、彼らがイスラエル入国を禁止されたので、チケットがキャンセルされたと述べる電子メールを受け取った。

「住民登記所の人間が、パリから直接でなくミュンヘンからの接続便でくるから、航空路が怪しいとわたしに告げた」と、外務官僚は語った。「より安かったからミュンヘンからのチケットが買われたと、我々が説明して初めて、連中は彼らをリストから外した」。

ルフトハンザは、彼らに送ったリストに現われた乗客のチケットをキャンセルしないなら制裁するとイスラエルが脅した、殆どがヨーロッパの航空会社、20社ほどのひとつだった。チケットをキャンセルした他の航空会社には、エールフランス、アリタリア、イージージェット、トルコ航空が含まれる。

(略)

全文:Haaretz.com

活動家たちがイスラエルとエール・フランスを人種差別で非難

フライ-インのフランス主催者は、ある女性乗客が、イスラエル市民でもユダヤ人でもなかったばかりに、ニースからの出発を認められなかったと主張した
Raanan Ben-Zur
2012年04月16日

イスラエルは、日曜日、外国人活動家合計78人に、イスラエル国への(入国)許可を拒絶した。親-パレスチナ活動家、僅か数人が、どうにか空港検査を克服し、ベツレヘムに到着した。活動家たちは、フランス市民51人、英国人11人、イタリア人6人、カナダ人5人、スペイン市民2人、そして米国、ポルトガル、スイスからの市民を含む。

活動家たちの何人かは、既に、彼らの出身国に送り返され、50人以上が、不法在留外国人でGivon留置施設に連れて行かれた。拘留者の30人以上はフランス人で、残りは、カナダ、イタリア、英国、他の諸国からだ。

(略:ネタニアフ首相の感謝)

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ベングリオン空港のフランス人活動家 (Photo: Reuters)

(略:拘留者は内務大臣指揮下)

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フランス、ニースの親-パレスチナ活動家 (Photo:MCT)

(略:Givon施設の拘留者がみな行儀よいと刑務所行政)

一方、フライ-インのフランス主催者たちは、ウェブサイトで、イスラエルとエール・フランスの「人種差別」を非難した。彼らは、ある女性乗客が、ユダヤ人でもイスラエル人でもなかったばかりに、フランスからの出発を認められなかったと主張した。

「ユダヤ人かイスラエル市民だけが、フライトを認められ、どちらでもないと答えた若い乗客は留め置かれた」と、メッセージは述べた。メッセージは、これがニースからのフライトで引き起こされ、航空会社に対する法的措置が取られるだろうと言及した。

全文:Ynet news.com


 これらイスラエル・メディアの記事から判断するなら、フライ-インでイスラエル入国を許されたのは、イスラエルとの二重国籍者かユダヤ人だけということになる。イスラエルの観光案内にさえ西岸の聖地を(我が物顔に)加えているのだから、やはり、イスラエルにとって、この大騒ぎは、大いなるダメージということだろう。判っていても、いざパレスチナということになると「やめられない」。狂ったイスラエルの面目躍如、いいのじゃない? 尤も、この「大騒ぎ」を想定するから「パレスチナにようこそ」キャンペーンが成立するのであって、イスラエルが「はい、我々がパレスチナを占領しているのですから、パレスチナ訪問の方も我々の空港を利用してくださっていいのですよ」などと言い出したら、便利になるけれど、キャンペーンは成立しなくなる。いや、そのようなことにはなりそうもないけれど...
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2012年04月19日

イスラエルのフライ-インへの応答が西岸はパレスチナ人の刑務所と証明する

2012年04月16日月曜日|Noam Sheizaf

イスラエルのための提唱者らはしばしば、パレスチナ人が彼ら自身の生活を営むと主張する。しかし繰り返しまたしても、西岸が彼らの刑務所となってきたと現れる。

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イスラエル活動家、Michal Vexlerは、「パレスチナにようこそ」フライ-イン支持のデモンストレーションをしていてベングリオン空港で逮捕された、2012年4月15日 (photo: Activestills.org)

先週、わたしはここに、Michal Oren大使の「イスラエルの溌剌たる民主主義」と表題のある外交政策記事の批判を掲載した。Oren大使の主張のひとつは、西岸のパレスチナ人が投票権を奪われている事実が、民主国家としてのイスラエルの性格を疑問とするのに十分でないというものだった。

民主制度内の部分的民主主義飛び地の存在は、それを必ずしも疑わない。米国領域 - グアム、プエルトリコ、バージン群島 - のものが、大統領選に投票できない一方、ワシントンD.C.の住民は、代表権なく課税される。例外は、すべての民主主義に存在し、イスラエルのも、西岸の状況により無効とはされない。

しかし投票は、話の部分に過ぎない;投票は、それ自体での終結でなく手段である。パレスチナ人は、米国領域内のアメリカ市民と多くの仕方で異なる:例えば、彼らは、イスラエル民事裁判所で被告が享受する法的権利なく、軍事法廷で軍服の判事の前で裁かれる。彼らは、資源へのアクセス、暴力やハラスメントに対する物理的保護、そしてはるかに多くを奪われる。

旅行の自由 - あるいは欠如 - は、もうひとつの重要な問題だ。90年代半ば以来、パレスチナ人は、グリーンラインを越えて、「厳密な意味でのイスラエル」に旅することができない。軍当局からの特別許可を得ることなく、彼らは外国に旅することができない。時々彼らは、西岸内の町村間を旅することさえ妨げられる。

人びとはまた、西岸へ旅することを妨げられる:イスラエル人は、エリアAに入ることを軍令により禁じられ、そして観光客、事業旅行者、外交官は、西岸に入るのに、イスラエル国際空港か、地上検問所 - すべてイスラエルにより支配される - を通るかしなければならない。目的地がパレスチナの町か村と述べることは、イスラエル当局による観光ヴィザの拒絶に繋がりかねず、したがって、多くの訪問者は単に嘘をつく。これが、今日、活動家の殆どが西岸に入る方法だ。皮肉なことは、ある人びとにとり「解放の」ラマッラに到達するよりも、ガザ - まだ公式に封鎖下にある - に入ることの方がより簡単なことだ、というのも、ガザは、イスラエルが支配しない国境がひとつあるので。

西岸は、パレスチナ人の刑務所となり、PA(パレスチナ自治政府)は、その看守以上でない。Oren大使や他のイスラエル政策提唱者が描く現実から、はるかに遠い。しかし奇妙なことに、状況の実情に関する思い違いは、イスラエル内にさえ広がっている。国際活動家たちが、彼らの目的地について嘘を言わずに西岸に旅する努力 - いわゆる「flytilla」 - について、昨日、地元メディアが報じたとき、「それら工作員たち」はなぜ「パレスチナ-支配」のアレンビー検問所を通ってヨルダンから旅しないのかといぶかるイスラエル・ニュース・サイトに掲載されたコメントいくつかに、わたしは遭遇した。わたしは、昨年も同じ発言を聞いた;このサイトに、パレスチナへの観光客はイスラエルを通り抜けようとすべきでないとコメントすることにより、インタナショナルズを入らせることに対するイスラエルの拒絶を正当化するコメントさえあった。

しかし、独立パレスチナ(国家)はない。「パレスチナ自治政府」は、いかなる重大な問題に於いても権威を持たない。境界に関する支配は、統治権の重要な尺度に考えられる。パレスチナ人は、主権を有しておらず、イスラエルのいかなる市民権も持っていない。彼らは、ここでもなくそこでもなく(問題外で)、彼らを敵として眺め、いかなる未来も希望をも提供しない制度の囚人である。

flytillaメンバーの西岸入域の許可の拒絶により、イスラエルは、彼らの根源的主張:占領がなすほぼ半世紀の間、被占領地のパレスチナ住民にイスラエルが行使する支配のレベルは、世界の注意に値する異常な現象、が正しいと実際に証明した。

原文:+972


 わたしにとって「嘘」をいうのはあまり簡単でない。嘘つきのイスラエルが支配する検問所を通過するにしてもだ。わたしがベングリオンを使わないのは、入国を拒否された場合、KLMを使うにしろ、エールフランスにしろ、オランダなりフランスなりに送り返されてしまうからだ。往復ともそれぞれ一日多くかかるけれど、アンマン経由なら、入国を拒否されてもヨルダンに留まることができる。もうひとつ、アレンビーの検問所は、もちろん、イスラエルが支配していることに変わりはないけれど、そこは西岸、イスラエルではない。アレンビーを経由するということは、既に西岸に入ることを前提としている。「嘘」をいう必要がない。
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Haaretzより:ヨルダン渓谷サイクリング攻撃事件 - 2題

ヴィデオ / 古参IDF士官が親-パレスチナ活動家たちをライフル銃で殴る
2012年04月15日

国際連帯運動は、IDF(イスラエル国防軍)兵士らが、ヨルダン渓谷のサイクリングに参加した左派活動家たちを殴るヴィデオをYoiTubeに掲載;IDFは、ヴィデオ中の士官を停職;IDFチーフが、問題を「重大事件」と見ると語る。
Gili Cohen

IDF上級士官は、土曜日、M-16ライフル銃で、左派活動家の顔を打つのを撮影された。

日曜日、国際連帯運動により、YouTubeに掲載されたヴィデオで、Shalom Eisner中佐が、ヨルダン渓谷の親-パレスチナ・サイクリングに参加した青年たちを殴っているのが見られる。

(略:前の記事参照)

Eisnerは、事件の彼のヴァージョンを述べたて、彼が殴った若者が事前に彼を打ち、彼の指2本を骨折させさえしたと語った。彼は、事件が2時間続き、活動家たちが、ヨルダン渓谷の道路を封鎖しようとしたと語った。

(略)

パレスチナ・メディアは、サイクリングで起こった出来事を土曜日に報じた。ヴィデオが日曜日に掲載され、起こったことの証明が示された後、GOC中央司令部のNitzan Alonは、IDFに、問題を調査するよう命じた。

事件に続き、IDFは、問題が徹底的に調査されるまで、Eisnerの無期限定職を決定した。

(略)

「全国団結」クネセト(国会)議員、ベン・アリは、事件に対する反応を発表し、左翼活動家を殴ったIDF士官を祝福した。

(略:ベン・アリの祝福の言葉、気分が悪くなるので)

IDF首席補佐官、Benny Gantzは、事件を非常に由々しいと見なすと語った。

「事件は、IDF原則を反映しておらず、徹底的に調査されるだろう」と、Gantzは語った。

全文:Haaretz.com


 いや、事件は、充分IDF原則を反映している。いつもIDFはこんなもの。ともかくイスラエルは嘘つきだから。

デンマークがイスラエルにIDF士官による活動家殴打に関する解明を求める
2012年04月16日

デンマーク人活動家、Andreas Iasは、IDF上級士官により、M-16ライフル銃で顔を殴られる前の暴力の報道を否定した。
Barak Ravid and Chaim Levinson

デンマーク大使は、月曜日、イスラエルに、土曜日のエリコ近くでのデンマーク人平和活動家に対する、IDF上級士官の攻撃について説明するよう求めた。一方Haaretzは、平和抗議者たちに関する同様の事件後に発行された命令を、士官が明らかに無視していることを知った。

(略:ヴィデオの説明)

2010年8月、エリコに行進しようと望んだユダヤ人入植者らにより引き起こされた騒動に続き、そのような事件を扱うために予備部隊を使用しないとの指示が出された。よってEisnerは、騒動対処により熟練する、大警察増援隊が現場に到着するまで待つ必要があった。

(略:過去の事例)

しかし土曜日、Eisnerは、先に発行された指示に反して行為し、国境警察の支援のないまま、そのための訓練を受けていない部隊を使って抗議者たちを分散しようとした。

(略)

全文:Haaretz.com
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2012年04月18日

パレスチナ人とインタナショナルズがヨルダン渓谷サイクリング中攻撃される

2012年04月15日

Joseph and Emiliano
2012年4月15日|国際連帯運動、西岸


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パレスチナと国際サイクリストたちは、土曜日、ヨルダン渓谷を通って走る主要南北ハイウェイ、ルート90を北上するサイクリングを試みたとき、イスラエル占領軍に粗暴に攻撃された。サイクリストたちは、渓谷先住のベドゥイン・コミュニティに対する続く民族浄化キャンペーンの一部として、道路へのパレスチナ人アクセスを制限する、ヨルダン渓谷でのイスラエルのアパルトヘイト政策に反対するデモンストレーションをしていた。


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パレスチナ女性ひとりとデンマークとオランダの国際活動家ふたりが、M-16ライフルで頭部を殴られ、負傷して病院に運ばれ、また、国際活動家ひとりが手枷され、刑事告発なしに解放されるまで1時間以上、拘束された。

パレスチナと世界中の活動家、100人以上が、シャーレク青年フォーラムにより組織された自転車抗議に参加した。参加者たちは、ルート90の入口でイスラエル占領兵士・ジープにより阻止される前、およそ5キロメートル乗った。兵士らは、サイクリストたちに、「彼ら自身の安全のため」継続を認めないだろうと通知した。活動家たちが、彼らの道の継続を平穏に試みたとき、占領軍の地方指揮者は、活動家たち複数の頭部にライフル銃を振り回し、活動家3人の入院とスウェーデン人の拘束に帰着した。

ヨルダン渓谷の主要南北道、ルート90のパレスチナ人ドライバーは、イスラエルの入植者・兵士らからの日常的ハラスメントと攻撃に直面する。パレスチナ人ドライバーとサイクリストは、頻繁に車を片側に寄せさせられ、理由なく捜索され、また、いくつかの場所でパレスチナ人は、イスラエル人が自由アクセスする場所で、道を横切って回転することさえ妨げられる。

ヨルダン渓谷は、そこに住むパレスチナ人に向けた民族浄化のイスラエルのキャンペーンに直面する。家屋破壊が頻繁に生じ、イスラエル人は現在、渓谷の土地と水の大部分を盗んでいる。この盗まれた土地で生産された青果物の大半が、ヨーロッパや北アメリカに輸出される。自転車デモンストレーションは、村々への訪問、青年ダブケ(ダンス)上演、スピーチを含む、デモンストレーションと祭典の日の一部だった。イヴェントは、世界と占領勢力に、ヨルダン渓谷とパレスチナの民衆が、彼らの土地の不法占領への割譲を拒絶し、彼らの土地で、抵抗し留まり続けるとのメッセージを送ることを目指した。

原文:International Solidarity Movement
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2012年04月17日

拘留者1600人が4月17日にハンガーストライキ宣言

2012年04月14日土曜日
Saed Bannoura - IMEMC & Agencies

イスラエルにより捕らえられるパレスチナ政治囚1600人が、4月17日、彼らの違法拘留に抗議し、基本的権利を要求して無期限ハンガーストライキを開始するだろうと宣言した。

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西岸のパレスチナ囚人省大臣、イッサ・カラケは、イスラエル刑務所の拘留者の状況が、非常に困難で、ことさら彼らに対する続くイスラエルの暴力と攻撃のさなか、危険であると述べた。

カラケは、拘留者たちが、その尊厳を護り、その生活条件を改善する闘いをしていると付け加えた。

彼はさらに、大規模連帯運動を呼びかけ、また被占領地のすべてで、連帯と大規模非暴力抗議の日として、4月17日、「パレスチナ囚の日」を宣言するよう求めた。

Ma'an通信社は、Yitzhak Gabai率いるイスラエル刑務所当局により組織された委員会が、多くの拘留施設を訪れ、拘留者たちの要求を聞き、来る週、これら要求への返答を「約束した」と報じた。

拘留者たちにより提出された要求のいくつかは;

1. 行政拘留の終結。
2. 独房監禁の終結。
3. 教育の権利回復。
4. 拘留者たちの部屋や部門を標的とする侵入すべての停止。
5.ことさらガザ回廊拘留者たちへの家族訪問許可。
6. 病気の拘留者たちへの医療改善。
7.拘留者たち家族への屈辱とボディーチェックの停止。
8. 書籍と新聞の搬入許可。
9. 拘留者たちに対するすべての種類の罰の停止。

イスラエル刑務所のパレスチナ人拘留者たちは、イスラエルが署名する国際法と第4ジュネーヴ条約に違反する過酷で違法な扱いに従属させられる。

パレスチナは、1974年4月17日、イスラエルが初めての囚人交換取り引きで、マフムード・バクル・ヒジャズィを解放した日、4月17日を「パレスチナ囚の日」として記し始めた。

パレスチナの残り(西岸、ガザ回廊、東エルサレム、そしてゴラン高原)のイスラエル占領に続く1967年以来、パレスチナ人拘留者、202人が、イスラエル軍により拉致されて死んだ。

拘留者の何百人もが、イスラエル刑務所での極端な拷問と虐待に起因する、深刻な病気と病状を被って、解放された後に死んだ。

拘留者70人が、極端な拷問により刑務所で死に、74人が、逮捕後、兵士らにより処刑され、51人が、医学的治療の欠乏で死に、拘留者7人が、兵士らによる過度の暴力と、刑務所にいる間撃たれた後で死んだ、と、元政治囚で、囚人省統計局長、アブドゥル-ナセル・ファラウナは報告した。

原文:International Middle East Media Center


 今日、4月17日、「パレスチナ囚の日」に連帯して、イスラエル大使館前に行こうかとも考えたけれど、麹町の住宅地域が始まろうというところに立っていても誰も通るわけでないから、クーフィーエ(白地に黒のパレスチナ・スカーフ)を纏って銀座に出た。展覧会をいくつか観てまわる目的もあった。展覧会場で友人・知人に会い、みなクーフィーエに気づいてくれるから、今日は「パレスチナ囚の日」と説明する。イスラエル大使館前に立っているよりは有効だった、と、思う。
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