2012年04月03日

ポスターにみる「土地の日」:1980年代の回顧

Allison Deger
2012年03月30日

パレスチナの「土地の日」のポスターは、それらが表わす運動のモニュメントとして機能する。これら脈打つグラフィックは、自然と政治のイメージをともに、回復力への証言であるタペストリーに織り上げる。1983年「土地の日」ポスターの有刺鉄線を突き破る血まみれのクーフィーヤ・プリントの花のように、これら描写は、障壁を越えた生命を約束する。

下は、1980年-1989年のパレスチナ「土地の日」ポスターである。

1980年:(Image: Palestinian Liberation Front):原文参照

1981年:(Image: FATAH-Palestinian National Liberation Movement):原文参照

1982年:(Photo: Abd Almouty Abozaid/ Al Saiqa):原文参照

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1983年: (Image: Marc Rudin/PFLP-Popular Front for the Liberation of Palestine)

1984年: (Image: Muwaffaq Mattar/PLO Unified Information):原文参照

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1985年: (Image: Abed Abed El Hameed/PLO Unified Information)

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1986年: (Image: Sliman Mansour/Al Fajr)

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1987年: (Image: Naji al Ali)

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1988年: (Image: Ghazi Inaim/PPSF-Palestinian Popular Struggle Front)

1989年: (Image: DFLP-Democratic Front for the Liberation of Palestine):原文参照

原文とポスター画像10点:Mondoweiss


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パレスチナ「土地の日」地球行進 - ヨルダンとロンドン

ヨルダン人何万人もがエルサレム行進に参加
2012年03月30日

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カフライーン、(PIC) -- ヨルダン人、外国・アラブ連帯活動家何万人もが、ヨルダン・パレスチナ国境近くのヨルダン渓谷北部のカフライーンでのエルサレムへの地球行進に参加した。

(略)

ヨルダン人何千人もが、エルサレムに向け結集し、パレスチナ「土地の日」を記すパレスチナを遠くから臨むことができる地域でのデモンストレーションの場所に旅した。アンマンのPIC特派員は、ヨルダンのあらゆる地方からのバス何百台もが、参加者たちをカフライーンに運んだと語った。

地球行進調整者、ヤヒヤ・ハルーム博士は、80ヵ国の代表団が行進に参加したと語った。

(略)

インド代表団の長、San Aghnashは、パレスチナ問題へのインド民衆の支持を表明するため、代表団はガンジーの土地から来たと語り、ガンジーの時代に歴史を遡ると彼が語った支援を表明した:フランスはフランス人のため、英国は英国人のため、そして、パレスチナはパレスチナ人のため。

モロッコ代表、インドネシア代表、マレーシア代表といった他の代表団の長たちが、支援のメッセージを述べた。

全文:The Palestinian Information Center

何百人がロンドンの「エルサレムへの地球行進」に参加
2012年03月30日

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ロンドン、(PIC) -- 世界中のおよそ80都市で開催された「エルサレムへの地球行進」活動の一部として、ロンドンのイスラエル大使館前でのデモンストレーションに、人びと何百人もが参加した。

集会は、英国パレスチナ・フォーラム、英国パレスチナ社会協会、英国ムスリム協会、パレスチナ連帯キャンペーン、戦争連合停止、ヨーロッパ・イスラミック・フォーラム、英国ムスリム・イニシアティヴ、ヴィヴァ・パレスチナ、アルアクサーの友人たちにより組織された。他の多くの組織が、デモンストレーションを支持した。

集会の発言者たちは、聖都の先住民とその性格の抹消を試みる民族浄化のことばで、エルサレムを飲み込む危険を強調した。彼らはまた、パレスチナ問題の中心として、エルサレムを語った。

(略)

全文:The Palestinian Information Center
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