2012年04月07日

ヴィデオ:リフタの家族の闘争

2012年04月04日水曜日
HAMAABARA

エルサレム、リフタ地区の13家族は、立退命令を受け取った。過去60年間そこで生きてきた後に、イスラエル国家は今、彼ら自身の家への「侵入者」と彼らに宣告した。

Lifta.jpg
リフタ (Photo: Elena Viola, AIC)

この地区の物語は、(1967年まで地区と並んで境界があったとき)何年もそして最終的に地域の犯罪的無視、彼らを不法居住者と主張して、彼らの家から追放する企てで、地区住民の基本的権利の悪意ある踏みにじり、非人間的状態で、ここに(中東あるいはムスリム国家起源の)ミズラヒ・ユダヤ人の入植を人間の盾として、1948年にリフタの元来のパレスチナ住民追い立てで始まった、イスラエルの邪悪な意図的差別政策のもうひとつの章だ。

これは、集落の残りを破壊し、独占的分譲アパートと高価な商業センターを建設する計画に対する、より広いリフタ闘争の意義深い重要な部分だ。

HaMaabaraでより詳細を:一時収容ウェブサイトはここ(アラビア語/ヘブライ語/英語)

(Film by Amit Hai Cohen)


原文:AIC

アーカイヴ:AICVideo:新リフタ(03月18日)


 1948年、イスラエル建国で、リフタ住民は家屋を一時的に離れるよう強制されたが、二度と戻ることはできなかった。上の写真が、そのリフタ村の美しい建築群だ。戻ることを許されず住んだところが、アーカイヴ記事のヴィデオにある新リフタである。上の記事は、リフタ村を失った1948年以来、60年間住んできた、いわば、難民キャンプ、新リフタから、またも追い立てられようとしている、新たな追放物語、追放の第2章、ということらしい。


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金曜日のカランディアでのバルグーティ攻撃について今少し

Philip Weiss
2012年04月01日

金曜日、わたしたちは、多くの注目を集めた事件、カランディア検問所での「土地の日」抗議で、パレスチナ指導者、ムスタファ・バルグーティが負った負傷について報告した。バルグーティは、ラマッラ病院のベッドから、わたしに、イスラエル催涙ガスキャニスターが彼の頭に叩きつけられたと語った。他のもの(イスラエル:訳注)は、彼の集団、パレスチナ同胞イニシアティヴの支持者たちが、他のパレスチナ集団と衝突したとき、彼が攻撃されたと主張した。

バルグーティにより設立されたPalestine Monitorは昨日、アフメド・ナセルによる記事を発表した:

抗議行動開始前、政党指導者は、検問所に向け動くことに同意した。彼らが、検問所に向け歩いていくとき、正体不明の個人らが、平和的非-暴力抗議に入り込もうと試みた。これら個人らは、統一されたデモンストレーションを妨げようと試みた。この瞬間、抗議者たちの中に、政治指導者間のものでなく、ことばからなる不一致のみがあったと明確にされるべきで、そしてバルグーティ博士が、集団の部分をなしていなかったと明確にすることは重大だ。

同時に、抗議が保留のとき、イスラエル治安部隊は、多くの催涙ガスキャニスターとスカンク水を発射した。バルグーティ博士が、催涙ガスキャニスターに頭を撃たれたのは、この瞬間だった。バルグーティ博士は、現場に急いだ救急車の一台に護送された。バルグーティ博士が、病院に向かう救急車の中で準備が整ったとき、この救急車と他の負傷した抗議者を運ぶ救急車2台は、抗議行動に入り込もうと試みていた同じ連中により攻撃された。この暴力が、バルグーティ博士自身を標的とした何らかの方法だった証拠はない。

わたしは今日、バルグーティに電話し、彼がナセルの声明に付け加えることは何もないと、電話をとった友人に聞いた。平和的デモンストレーションに対決した個人らは誰だったのか? 「わたしたちは知らない」。(わたしは、彼がパレスチナ人により攻撃されたとするイスラエル政府の主張について、先日、わたしがバルグーティに尋ねたとき、彼が語ったことを付け加えたい。「今まで聞いた中で最もばかばかしい。何故、パレスチナ人誰あれ、わたしを攻撃するのか? わたしは、パレスチナ人指導者だ」。)

原文:Mondoweiss
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ヨーロッパが開発し、イスラエルが破壊する

Charlotte Silver

ラマッラ、2012年04月03日 (IPS) - 欧州委員会は、2001年5月から2011年10月までに、イスラエル国防軍によって破壊、あるいは破損された、それが資金提供したプロジェクトのリスト記録を発表した。

リストは、その3000万ユーロが欧州援助で直接賄われた、4920万ユーロの金銭的損失となる、そのような事例、82件を記録する。

英国の欧州議会議員、クリス・デイヴィスは、欧州委員会への彼の調査に続き、リストを発表した。デイヴィスは、続いて調査結果を彼のウェブページに公表し、リストが「わたしが今まで欧州委員会から受け取った最も詳細な応答」であると述べた。

最近公表された記録はさらに、そのヨーロッパ同盟国の被占領パレスチナ領域での活動をイスラエルが扱う軽視のもうひとつの指標である。昨年、イスラエルが課した旅行制限が、国際援助組織に、年間450万ドル費やさせたと見積もられた。

(略)

プロジェクトは等級に及ぶ。2001年冬、寄付諸国(スペイン、スウェーデン、ドイツ)に950万ユーロ費やさせたガザの国際空港は、荒廃させられた。

より小規模ながら重要な破壊もまた受けた。例えば、第二次インティファーダで、イスラエルの攻撃は、欧州委員会により資金提供の赤三日月社の救急車全車両を破壊した。

2008年-2009年冬のイスラエルによるガザへの攻撃は、廃棄物管理と水処理施設いくつかを含む、ヨーロッパ資金提供のプロジェクト、ほぼ200万ユーロ相当を破壊した。

ヨーロッパ資金提供プロジェクトとは別に、西岸のエリアCで、家屋、学校、水収集装置の破壊が、日常的に起こる。西岸の62パーセントは、 - 完全なイスラエル軍・民支配下に入ることを意味する - エリアCとして分類される。エリアCは、パレスチナ人150,000人とイスラエル人入植者300,000人の家である。

(略:エリアCに於ける破壊の実体)

2011年のみで、パレスチナの構造物と家屋746棟と雨水収集装置46基が、イスラエル軍により破壊された。エリアCを通し、さらに何百棟もの家屋が、破壊を待っている。

パレスチナ人と連帯活動家たちは、エリアCに住むパレスチナ人たちが、彼らの土地に留まるために支援することが重要と合意する。そのような組織のひとつ、ヨルダン渓谷連帯プロジェクトは、パレスチナ人が土地に留まるのを支援するため - 絶えず続く破壊のリスクにも拘らず、家屋、学校、他の必要とされる構造物建設を支援する - 指導する基本方針として「存在は抵抗」を格言に掲げてきた。

欧州委員会のリストは、EU加盟国が、間違いなく最も困窮する住民であるにも拘らず、エリアCでのプロジェクトに資金提供していないことを示唆する。

これは、昨年、ビルゼイト大学により行なわれた、援助の寄付者と受益者両方へのインタヴュを含む、開発援助の有効性に関する調査で確認された。

調査は、殆どの国際援助団体の政策が、官僚的煩雑な手続きを積み込まれることに加え、占領への政治的対立を構成するので、許可なく構築されないと見いだした。

この例外がある。ヘブロン・ヒルのエリアCの集落でのソーラーパネルに資金提供するスペイン・ドイツ政府の事例ふたつがある。しかしながら、多くを唖然とさせたニュースで、どちらのプロジェクトも、今年、破壊命令を受けた。

パレスチナ領域に与えられてきた援助手法を批判的に話し、スウェーデン国際開発協力庁 (SIDA) 代表、Peter Lundberghは、「開発は、パレスチナ人が彼らの土地に留まることを支援すべき;あまりにも多くがエリアCを立ち去ってきた」と語った。

全文:IPS


 スウェーデン国際開発協力庁 (SIDA) 代表のことば、「開発は、パレスチナ人が彼らの土地に留まることを支援すべき;あまりにも多くがエリアCを立ち去ってきた」を、ニッポン外務省は噛み締めるべき。

参考記事:「平和と繁栄の回廊」が占領政策、とりわけ違法入植地存続を促進する危険等について(パレスチナの平和を考える会)
posted by mizya at 12:52| Comment(0) | TrackBack(0) | article | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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