2012年05月18日

エレカット:世界はパレスチナ人に歴史的負債を支払わなければならない

2012年05月15日火曜日

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パレスチナ美術家たちがガザ市でナクバを記す壁画を描く、2012年5月15日。(Reuters/Suhaib Salem)

ベツレヘム (Ma'an) -- PLO閣僚、サエブ・エレカットは、火曜日、国際社会に、1948年にその家から追放されたパレスチナ人に「その歴史的負債を支払う」よう求めた。

「アンナクバは、国際社会が、パレスチナ民衆に降り掛かった歴史的不正を正すために使用しなければならない陰鬱な機会である」と、エレカットは声明で述べた。

西岸、ガザ、イスラエル、ディアスポラのパレスチナ人たちは、火曜日、パレスチナ人何十万人もがイスラエル国家設立のための闘いのさなか、その家から追い出された、ナクバ、あるいは大災厄を、記念した。

「64年前、民族の繁栄する社会と豊かな文化は、追放と大規模排除を強いられた。国は、地図から拭い去られた」と、エレカットは述べた。

「今日、国際社会は、国際法と関連する国連決議に従って、イスラエルの刑罰免除の終結を提起し、パレスチナ民衆の自決、独立、帰還の正当な念願を実現することにより、なされてきたことを修復する道徳的責任を有する」と、彼は付け加えた。

彼はまた、イスラエルに、ナクバとパレスチナの権利を認識するよう促した。

「イスラエルが、真実、和平と二国家解決に関心を持っているなら、わたしたち民衆の権利と苦痛を認識すべきである」。

原文:Ma'an News Agency


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イブラヒーム・ハミード:独房監禁囚人番号3

2012年05月14日月曜日

イブラヒーム・ハミードは、ラマッラの北東、西岸の村、シルワドに生まれ育った。

彼は、ビルゼイト大学の政治学で学士号を得て、難民調査センターで調査官として仕事した。彼は、人口が減らされたパレスチナの村々に関する論文いくつかを書き発表してきた。

2006年5月の逮捕以来、イブラヒーム・ハミードは、独房幽閉で、Asqalan刑務所に捕らえられ、家族の訪問を否定されてきた。彼の妻と子どもふたりは、後に、ヨルダンに追放された。国際赤十字を通したいくつかの要請にも拘らず、彼女は彼を訪ねることができなかった。夫に関する彼女が得た唯一の情報は、弁護士を通して伝えられた。

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2006年5月の逮捕以来、イブラヒーム・ハミードは、独房幽閉で、Asqalan刑務所に捕らえられ、家族の訪問を否定されてきた。

現在まで、イブラヒーム・ハミードは、裁判所で、告発されることも、審理されることも、有罪を宣告されることもなかった。彼は単に、占領に対する抵抗活動を支援したと、イスラエルが彼を非難するというだけの理由で捕らえられている。彼らは最近、イスラエルの安全にとって危険と述べ、交換取引での彼の解放を拒絶した。

原文:Middle East Monitor

アーカイヴ:アブドッラ・アルバルグーティ:独房監禁囚人番号2(05月17日)
     :アフマド・サアダト:独房監禁囚人番号1(05月04日)
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イスラエル人歴史家、シュロモ・サンドが死の脅迫を受ける

2012年05月15日火曜日

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イスラエルは、その差別的な法律と政策の反対者を殺す公式・非公式経過記録を有する。

イスラエル新聞、Haaretzの報道は、テルアヴィヴ大学の著名な歴史家、シュロモ・サンド教授が、郵便で多くの死の脅迫を受けたと主張する。反-シオニズムの態度と『ユダヤ人民の発明』の著者で知られるサンド教授は、脅迫状(複数)と化学物質を含む袋を送られた。書状は、彼が「反-セム(ユダヤ)」で「イスラエルの敵」だから、彼の余命が残り少ないと彼に警告した。

サンド教授は、Haaretzに、書状がまた、彼がナチと主張したと告げた。彼は、脅迫を深刻に受けとめ、命のため非常に怯えていると語った。脅迫は、彼の最新刊:『イスラエルの土地という発明:聖地から母国へ』発行の背景に対して現れる。

著作で、サンドは、民族的帰属に基づく選ばれた少数ばかりでない、その市民すべてのための国家の概念普及を模索した。ユダヤ教という宗教があると認める一方、彼はユダヤ民族の観念を拒絶する。彼は、すべての国家が、触れられないある程度のタブーを持っていると語る。イスラエルの場合、彼は最も顕著なみっつをあげる:パレスチナはユダヤの土地である;イスラエル国家の歴史的連続性;そしてホロコースト。

「中東唯一の民主国家」であるとの主張にも拘らず、イスラエルは、その差別的な法律と政策の反対者を殺す公式・非公式経過記録を有する。イツハク・ラビン元首相が恐らく、批判で抑えることができないイスラエル極右主義の最も顕著な犠牲者である一方、いわゆる「標的とする暗殺」は、パレスチナ人に対して頻繁に使用されてきた。

原文:Middle East Monitor

アーカイヴ:書評:シュロモ・サンドの『ユダヤ人民の発明』(2009年10月24日)
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ノーム・チョムスキー:パレスチナ・ハンガーストライキは「基本的人権違反」に対する抗議

2012年05月14日月曜日



わたしたちは、世界的に著名な政治反体制派、言語学者で作家、ノーム・チョムスキーとの1時間に及ぶインタヴュを始め、パレスチナのハンガーストライキを議論する。伝えられるところによれば、一時的取引が、推測2,000人とみられる投獄のパレスチナ人が、独房幽閉の使用を停止し、広範囲の制限を緩和するよう、イスラエル刑務所当局への圧力で食物拒絶に進んだ、画期的行為は終了に達した。「ハンガーストライキは ... 基本的人権違反に対する抗議である」とチョムスキーは語る。彼は、マサチューセッツ工科大学の名誉教授で書籍何十冊もの、極最近では「占拠せよ」の著者である。[暫定トランスクリプト含む]

(トランスクリプト翻訳省略:原文で)

原文:Democracy NOW!
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拘留者の娘は彼に会いたい

彼女はハラフレがイスラエルに投獄された後生まれた

Nasouh Nazzal、特派員
2012年05月14日

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画像提供:ハラフレ家の好意により
ターエル・ハラフレの妻、セリーン・ハラフレと、父親に会ったことのない彼らの2歳の娘、ラマル。


ラマッラ:77日間ハンガーストライキしてきたパレスチナ囚、ターエル・ハラフレの家族は、昨日、イスラエルに、人道的に行動し、少なくても彼が死ぬ前に一度、収容者が娘、ラマルに面会するのを許すよう求めた。ハラフレは、彼が行政勾留で捕われている間に生まれた娘に会ったことがない。

イスラエルは、病院の彼を訪ねるハラフレ家の権利を繰り返し拒否してきた。今、家族は、人道的立場で、2歳のラマルが父親に会うのを許すよう要請している。

Gulf Newsと話して、囚人の父、アジズ・ハラフレは、赤十字の医師たちが、家族に、彼の息子が命のため闘っていると告げたと語った。「息子、ターエルの病状はとても深刻だ。彼は心不全を被り、脈拍が下がり、口と鼻で出血している」と、彼は語った。

「ターエルの死という予測される悲劇が起こる前に、わたしたちは、幼い少女、ラマルが父親に会い、彼を知ることを許すよう、イスラエルに求める」と、彼は語った。

家族は誰も付き添わない

「家族の誰も、彼女に同伴しないだろう。彼女は父親に会うため、赤十字職員に連れて行かれるだろう」と彼は語った。「イスラエルが慈悲を抱き、人道的立場で行動するときだ」と彼は語った。

ハラフレ家は、赤十字を通して、ラマルの写真数枚を送ったが、イスラエル刑務所業務がそれらを押収した。彼らは現在、写真を見るのと引き換えに、彼の断食を終了するようハラフレに求めている。

「ターエルは、刑務所の状況を改善する他の囚人たちの要求を何も持っていない。彼は、8回の行政拘留命令の後、帰宅することを望む」と彼の父親は語った。「ターエルは、イスラエルが彼の行政拘留に終止符を打つまで、彼の断食を続けるだろう」。

原文:gulfnews.com
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2012年05月17日

パレスチナ人がイスラエルが彼らの国を盗んだ日を記す

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東エルサレム、イッサウィア地区の抗議で、イスラエル軍が少年を暴力的に拘束するので、パレスチナ女性が叫ぶ、2012年5月15日。(Photo: Reuters - Ammar Awad)

2012年05月15日火曜日

パレスチナ人は火曜日、主としてヨーロッパ植民者らが国を地図から消し去り、土地や村々から粛清し、粗暴にイスラエル国家を据え付けて以来の64年を記している。

「大災厄」を意味する - ナクバの日は、彼ら自身の国家を宣言するため、その土地から武力により駆り立てられた、あるいは、英国の支援を受けたユダヤ人植民者らが、領域に暴力的に進んでくるのから逃れた、先住パレスチナ人、750,000から800,000人を記念する。

後に、パレスチナ人160,000人ほどが留まり、今その数はおよそ130万人、あるいは人口の20パーセントほどである。これには、被占領西岸、あるいは封鎖のガザ回廊のパレスチナ人口は含まれない。

(略)

全文:alakhbar

関連記事:「医療関係者:ラマッラ近くのナクバ抗議で80人負傷」Ma'an News Agency

2012年05月15日火曜日

ラマッラ (Ma'an) -- 火曜日、抗議者たちが、1948年の追放、ナクバ、あるいは大災厄を記念し、ラマッラ近くでのイスラエル軍との衝突で、パレスチナ人80人以上が負傷したと、医療関係者は語った。

ラマッラの時計広場の大規模集会後、イスラエル国設立で、何十万人ものパレスチナ人の追放を記念するため、抗議者たちは、イスラエルのオフェル拘置所と、ラマッラとエルサレムの間、カランディア検問所に向かった。

医療関係者は、イスラエル軍が、抗議者たちに催涙ガスとゴム(皮膜)弾を発砲して、パレスチナ人、63人がオフェル刑務所の外で負傷し、21人がカランディアで傷ついたと語った。

(略:嘘しか言わないのになぜイスラエル軍報道官の言い訳まで翻訳する必要があるのか、といった気分 - mizya)
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アブドッラ・アルバルグーティ:独房監禁囚人番号2

2012年05月08日火曜日

「子どもと会うことは食物より美味、他の人間とあることは飲むより刺激的」

アブドッラ・アルバルグーティは、人間、そして父親としての資格を与えられる権利のささやかな断片を手にするため、ハンガーストライキしている。彼は、10年以上前に逮捕されて以来、家族との面会を禁じられ、その同じ期間、独房幽閉に留められてきた。

彼の要求が含むのは:

独房幽閉からの解放
家族訪問の許可
子どもたちの面会の許可

アブドッラ・ガーレブ・アブドッラ・アルバルグーティは、1972年にクウェートで生まれた。1998年に、彼の村ベイトリマに戻り、同年、彼は結婚して家族をつくった。バルグーティの旅は、アルアクサー・インティファーダの発端に始まった。2001年8月、彼は、パレスチナ自治政府により逮捕され、1ヵ月に満たないで解放された。妻によれば、「その時以来、イスラエル占領のお尋ね者になり、アブドッラは家に戻ることはなく、非常に長い間、わたしたちは、彼について何も知らなかった」。

彼が追跡されていた期間、アルバルグーティによれば、軍隊により遂行された残忍な標的とされた暗殺や虐殺への報復で、彼は、イスラエル占領に対する多くの作戦をなし得た。15ヵ月以上経って、2003年3月、イスラエル情報機関は、彼の身元に確信がなかったにも拘らず、彼を追い詰めた。ある朝、彼が最年長の子どもの救急治療に立ち会っていたラマッラの病院を離れたとき、彼は特別部隊に驚き、捕らえられた。彼の3歳半の娘が、歩道上にひとり、苦い嘆きの衝撃に残されたとき、彼は、手錠され、縛られ、軍用車輌に投げ込まれた。

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アルバルグーティは、5ヵ月以上、絶えず尋問され拷問された。

拘留の合法的最大期間が、90日を越えないにも拘らず、アルバルグーティは、5ヵ月以上、絶えず尋問され拷問された - 彼は3月に逮捕され、11月まで解放されなかった。11月31日に、イスラエル軍事法廷は、彼に対する最終判決が言い渡された緊急開廷を召集;彼は、パレスチナ囚人の中で最長の刑、67回の終身刑を宣告された。

原文:Middle East Monitor
posted by mizya at 14:49| Comment(0) | TrackBack(0) | information | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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