
東エルサレム、イッサウィア地区の抗議で、イスラエル軍が少年を暴力的に拘束するので、パレスチナ女性が叫ぶ、2012年5月15日。(Photo: Reuters - Ammar Awad)
2012年05月15日火曜日
パレスチナ人は火曜日、主としてヨーロッパ植民者らが国を地図から消し去り、土地や村々から粛清し、粗暴にイスラエル国家を据え付けて以来の64年を記している。
「大災厄」を意味する - ナクバの日は、彼ら自身の国家を宣言するため、その土地から武力により駆り立てられた、あるいは、英国の支援を受けたユダヤ人植民者らが、領域に暴力的に進んでくるのから逃れた、先住パレスチナ人、750,000から800,000人を記念する。
後に、パレスチナ人160,000人ほどが留まり、今その数はおよそ130万人、あるいは人口の20パーセントほどである。これには、被占領西岸、あるいは封鎖のガザ回廊のパレスチナ人口は含まれない。
(略)
全文:alakhbar
関連記事:「医療関係者:ラマッラ近くのナクバ抗議で80人負傷」Ma'an News Agency
2012年05月15日火曜日
ラマッラ (Ma'an) -- 火曜日、抗議者たちが、1948年の追放、ナクバ、あるいは大災厄を記念し、ラマッラ近くでのイスラエル軍との衝突で、パレスチナ人80人以上が負傷したと、医療関係者は語った。
ラマッラの時計広場の大規模集会後、イスラエル国設立で、何十万人ものパレスチナ人の追放を記念するため、抗議者たちは、イスラエルのオフェル拘置所と、ラマッラとエルサレムの間、カランディア検問所に向かった。
医療関係者は、イスラエル軍が、抗議者たちに催涙ガスとゴム(皮膜)弾を発砲して、パレスチナ人、63人がオフェル刑務所の外で負傷し、21人がカランディアで傷ついたと語った。
(略:嘘しか言わないのになぜイスラエル軍報道官の言い訳まで翻訳する必要があるのか、といった気分 - mizya)