2012年05月21日

アパルトヘイトに反対する南アフリカの芸術家たち:宣言

アパルトヘイトに反対する南アフリカの芸術家たち
宣言


アパルトヘイト下に生き、生き延び、事例の多くで抵抗した、南アフリカの芸術家・文化従事者として、わたしたちは、自身の闘いでの国際的連帯の意義を認めます。そのような連帯のための、パレスチナ人、そしてそのイスラエル人同盟者たちによる呼びかけに、わたしたちが応答するのは、この文脈においてです。

良心の芸術家として、わたしたちは、どこでであれ - アパルトヘイトにノーと言います。わたしたちは、国際的連帯の要請に応答し、イスラエルで上演、あるいは展示されるいかなる招待にも乗じないと約束します。また、わたしたちは、イスラエル政府に結びつく協会の資金提供を受け入れないでしょう。イスラエルが、最小限、国際法と人権の普遍原則に従うそのようなときまで、これはわたしたちの姿勢です。それまで、わたしたちもまた、「アパルトヘイトに反対する芸術家たち」の旗の下、国際的仲間たちと団結します。


アパルトヘイトとそれへの協力
イスラエル国家に結びつく協会への協力は、文化交流の名のもとでの中立行為と見なすことはできない。

2009年の南アフリカ政府により委託された公式報告で、人間科学調査会議は、イスラエルが、その政策と実践により、アパルトヘイト犯罪を犯していると確認した。人種弾圧(とそれへの抵抗)を深く熟知する南アフリカ人を含む他の多くが、イスラエルの抑圧の影での生活を、南アフリカのアパルトヘイト下のそれに類似するかさらに悪いと話してきた。

イスラエルでの芸術的公演は、日々の排除、暴力、戦争犯罪の形態で有罪の国家を正常化し「白塗り(糊塗)」する「通常通りの業務」姿勢を促進する。ガザでのキャストレード(鉛の鋳型)作戦で、イスラエル軍により子ども400人以上が殺されるのを見;また、公海上で、自由小艦隊に乗り込むイスラエルによる途方もない攻撃が、人道支援活動家9人の死に帰着した。(どちらも、国際法に違反する犯罪と論評されてきた - 前者は2009年ゴールドストーン報告により、後者は国連人権評議会により)。

良心の芸術家として、わたしたちは、イスラエルのアパルトヘイト政策の正常化に抵抗のため行動することができる。あるものは、アートは政治に関わりないとの口実の陰に隠れるかもしれない。しかしながら、芸術家は、人種差別と不平等に反対する立場をとることに躊躇したことはなかった。南アフリカ人として、わたしたちは、そのような良心の立場から恩恵を受けた。例えば、英国音楽家組合メンバーは、アパルトヘイトが影響する限り、南アフリカで公演しないと誓った。映画、TV、劇団、そして他の芸術で、組織と芸術家の多くが、南アフリカ政権に対して協調し、最終的に政権終焉を導いた、南アフリカ・アパルトヘイトの否正常化に - そして、すべてにとっての自由で民主的国の誕生に寄与した。

国際的推進力参加
アパルトヘイト南アフリカのボイコットに鼓舞され、パレスチナ人は、イスラエルへのBoycott, Divestment and Sanctions (BDS/不買・脱資・制裁) キャンペーン要請をしてきた。この呼びかけは、同様にイスラエル人により積極的に支持されてきた。

英国人著述家、ジョン・バージャー、インド人作家、アルンダティ・ロイ、米国人詩人、アドリエンヌ・リッチ、英国人映画監督、ケン・ローチと、脚本家、ポール・ラヴァーティは、この呼びかけに加わってきた著名な代弁者の何人かに過ぎない。推進力を獲得し続ける運動で、一連の芸術家たちは最近、ショーをキャンセルしてきたか、イスラエルのアパルトヘイトに共謀することへの彼らの拒絶を約束した。含まれる名前のいくつか:カルロス・サンタナ、エルヴィス・コステロ、ギル・スコット・ヘロン、ダスティン・ホフマン、メグ・ライアン、フェイスレス、マッシヴ・アタック。さらなる詳細は、添付記録シート参照。

原文:South African Artists Against Apartheid


 artistsをどのことばに置き換えるか、しばしば窮する。イスラエルでのパフォーマンスに痛痒を感じることなく出かけて行くマドンナだって「アーティスト」だから。「芸術家」が表現者である以上、その思想が問われなければならないと考えるわたしは、マドンナを「芸術家」の範疇に括れない。artistとあれば、やむを得ず「アーティスト」のことばを充てる。
posted by mizya at 17:22| Comment(0) | TrackBack(0) | statement | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

戯れと「士気」のための殺人:眠るパレスチナ囚人への死に至るイスラエルの攻撃の衝撃ヴィデオ

アリ・アブニマ
2012年05月17日木曜日


HonaAlexandria

カメラは、刑務所寝室を襲撃し、囚人にベッドから出るよう怒鳴り、彼らが命令に従わないなら撃たれるだろう、重武装イスラエル公安隊員を追う。

囚人たちは、奇襲攻撃の恐怖の中で、絶叫が聞こえる。それは、イスラエルの参加者らが「すてき」で「満足」だった夜と言っただろう、残忍で死に至る暴力の夜だった。

イスラエルの攻撃者のひとりが、閃光、炎、煙の中で叫ぶ:「俺はこれらゲートを開き、これら売春婦の餓鬼どもをぶっ殺したい」。他のイスラエル人らが、母親について囚人たちを侮辱する野卑なアラビア語を叫ぶ。

囚人たちは、苦悩と恐れにもだえる。イスラエル人が銃を向け、「腹這いになれ!」と叫び、床に横たわるのを - アブ・グレイブをしのばせる映像に - 見ることができる。

他が、明白な理由もなく、撃たれる。

これらは、イスラエルのチャンネル 2TV局の調査番組、Ouvdaで、2011年4月に放映されたヴィデオの場面だ。2007年10月22日のパレスチナ人囚人たちに対する記録する暴力的攻撃は現実だったが、それはKetziot刑務所で、「士気」と「やる気」を煽るために、イスラエル公安隊員の「訓練演習」として遂行された。

ひとりのパレスチナ人、ムハマド・アシュカルが殺された。イスラエルが最近、彼の家族への補償支払いに合意したものの、彼の死に関して、誰ひとり告発されなかった。

ある「全システム」とOuvdaが述べたこのヴィデオは、3年以上もの間、非公開に保つことが試みられてきた。

イスラエル刑務所業務の副司令官は、このぞっとさせる凶悪な暴力で、彼の部下らの出来映えを「10点」と評価したのだった。

この衝撃的ヴィデオとそのまわりの出来事は、その2,000人以上が、最近、彼らが受ける残忍で非人道的な扱いに対する28日間のハンガーストライキを成し遂げた、イスラエル刑務所に捕らえられるパレスチナ人囚人何千人もの生命へのまれな一瞥を提供する。

(略:長い、ここまでで1/5ほど。これ以後はヘブライ語のヴィデオ映像の進行を英語で説明している)

全文:The Electronic Intifada
posted by mizya at 10:48| Comment(0) | TrackBack(0) | document | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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