2012年05月22日

活動家はイスラエル隊員がパレスチナの子どもを逮捕するのを妨げる

2012年05月21日月曜日
リサ・ゴールドマン

日曜日の「エルサレムの日」イヴェントで、パレスチナの少年、恐らく10歳が、国境警察の非常に腹を立てた隊員により、東エルサレムの通りを追いかけられた。国境警官が彼に追いつき掴もうとしたちょうどそのとき、少年はつまずいて転び、立ち上がった。しかし、22歳の女性イスラエル人活動家が、少年の逮捕を妨げるためふたりの間に割って入り、パレスチナ人少年を逃れさせた。

「エルサレムの日」は、1967年戦争でのイスラエルの勝利に続く都市の「再統一」の祝賀を意図する。実際それは、旗で覆われたイスラエル国粋主義者らの一日で、彼らが、東エルサレムと旧市街の通りを通って行進するとき、輪になって踊り、歌い(イスラエル国粋主義者お気に入りのスローガン、「アラブ人に死を」を含み)繰り返す。ユダヤ人デモンストレータの多くが、イスラエルと西岸の右翼イェシバー(タルムード専門学校)からバスで運ばれる。

東エルサレム住民、アジズ・アブサラは、イスラエル警察が、パレスチナ商店に「緊張緩和」のため「エルサレムの日」早くに店舗を閉めるよう「提案」すると書く;先立つ何年か、イェシバー学生らが、旧市街でパレスチナ人を攻撃し、彼らの資産を破壊した。警察は、パレスチナ商店に、店舗の外に陳列されるいかなる商品も取り除くとのむき出しの命令を出す。同じ投稿で、アジズは、その年「エルサレムの日」、彼が警察により、彼の身分証明書が住人と示してさえ、 - 彼自身の地区での - 彼の存在が祝賀を妨げるかもしれないので、自宅に戻ることさえ妨げられたと記述する。

最近何年か、イスラエル左翼活動家何人かが、祝賀の行進の流れが過ぎた旧市街の門の外で、小さな反-デモンストレーションを行なってきた。一般に、反-デモンストレータたちは、「東エルサレムは被占領パレスチナ領域」などのようなスローガンの小さな掲示を掲げる。パレスチナ人何人かもまた、普通、パレスチナ旗を手に集会を開く。

今年、超正統派ユダヤ教の男が、10歳の少年の手からパレスチナ旗をひったくり、返却を拒んだ。少年は怒って、ユダヤ人の男の手をこじ開けようとした。10歳のパレスチナ少年と完全に成長したユダヤ人の男の間の争いを見た国境警官は、旗を返すようにユダヤの男に命じるよりむしろ、パレスチナの少年を追いかけた。誰かが、その事件のモンタージュを作り、注釈と共にFacebookに掲載した。2番目の写真に見られる、国境警官の目の憤怒表明に注目。

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親-パレスチナFacebookページに投稿されたモンタージュ (photo: facebook.com/welcometopalestine)

結局、彼が少年を掴もうとしたちょうどそのとき、国境警官の前に自らを投げ出したSahar Vardiという名のエルサレムの22歳のイスラエル人活動家の介入のおかげで、少年は逃げた。フォトジャーナリスト、Haim Schwarczenbergが、この事件を撮った。

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イスラエル人活動家、Sahar Vardiは、国境警官がパレスチナの子どもを逮捕するのを止めるため介入 (photos: Haim Schwarczenberg)

この事件はまた撮影され、クリップがYoutubeに投稿された:


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(略:Facebookに投稿された極右ユダヤ人の暴力的反応のいくつか、翻訳に堪えない)

全文:+972


 YouTubeの画面をクリックするとYouTubeのサイトでこの動画を観ることができる。6秒の動画だから、boycottilに埋め込まれた動画で充分と思うかもしれない。しかしながら、YouTubeにはYouTubeの情報がある。この動画のコメント欄に「するとこの少年の犯罪というのはパレスチナ旗を持っていたこと? 殆どニッポンが朝鮮を占領していたときのようじゃない」とある。ニッポンの占領は叩きつぶされた。イスラエルの占領を叩きつぶすのに、このコメントが役立つかもしれない。
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重傷のパレスチナ人は兵士らがその手を踏みつけ地面に留め置かれる

2012年05月21日月曜日
Saed Bannoura - IMEMC

パレスチナ医療筋は、日曜日、パレスチナの若者が、被占領西岸、ベツレヘムとヘブロンの間、Etzionイスラエル入植地近くで負傷したと報告した。兵士らはその後、若者が出血し続ける中、写真のポーズに、彼の手を踏みつけた。

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サラ・スガイヤル - Facebook

イスラエル軍は、サラ・スガイヤル、18歳と確認された住人が、イスラエル兵を突き刺そうとしたが、「兵士との取っ組み合いで彼のナイフに当たった」と主張した。しかし、最初のメディア報道は、若者が胸を刺されたのではなく撃たれたと示した。

若者が地面に横たわり、激しく出血して動けない中、兵士らは彼の手を踏みつけて、写真のためにポーズした。

Maan News Agencyは、地区のイスラエル地区調整事務所が、若者は死んでおらず、イスラエル医療関係者が現場に到着して、彼が外科に受け入れられたエルサレムのHadassahイスラエル病院に移送されたと記者に告げたと報じた。彼は現在重態だ。

軍隊と警察が、ヘブロンのアッサラーム通りのスガイヤルの父親宅に侵入し、捜索し、父親と母親に、尋問のためEtzion軍事・公安センターに行くよう命じたと、Maan News Agencyは報じた。

関連するニュースで、ガザ回廊南部、ハーンユーニス市の東、アルカララ町の東で、イスラエル軍の発砲により、パレスチナの若者が撃たれ負傷した。

ワヒード・アブジル、22歳と確認された負傷の住人は、実弾で脚を撃たれた。その砲弾は、Kissufimイスラエル軍事基地の東のイスラエル軍事タワーから飛んできた。兵士らはまた、その地区の家々や所有物の多くに、手当り次第に撃つ発砲をしたと、地元筋は報じた。

原文:International Middle East Media Center


 写真のパレスチナの若者は、十字架から降ろされたキリストに真っ直ぐ重なる。「イスラエルの馬鹿/生れるキリストは/また殺される」 - 井手則雄詩集『白の夏』「パレスチナへ」より

追記:『白の夏』巻頭詩「パレスチナへ」はこちら
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イスラエルが元ハンガーストライキの囚人を尋問に移送

ラマッラ、2012年05月20日 (WAFA) - イスラエル刑務所業務 (IPS) が、日曜日、行政拘留に抗議して77日間のハンガーストライキをした囚人、ターエル・ハラフレを、尋問のためオフェル軍刑務所に移送したと、囚人業務省により発表の声明は述べた。

イッサ・カラケ大臣は、健康に問題と著しい体重減少を被るハラフレが、5月15日にストライキを終えたばかりで、長期間のハンガーストライキから回復しておらず、彼の健康を回復させるさらなる特別医療を必要とする中での、イスラエルの措置を非難した。

カラケは、イスラエルがハラフレの生命に完全な責任を負う(と語り)、そして、国際人権組織すべて、ことさら赤十字国際委員会に、刑務所のパレスチナ囚に対して実施されるイスラエルの「汚い政策」を終らせるため、即刻介入するよう求めた。

原文:WAFA


 アーカイヴ記事の「ハンガーストライキのグラフィック・イラストレーション」は、日を追ってハンガーストライキの影響を示すカレンダーだ。例えば、立ち上がれなくなる時期、視覚・聴覚に障害が現れる時期と共に、ガンジー、ネルソン・マンデラのハンガーストライキもカレンダーに示されている。著名なアイルランドのハンガーストライカー、ボビー・サンズが、ハンガーストライキで獄死したのは66日目だから、77日間のハンガーストライキのダメージがどれほどのものかイメージできるだろう。そのハラフレに対する尋問は拷問に他ならない。

アーカイヴ:ハデル・アドナーンのハンガーストライキのグラフィック・イラストレーション(02月23日)
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