2012年05月31日

イスラエルがパレスチナの子どもたちの刑務所での食事数を減らす

2012年05月28日月曜日

イスラエルの刑務所の子ども拘留者たちは、毎日彼らが受け取る食事の数を2回に減らした、彼らに対する「飢餓政策」実施で、刑務所行政を非難した。

Telmond「El-Sharon」刑務所の未成年者たちとの会談の後、パレスチナ囚人協会弁護士、アンワル・アブラフィは、「イスラエル刑務所のパレスチナ未成年者たちの状況は、彼らを故意に制約し、彼らから基本的権利を奪う管理により採用される政策と手順のため非常に悪い」と語った。法規が、囚人は1日に3食を受け取るものとすると述べるにも拘らず、アブラフィは、イスラエルが獄中に捕らえている子どもたちに、2食しか与えていないと確認した。

弁護士によれば、子どもたちは水を熱するいかなる設備もないことに不平を漏らした。彼らはまた、イスラエル当局による囚人たちへの攻撃が続いていると言及した。ひとりの拘留者、ダウド・アブスベイタンは、先週、エルサレム中央裁判所に移送される間、治安部隊により酷く殴られた。

原文:Middle East Monitor


 無辜の子どもたちを脅したり拷問したりして「石を投げた」との「自白調書」を取って拘束していることを、わたしたちは知っている。罪があろうとなかろうと、「前科者」の烙印は、子どもたちが成長してからも「制約」に役立つ。食事も与えたくないならば、どうせ無実なのだから、拘束しなければいいようなもの、と、誰しもが思うだろう。国際社会が、イスラエルの暴力から眼を背けている間に、彼らは暴力に麻痺し、自らが暴力を犯していることさえ気づかなくなってしまっている。だから暴力はエスカレートする。わたしたちはいつまで眼を背けているのだろう...
posted by mizya at 19:05| Comment(0) | TrackBack(0) | report | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

パレスチナの青年がスコットランドのサッカー過激集団の連帯に感謝の声明

weareallhanashalabi
2012年05月25日

5月13日、大規模パレスチナ・ハンガーストライキを終了する「取引」が、うわさ製作所から現れる頃、パレスチナからはるか遠い、スコットランド最大の都市、グラスゴーで、ケルト・サッカークラブのサポーターに、パレスチナ人ハンガーストライカーに連帯するディスプレイがなされた。これは、ケルトがリーグ・トロフィーを与えられ、スコットランド・サッカー・チャンピオンとなったシーズンの最終戦で、ディスプレイ、色、音、そしてパーティの雰囲気すべてのまっただ中、突然、パレスチナ旗と「尊厳は食物より貴重」と書かれた横断幕が、競技場の特別区画に現れた。

これは、111区画、サッカーファンを静かで従順な消費者にのみ変える現代統合試合の拒絶で、2006年に形づくられた過激集団、グリーン旅団の陣だった。集団の政治的足場は、左-翼、反-人種差別、反-ファシスト、反-派閥である。ケルト・サッカークラブは、アイルランド移民により、1888年に形づくられ、以来、宗教的差別の一世紀の最良部分に向き合う西スコットランドの大アイルランド・ディアスポラのアイルランド遺産を象徴するようになっていった。グリーン旅団は、アイルランドにおけるイギリス人存在へのアイルランド共和党抵抗支持を声にするケルト・ファンの伝統を継続して非難を受け、同様に、英国軍のイラクとアフガニスタンの戦争や占領とクラブとのいかなる関係にも反対した。

(略)

わたしたちは、注意を喚起するために、そしてすることが正しいことなので、連帯でこれをした。

わたしたちは、パレスチナ人に、わたしたちが彼らのことを考えており、スコットランドの市民社会にパレスチナでの不正に注目するよう励ますと知って欲しい。西側メディアが闘争を無視するので、したがって、わたしたちが、少なくとも問題にあたり強調しなければならないと思った。パレスチナ囚人により着手された行為、あるいはイスラエル国家の抑圧を聞くときの気持ちを説明するのは困難だ。わたしたちが語ることができるすべては、正義のための死まで、ハンガーストライキする意志以上に、大きな犠牲はない。

パレスチナ民衆に連帯して

反逆者最後のひとりまで

匿名グリーン旅団

(略)

パレスチナ青年の応答の声明は、大変勢いがあり、被占領西岸とガザ、48年(に占領されたパレスチナ、つまり、現イスラエル)から、そして追放された難民キャンプ、民衆委員会やパレスチナNGOからのパレスチナ人青年活動家、殆ど100人が、声明に署名した。

親愛なるグリーン旅団同志、

ぼくたちの自由の囚人たちが、シオニスト政権の地下牢で「空腹」闘争を闘っているとき、刑務所の外のぼくたちは、闘いでのぼくたちの部分を担い、通りで抗議していました。ぼくたちの何十年もの闘いは、上がったり下がったりでした。時々ぼくたちは、世界が無関心なのを目撃してフラストレーションを感じます。別の時々、ぼくたちは希望を感じました。

ぼくたちは、グリーン旅団が、ぼくたちの正当な主張と囚人たちのハンガーストライキを支持したのを見ました。そしてこれは、希望の時々のひとつでした。
(略:言い回しが翻訳し難いのでギブアップ、原文で)

パレスチナ青年誰もが、アイルランドの闘争を尊敬しています。アイルランド人以上に、ぼくたちの土地を隔てるアパルトヘイト壁を理解しているひとはいません。アイルランド人以上に、ぼくたちの土地を接収する入植者を理解するひとはいません。アイルランド人以上に、占領と闘うこと、自身を犠牲にすることの意味を理解するひとはいません。アイルランド人以上に、刑務所の中で空腹で闘うことが意味することを理解するひとはいません。ボビー・サンズとその仲間たちの闘いが、ぼくたちを鼓舞したことは言うまでもありません。

(略)

ぼくたちの闘いはまだ終わりません。ぼくたちは、自由、平等、そして難民の帰還権が満たされるまで、闘いを持続するでしょう。
グリーン旅団の同志たち、ぼくはもう一度、深い謝意と感謝を表明したいと思います。みなさんの支持は、ぼくたちを強くします。

ありがとう!


(略:署名)

全文と画像2点(必見):weareallhanashalabi


 画像がこの記事の主体なのに、埋め込めなかったので、是非原文にアクセスして見て欲しい。涙が溢れた。ケルト・サッカークラブ競技場のグリーン旅団の特別区画のような、意思表明の区画が、ニッポンのサッカー競技場にもあったなら、脱原発の横断幕を掲げに、サッカー競技場に行ってもいいかな、と、思うけれど、グリーン旅団は闘って勝ち取ったもの、闘わずして「あったらいいな」などとは思うまい。いえ、そもそもサッカーを観戦にいったことなど一度もないのだから。
 ボビー・サンズは、ハンガーストライキの66日目に獄死した。サッチャー政権下だった。大分前、サッチャーの映画が作られたと、新聞だったかTVだったかが報じていたけれど、誰が見に行くのだろう、抵抗運動の芽を摘むため、活動家たちが獄中で死んでいくのを冷酷に眺めていた戦争犯罪者の映画を...
posted by mizya at 11:44| Comment(0) | TrackBack(0) | report | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする